死戦の地中海(Bloody Mediterranean sea)4

「喰え! 喰え! これが欲しかったのであろう?」


 狂ったように嗤いながら、ネシスは魔導で錬成した爆発を膨張させ続けた。


 禍津竜は<宵月>に対する認識を改めた。鋼鉄の月は食餌ではなく悪性のウィルスだ。


 禍津竜の生存本能が全力で稼働し、打開策を模索した。霊力を糧に身体を外へ広げるのは、不可能になりつつあった。成長のスピードが吸収に追いついていない。外へ捌け口を求められなければ、内に向けるしかなかった。


 免疫系の神経が稼働し、生体防御の手段を模索し始め、妥当な手段をすぐに確保した。


『ネシス、避けろ!』


 儀堂の怒声が、ネシスを戦闘狂から現実に引き戻した。反射的にネシスは<宵月>の位置をずらした。


 間髪入れずに<宵月>の脇を黒い塊が通り抜けていった。


「おのれ、生き汚い奴よ。小細工を弄しおってからに……」


 ネシスは冷ややかな目を闖入者へ向けた。



 ネシスとは対称的に艦橋はどよめいていた。あまりにも突然の敵襲で大半の将兵が状況を把握できなかったのだ。


 唯一、儀堂だけが事の次第を理解していた。艦橋から周囲を警戒していたところ、敵の接近に気が付いたのだ。


 爆轟の方陣に黒いシミのようなものが見えた。ちょうど正艦首から見て二時方向だ。直感で敵の攻撃と悟り、咄嗟に儀堂は叫んだ。すぐにネシスは回避したが、あと数秒遅れていたら<宵月>は深手を追っただろう。


「ネシス、すぐに<宵月>を回頭させろ。敵を捕捉する」


 返事がなかった。代わりに<宵月>がその場で敵方向へ回頭する。


『ギドーよ。すまぬが、あやつの相手はおぬしたちに任すぞ。妾は禍津退治にかかずらわっておる』


 軽口を叩ける雰囲気ではなかった。ネシスの魔導について儀堂は何も知らなかった。ただ目前では圧倒的な爆発が巻き起こっている。きっと只事ではないのだろう。


「わかった。こちらは気にするな。<宵月>の方向転換だけ頼めるか」


『構わぬよ。向かう先を命じよ。そのままに、この艦を巡らそう。戯れの射的と洒落こむとよかろう』


「気楽に言ってくれるな」


 マイクを切り、儀堂は眼前の敵を捉えた。


「まったく、何でもありか」


 うんざりと儀堂は呟く。彼の目前には禍津竜の尖兵が遊弋していた。見慣れつつも、場違いすぎる敵影だった。


「もう、こいつの相手も飽きてきました……」


 心底嫌そうに興津が言った。思わず儀堂は苦笑しつつ、同意した。


 小刀のような切っ先を持つ船体、中央部に大きな破孔が生じたUボートだった。破孔から黄色い煙が漏れていた。


 二人ともUボートが浮遊している理由など、考えもしなかった。規格外の怪異や魔獣の大盤振る舞いで、疑問に思うことすら馬鹿馬鹿しくなる。だいたい飛行する駆逐艦に乗る自分たちも、傍から見ればどうかしているだろう。


「砲術、榴弾で撃ち落とせ。抜けないようなら徹甲に切り替えて良し。それから噴進砲も用意」


 簡潔に意志を伝えると、一斉に<宵月>の前後から断続的な破裂音が木霊し始める。十センチ連装高角砲が榴弾を豪雨のごとく叩き込んでいた。幸いなことに徹甲弾を使わなくてもUボートの外殻にダメージを与えれられそうだった。着弾と同時にあちこちから破片が飛び交い、小規模な火災と同時に煙が漏れ始める。


「なんです、あれ?」


 興津はUボートの破孔へ双眼鏡を向けた。火災の煙にしては、毒々しい辛子のような色をしている。


「あの黄色いガスのようなものは……?」


 訝しむ興津に、儀堂が答える。


「Uボートの積み荷だろう」


 記録映画の一コマが再生される。第一次世界大戦、西部戦線のイープルで使われた兵器だった。


「……たぶんイペリットだ。陸さんが『きい剤』と呼んでいる毒ガスだ』


「毒ガスがUボートに?」


 なおも信じられない口調で、


「いったい、どこで誰に使うつもり──」


 言いかけて、興津は気が付いた。あまりにも候補が多すぎる、今ともかく、開戦時にドイツは四方に敵を抱えていた。使う相手に困りはしないだろう。


「さあ、それは知らん。いずれにしても毒は竜に吸収された。その結果が、魔獣の産み殺し……なるほど毒なら効率よく屠殺できそうだ」


 使えるかもしれないと儀堂は考えてしまった。下手をすれば反応爆弾以上に効果的思えたが、すぐに頭を振る。


──いや、駄目だ。


 魔獣の動きは変則的過ぎる。毒ガスの有効範囲から外れたら、ただ環境を汚染するだけで何も得られないだろう。


「結局のところ、鉄火で焼き切るのみか」


 <宵月>の砲撃を受けて、Uボートの船体は崩壊しつつあった。初めの勢いは完全に殺され、緩慢に宙を漂っている。


──所詮は畜生の操るフネに過ぎないな。


 冷めた心境で儀堂は分析した。要するに使い方が分かっていないのだ。怪異艦隊やガレーの幽霊船団のような戦闘行動すらできていない。昨夜相手にしたレールネのUボートの方が、よほど脅威だった。


 要するに、あれはUボートのかたちをした石つぶてだ。莫迦なガキみたいに、禍津竜が<宵月>へ投げつけてきただけにすぎない。


 そもそも潜水艦が正面切って、駆逐艦に挑むとは言語道断だろう。


「なめやがって」


 Uボートを睨みつける。全身から煙と火花を放ちながら、加速つけて<宵月>へ向かって来ようとしていた。突撃しか能がないらしい。甲板には浮上決戦用の備砲があったはずだが、そいつを動かせる者はいなかった。


 無理やりなUボート─もはや原型はとどめていない─の特攻、その先に待ち受けていたのは<宵月>の船腹、右正横だった。上手くすれば船体を貫くことができただろう。


『噴進砲、発射準備完了』


 高声令達器スピーカーから砲術長の声が聴こえる。すぐに儀堂は許可を出した。


ッ」


 数秒後、船体の中央部が煌めいた。間を置かずしてBM内部で大爆発が生じ、Uボートは鉄塊から鉄くずに変わった。


 爆音に交じって不愉快な悲鳴が辺りに響き渡った。禍津竜のうめき声と気づくまでに、少し時間がかかった。


 爆発の熱量によって、BM内の大気が膨張し、BM自体の体積が増していた。つられて禍津竜の体内も余計に膨張し、身体全体を一気に圧迫したのだ。



 禍津竜のうめきはネシスの耳にも届いていた。心地よい声音にネシスの口端が吊り上がる。


「手も足も出ずに己が死を待つのは、口惜しかろう。だが禍津よ、おぬしは運に恵まれておる。妾の同胞と違い、おぬしは……」


 前触れもなくネシスは咳き込んだ。歪んだ嘴から紅の雫が垂れる。


『おい、どうした?』


 高声令達器から儀堂の声が聞こえる。不穏な気配を悟ったらしい。まったく、どうしてこの男は都合よく感が働くのか。


「案ずるな」


 力強く、嘘を吐く。


 体内であちこちの血管が破裂し、臓腑は血で満たされていた。数鬼分の霊力を一気に放出したせいで身体が悲鳴を上げている。


「おぬし、小春もたまに構えよ」


『いきなり何の話だ? どうして、小春ちゃんが出てくる?』


「やれやれ、そういうところじゃよ」


 ネシスはあやすように答えた。


「さて、禍津よ。お代わりはいらんか?」


 月が紅く輝いた。


◇========◇

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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