死戦の地中海(Bloody Mediterranean sea)3

 <宵月>が禍津竜に食われてから6時間ほど経過しつつあった。洋上では英国海軍の駆逐艦とコルベット<大隅>を含め3隻が禍津竜の行方を追っている。他の艦の姿は近くになかった。


「艦長、<ヴァリアント>から入電です。先にアレキサドリアへ向かうと」


 電文のメモを受け取りながら、嘉内はうなずいた。


「了解。我々はここに残る、そう伝えてくれ」


 <ヴァリアント>の選択は仕方がないことだった。彼女の艦隊には守るべき船団がついている。いつまでも駆逐艦一隻にかかずらわっているわけにはいかなかった。


 <大隅>とて、いつまでも海域に留まれるかわからなかった。口には出さなかったが、誰もが<宵月>の生存を絶望視しつつあった。


 しかしながら何事にも例外はいる。


 今、この海域において僅かだが<宵月>の帰還を信じている者はいた。


 そのうち一人が、ちょうど<大隅>から発艦しようとしていた。



 愛機の整備と給油が終わり、格納庫内の昇降機に乗せられる。


「ちょっと一巡りしてくるわ」


 散歩の手軽さで戸張は周囲に告げた。


「お気をつけて」


 すぐ傍にいた整備長が困惑した面持ちでうなずいた。


 戸張に具体的な根拠があったわけではない。ただ何となく予感がしただけだった。あるいは未完成の確信というべきだろうか。


 儀堂あいつが死んだとは、戸張には到底思えなかった。


 希望的な観測と思われても構わなかった。ある種の限界を越えた人間でなければ、わからない極地があるのだ。


 この世には、BMに飛び込んで帰還した者すらいるのだ。


「兄貴……」


 愛機へ乗り込む途中で、か細い声で呼び止められた。振り向くとそこには不安な面持ちの妹がいた。


「大丈夫だ!」


 戸張は言い切った。


「化け物に食われたくらいで、あの野郎が死ぬわけがない」


 小春はよく我慢していたが、瞳が赤く充血していた。その背後から小さな影が現れた。


「コハル、大丈夫」


 モンペ袴の端をつかんで、ユナモが軽く引っ張った。


「ネシスは生きてる。だから心配しないで……」


「ほぉら、ユナモちゃんが言ってんだから間違いねえ。俺が言うのもなんだが、俺よりも信じられるぜ」


 軽口をたたくと戸張は操縦席コクピットに乗り込んだ。



 <大隅>から発艦するや、一瞬だけ<烈風>の機体が沈み込んだ。半端にたわんだ機動を描くと、そのまま一気に高度四千メートルまで駆けあがる。


 そこから水平飛行で高度を維持しつつ、戸張は眼下の海を舐めるように見ていった。最初に目についたのは、<大隅>の飛行甲板に上がった機影だった。戸張だけではなく、<大隅>に搭載された艦上機全てが発進していくはずだった。


 <宵月>捜索のために、艦長の嘉内は<大隅>の全力を発揮させるつもりだ。下手をしたら上陸支援用の大発すら投入しかねないほどだった。


 禍津竜に呑まれたのは現海域の近くだが、その後でどこへ行ったかは全く不明だ。それでも嘉内は、遠くへ離れていないと睨んでいた。<大隅>のソナーが常に異音を探知し続けていたからだ。そのソナーは旧式で、探知範囲は決して広くなかった。


 戸張は嘉内の判断に全面的に賛成だった。あの上官と話し込んだことは無いが、なかなかに気が合いそうだ。


「あぁん?」


 不意に戸張は顔をしかめた。<大隅>の様子がおかしかった。飛行甲板に待機している機体が一向に動こうとはしない。発艦準備が整っているはずなのに。それどころか、甲板上から兵士が退避し始めていた。


「何が起きて──」


 無線で問い合わせようと手を伸ばしたとき、戸張は海上の異変に気が付いた。そのため結果的に、嘉内に先手を打たれてしまった


『戸張大尉!』


 緊迫した嘉内の声が耳当てレシーバーから鳴り響く。しかし戸張は海上に気を取られ、すぐに答えることができなかった。


『ソナーが異音を探知した。ユナモちゃんも早く離れろと、私に言って来ているんだ。そこから何が見える? 答えろ』


 我に返り、戸張は告げた。


「玉です」


『あ?』


「クソでかい紅い玉が浮き上がっ、ああ、畜生! <大隅>、そこから離脱しろ! 早く!」


 <大隅>が航行する海域全体が紅く染まっていた。それだけではなく、海面に無数の気泡と蒸気が浮かびつつあった。ついでに夥しい水生生物の死骸も見えた。何物も生存を許さぬほど、水温が上昇しているのだ。


 異様な光景に圧倒されながら、戸張はひたすら状況を観察した。幸いなことに<大隅>は異常な海域からぎりぎり逃れそうだった。


 海面下に潜むやつの正体はわからなかかったが、元凶について戸張には見当がついていた。


──あの野郎、また何かやりやがった!


 言いがかりに等しい予想読みだが、あながち外れでもなかった。



「あははははははははははは! そおれ! そおれ! たんと食うがいい。どうした腹はいっぱいか。このザコめが! 飽くるほどに食わせてやろう!」


 禍津竜の腹の中で醜い悲鳴が木霊し、ネシスは歓喜した。


 <宵月>の全方位が、容赦のない高熱で紅に染め上げられている。ネシスが展開している三十二面体の方陣が際限なく爆轟を放出し続けているからだ。


 ネシスは吸収した幼鬼の全霊力を爆轟に変えて一気に放出した。そして物理的にも、霊的にも禍津竜の胃を圧迫しにかかった。


 鮮烈な紅い太陽が体内で生まれ、禍津竜は未知の苦しみに悶えた。


 苦悶の正体は暴食の大罪グラトニー、端的に言えば満腹感だった。


 初めは禍津竜も歓喜した。突如、体内に無限に湧き出るエネルギーの源泉ができたのだ。爆轟のエネルギーを吸収、己の霊力に変え、充足感に恍惚とした。


 しかし、それは最初の数秒しか続かなかった。


 今や満たされたことのない腹が満たさられ、はちきれそうになっている。必死に紅い玉の爆発エネルギーを吸収しても、すでに全身の隅々まで詰め込まれている。


 禍津竜にとり、今や己の消化器官が最大の脅威と化していた。衝動のまま貪食を続け、行き場を失ったエネルギーが体内を荒れ狂う。


 母胎能力があれば、魔獣を生み出して発散できたかもしれない。しかし幼鬼を喪った今では叶いそうになかった。


 悶えながら禍津竜は生存へ向けて徹底的に足掻きはじめた。力を消費するために暴れまわり、海面へ急浮上していく。しかし、運動による熱消費は微々たるもので解決にはならなかった。


◇========◇

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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