海獣(cetus) 11


 ほとんど無邪気な衝動で竜は行動していた。知的生命体と違い、理念や野望などが根底にあるわけではない。一方で、畜生の本能とも違った。


 どんな畜生でも危険予測や危機回避はする。しかし、竜にはそれがない。危険を予測する必要もなかったし、危機など無縁の生を歩んできたからだ。


 行きたいところへ行き、飲み込みたいままに飲み込み、排せつする。何者にも邪魔されることがなく、別の生命をもてあそぶ。


 傲慢にして怠惰な生だが、決して咎めることはできない。この世界に転移する前から、誰もそれがいけないことだと教えてこなかったのだから。


 だから、この竜には教育が必要だった。今さら手遅れだろうが、きついお仕置きを食らわなければならなかった。


 イオニア海から誘い出された竜は、<ヴァリアント>に目もくれず、その眼下を通り過ぎていった。そのまま何の疑問も持たずに、すっぽりと5隻の艦船が形成する陣形の中に入っていく。 竜の眼前には馳走がぶら下がっている。少し前までは一つだけだったが、今は二つになった。その二つは、ほぼ同じ位置に漂っていた。


 もし同じ状況に人間が出くわしたら、おかしいと感じるだろう。


 特に対水上PPIスコープと縁の深い電測士が、違和感について報告してくるかもしれない。二つの光点が交わり、ほぼ同じ座標を指示しているのだから。衝突による海難事故でも起きたと考え、すぐに救難信号の有無を確かめるだろう。


 しかし、禍津竜にとっては単純な問題だった。どちらを先に食うか、それだけだ。


 片方は頭上に在り、もう片方は海面下にあった。いずれも極上の霊力を含んだ細長い箱だ。禍津竜は迷うことはしなかった。


 とにかく、目に付いたもの全てに竜は触手を伸ばした。青白い血走った巨大な目玉に青白いツタが続き、竜の身体に接続されている。


 竜は身体から2本のツタを伸ばし、上下両方の艦を押さえようとした。上の方が少し霊力は小さいが、すぐ近くにあった。


 禍津竜の触手が<大隅>の船底に届こうとしたとき、教育が始まった。



『ユナモ、今ぞ! 疾く詠唱うたえ』


 ネシスの掛け声と同時に<大隅>が爆発的に紅く瞬いた。


 直後、飛行甲板から五本の紅線が放射状に疾走する。それらは<大隅>を取り巻く英国艦船へ到達するや、跳ね返るように二本の紅線に屈折して分かれた。


 分かれた紅線が対角線上の艦へ向かい、お互いを紅い光で結んでいく。最終的に完成したのは、世界中で共通する象徴イコンだった。


 紅いクリムゾン五芒星スターが地中海に輝いた。星を構成する光の筋は海上のみならず、海面下へ緞帳カーテンのように降ろされている。


『ネシス、これでいいの?』


『良いぞ、たいそう上出来じゃ。あとで本郷から菓子をもらうがよい』


 ネシスは満足そうに返事をすると、頭上・・へ意識を向けた。


『ほう禍津め、今頃感づいたか。しかし、逃さぬよ……』


 紅の緞帳は海中にいる禍津竜まで届いていた。途端に禍津竜から悲鳴とも聞こえる咆哮を上げ、逃れるように深く潜ろうと足掻いた。


 その先に何があったのか、禍津竜は忘れ果てていた。


 海中から五条の紅い光が伸びて、禍津竜を取り囲んだ。光の筋は海上にいる艦船に到達すると、お互いを補い合うように幕を形成した。


 最終的に出来たのは、<宵月>を頂点とした巨大な逆五角錐だった。


 禍津竜の眠っていた本能が、ようやく自身に警鐘を鳴らした。竜は直感的に自分の状況を理解した。人間風に言い換えるのならば、網にかかったのだ。


 構造は単純だった。海上でユナモが結界を展開し、水面に蓋をする。これが逆五角錐の天蓋部分になった。


 結界には霊を祓う効果もあったため、禍津竜は下へ回避した。しかし、その先には<宵月ネシス>が控えていた。


 <宵月>は<大隅>と合流する直前に急速潜航して、禍津竜が頭上に来るのを待ち構えていたのだ。それまで<宵月>を追っていた禍津竜は、海上の<大隅ユナモ>へ気が取られていた。故事に在る通り、二兎を追うものは禄でもない目に遭うのだろう。


『貴様がため込んだ魂を、全てを吐き出してもらうぞ』


 不敵に笑うとネシスは大祓の呪文を詠唱した。



 儀堂は天頂へ視線を巡らし、禍津竜の末路を窺った。丁度、腹部の直下に<宵月>はいた。<宵月>の真上にうっすらと青白い禍津竜の巨体が広がっている。


 初めに起きた変化は緩慢なもので、儀堂が気づくのに時間がかかった。


 禍津竜の表面に鳥肌に似た、細かい泡が浮き上がっていった。それらは全身に広がり、やがて禍津竜から気泡のように離脱していく。


 そこでようやく禍津竜が苦しみだした。逆五角錐の結界から逃れようと、禍津竜は浮上した。しかし海面は<大隅ユナモ>によって五芒星の結界が張られていた。


 魔導の術式としては、極めて単純で強くはなかった。ネシスはユナモでも展開可能な方陣を指定していた。波しぶきは容易に結界を通り抜けていき、完全に密閉されたわけでない。。その気になれば禍津竜の触手も突き抜けることができた。実際たびたび禍津竜は<大隅>を手にかけようとしたが、どれも果たすことが出来なかった。


 ユナモの結界は特殊な呪いフィルタリングが施されていた。呪いによって霊体の透過が禁じられていたのだ。ゆえに禍津竜に対して、覿面に効果を発揮した。


 なぜなら禍津竜の身体は、餌食となった無数の霊魂で構成されていたからだ。結界を通り抜けた瞬間、肉体から霊魂が剥がれて力を失う。<大隅>の船底へ禍津竜の触手が殺到しても、結界へ近づいた瞬間、枯れ木のように勢いを失った。


 海面近くであえぐ禍津竜へ、ネシスは大祓の呪文を浴びせ続けた。


 逆五角錐の内側にネシスの鎮魂歌が響き渡り、囚われた魂たちを呼び起こす。


 ネシスたちの言葉で歌われているため、儀堂に内容はわからない。ただ思いのほか、哀しく安らぐ旋律で気を抜くと心が揺さぶらそうになった。


 魂が小さな泡となって禍津竜の表面から絞り出され、海上へ立ち昇っていく。


 泡のサイズは徐々に大きくなり、やがて沸騰した水のように、ぼこぼこと全身から沸き立ち始めた。


 直感で儀堂は理解した。


 ネシスは禍津竜を焙っているのだ。熱で水を蒸気に変えるように、禍津竜を構成する無数の魂を揺さぶり、昇天させている。


 このまま行けば、莫迦でかい竜から全ての魂が抜け出し、カラカラに乾いてしまうだろう。


 水の中で渇きを覚えるとは、何たる皮肉だろうか。


 儀堂は嗤いだしたくなった。



◇========◇

毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

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よろしくお願いいたします。

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