海獣(cetus) 12
もだえ苦しむ禍津竜は海中に呻きを木霊させる。その声は数キロ先まで届き、周囲にいる艦船のソナーマンの精神に深刻なダメージを与えた。
人間には意味の分からない悲鳴だが、儀堂はネシスを介して理解できた。
この期に及んでも、禍津竜は「ひもじい」とひたすら連呼していた。命のやり取りよりも、腹を満たすほうが大事らしい。
「早く死ねば、飢えに悩まずにすむぞ」
頭上でもがく禍津竜に、儀堂は吐き捨てた。
『慈悲かや?』
呪文を詠唱しながら、念話でネシスが話しかけてきた。
「莫迦を言え。こいつは俺たち人間をさんざんぱら食い荒らしてぶっ殺してくれたんだぞ。優しく殺してやる謂れはない。出来ることなら、この世のあらゆる苦しみを味わってもらいたい」
『ほう』
「俺が早く終わらせたいのは単純な理由だ。時間がないし、俺のわがままに他の連中をつき合わせるわけにもいかない」
『つくづく、おぬしは不思議な男よの」
「だしぬけに何を言っている?」
『なに、
「変な話じゃないだろう。単に敵か味方か。それだけの話だ。俺がどういう人間なのか、お前がよく知っているだろう」
『何の話じゃ』
キョトンと儀堂は聞き返された。
「……いや、いい。気にするな」
『ま、よかろう。おぬしの希望通りかは知らぬが、責め苦を追わせながら終わらせてやる』
ネシスの詠唱が、ひときわ大きく響き渡るや、<宵月>は徐々に浮上していった。それに押し上げられるように<禍津竜>も上っていく。
海上の<大隅>と海中の<宵月>の距離が近くなり、その間に挟まれた禍津竜は結界の中に押し込められていった。
それまで身体に囚われていた魂が抜けていき、禍津竜の力は弱まっていたが脅威であることに変わりはなかった。
禍津竜は結界から逃れようと足掻き、触手が海流をかき乱した。そこらじゅうで小さな渦が巻かれ、<大隅>と<宵月>は酷く揺さぶられる。熟練の下士官でも、立ったまま作業するのが困難だった。
しかし、全てのあがきは無駄だった。<
未知の破局が禍津竜に訪れつつあった。これまで禍津竜は死から最も無縁な存在だったが、否が応でも命の危機を感じざるをえなかった。
ようやく禍津竜は自身が死戦に晒されていると学んだ。このままいけば、めでたく生態系の一部に組み込まれるだろう。
変化は前触れもなく訪れ、<宵月>と<大隅>の誰もがすぐにわかった。禍津竜のあがきが弱くなり、脱力していく。それにともない二隻の揺れが小さくなっていく。
そして断末魔を飾るように、海面下から青白い閃光が放たれた。後は海面下に漂う数キロの巨体がピクリとも動かくなり、不気味に漂うだけとなった。
勘違いをしても、仕方がなかっただろう。スケールこそ違えども、よくある臨終の光景に見えたのだから。
◇
「なんだ……?」
海原が一斉に青く輝いたとき、 拍子抜けしたように戸張は呟いた。今の今まで高度千メートルの特等席から一連の
いつのまにか禍津竜によって乱された海面が平らかになり、何事もなかったかのように凪いでいる。何度かフライパスしてみたが、巨大な黒い影は動きそうになかった。
思わず戸張は漏らした。
「やったか?」
訝しむように戸張は呟いた。同時に海面下に展開された、ネシスの紅い魔法陣が解かれるのが見える。しかし、海上でユナモが展開した陣は変わらず維持されていた。
「やったんだな?」
海面下の巨影に変化はない。
「よし、帰るか──」
母艦へ帰還すべく、愛機の翼を翻した時だった。
<宵月>が海中から叩き出された。あるいは放り投げられたのかもしれない。いずれにしろ非常事態に変わりなかった。
あまりに突然すぎたため、戸張は間の抜けた顔で傍観するしかなかった。
◇
水深500メートルから<宵月>は突き上げられた。全くの奇襲で、ネシスですら気が付いたのは直前のことだった。
海底から一直線に黒い塊が突っ込んできた。ちょうど<宵月>の斜め下から、船底に狙いを定めた格好だった。ネシスと視界を共有していたため、儀堂がいち早く気が付いた。相手の正体を見極める前に、身体が動いていた。
「耐しょう──」
喉頭式マイクのスイッチに手をかける前に、衝撃を食らう羽目になった。結果的として、凄まじい速度で、海から空まで弾き飛ばされた。
<宵月>の将兵は一瞬にして混乱に叩き込まれ、何が何だかわからなくなってしまった。
儀堂とて例外ではなかった。特にネシスの視界を共有していたため、衝撃に備えることが困難だった。まず倒れこんで強かに全身を打ち、次に海上に出たことで視覚が麻痺した。
海上へ出た瞬間、儀堂は恐怖よりも先に気持ち悪さと眩しさを覚えた。身体が空に浮き上がる感覚を三半規管が捉え、暗闇に慣れた網膜を容赦なく日光が焼いた。眩さに目をしかめたとき、儀堂は黒い塊の正体を知ることが出来た。
一瞬のことだったが、ひしゃげた鋼鉄の塊が見えた。黒い塊は役目を終えると、<宵月>よりも先に海に還っていった。
──駆逐艦……!?
かろうじて原型をとどめたトライバル級の駆逐艦だった。儀堂にはわからなかったが、<セント・イシュトバーン>に突撃した<ターター>のなれの果てだった。
<宵月>の重力への反逆は長く続かなかった。
思わず儀堂は舌打ちをした。
禍津竜が大口を開き、ひもじさを満たそうとしていた。
◇========◇
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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