海獣(cetus) 9


 朝陽が映える地中海に、単発レシプロ機の爆音が轟いた。緑色の翼に、真っ赤な目が入った機体だ。発動機を全開にし、目標へ向けてひたすら北進していくところだった。


 操縦席で戸張は大欠伸をした。つい数時間前まで戸張はドラゴンのシロとともに空を駆け、敵を文字通り火の海に変えていた。今度はシロから<烈風>に乗り換えての再出撃だった。


 さすがに一晩ぶっ通しで戦闘した後の飛行は、身体に堪える。


「ったく、あの畜生、満足そうにいびきなんぞかきやがって!」


 思いきりの恨み節が、口から吐き出される。


 彼の相棒のシロは、今ごろ格納庫の厩舎で貪るように寝ているはずだった。存分に暴れまわり、己の破壊衝動を吐き出しきった後だ。さぞや気持ちの良い眠りだろう。


 そう思うと余計に腹が立ってくる。


「ったく、人使いが荒すぎるぜ」


 愛機から海原を望みながら、戸張はぼやいた。小春が聞いたら、あきれ顔で叱りつけてくるだろう。戸張自身が志願して引き受けた任務だからだ。


 とにかく戸張は飛べれば、それで満足だった。言ってしまえば睡眠欲よりも飛行欲が勝った結果、彼の<烈風>は<大隅>の飛行甲板から飛び立ったのである。いつもの戸張らしく完全な自業自得だ。


 あえて戸張を弁護するのならば、他の誰かには任せられない理由もあった。


 北進して数十分後、海面に小さな影を発見する。航行中の<宵月>だった。上空から見る限り、特に目立った損傷はないようだ。徐々に高度を下げながら、直上をパスする。


 それからほどなくして戸張は本命を目にした。


 あたり一面の海域・・が夜のように暗くなっていた。あまりにも巨大な目標が蠢いているからだった。目標の海域にはおびただしい数の魔獣の死骸が漂っていた。


「こんなもん、どうしろってんだよ……」


 蠢く影は、数分前に通り過ぎたフライパスした<宵月>をぴたりと追いかけている。


 異様な光景に、戸張は身震いした。一抹の後悔が脳裏をよぎった。ここに来る前に小便を済ませておけばよかった。


 同時に部下に任せなくて良かったとも思う。眼下の光景を前に、冷静でいられる奴は少ないように思えたからだ。この後の任務を考えると、戸張のような胆力のある―ネジの外れた―人間が適任だった。


 飛行速度を落とすと、戸張は操縦桿を傾けた。連動して<烈風>の機体が傾き、大きく弧を描いていく。目標は、旋回半径以上の大きさった。


 旋回を終えると、戸張はスロットルを調整し、発動機の出力を抑えた。速度をぎりぎりまで下げて、今度は<宵月>を追い越すようにパスしていく。


 そのままブリーフィングで知らされた周波数へ無線のダイヤログを合わせた。


「戸張より<宵月>へ、会場まで案内する」


 知った声で、すぐに応答があった。


『こちら<宵月>、誘導感謝する』


 悪童じみた笑顔で、戸張は続けた。


「はは、またぞろ、どえらいもんを釣り上げたな」


 海兵同期にして、幼馴染への口調だった。少し間を置いて、向こうも戸張に合わせてきた。


『好きでやったんじゃない。それよりも符丁はどうした?」


 あきれた声で儀堂は尋ねた。戸張機には割り当てられた符丁コールサインがあったはずだ。むろん<宵月>にもだった。本来ならば符丁で呼び合わなければならなかったが、戸張は初っ端から無視していた。


「細かいことはいいんだよ。どうせ敵は人外なんだ。わかりゃしねえ」


『……寛、その認識は改めておいたほうが良い』


 冷めた声で儀堂は否定した。


「はあ? そりゃどういう意味だ」


『そのうち嫌でもわかるさ。ただ、それは今じゃない。<宵月>以上、終わり』


 それきり儀堂は何も話さなくなった。


 小首を傾げる戸張には、何のことだかさっぱりだった。あるいは過労によって頭の回転効率が落ちているだけかもしれない。

 


 旧友との無線を終えた後、儀堂はネシスに視界を共有させた。紺碧の海面下に光が差していた。それだけならば十分に心が休まる光景だった。しかしながら、少し先で仄かに輝く青白い巨塊が全てをぶち壊してしまっている。


 <宵月>の背後に追いすがる禍津竜を、儀堂は無言で見つめていた。内心では数多の感情と思考が渦巻いている。


 殺意を胸に抱いたまま、儀堂は地中海の戦いを思い起こしていた。


 禍津竜の存在とUボートとの遭遇、その二つはただの偶然なのだろうか。ローンによれば、月鬼や禍津竜について英国は何も掴んでいない。


 六反田少将によれば、欧州方面における英国の情報網は確からしい。


 仮にそうだとすれば、この化け物について今まで誰も気が付かなかったことになる。


――本当にそうなのか……? もし、それが事実だとしたら、あまりにUボートの存在が不自然すぎる。


 ドイツの月鬼とUボートが居なければ、船団は針路変更などしなかった。針路変更がなければ怪異艦隊と幽霊船団にかち合うこともなかっただろう。最終的には禍津竜のことさえ気づかずにアレキサンドリアに着いていたに違いない。


 あるいはドイツは知っていたのではないのだろうか。


 そう考えたほうが筋の通る話だった。もちろん何にも確証はない。一つだけ可能性があるとすれば──。


「ネシス、あの月鬼、確かレールネとか言ったか。そいつが禍津竜について気が付いていたと思うか」


『わからぬ……』


 歯切れの悪い返事だった。


『知っていたとしてもおかしくはなかろうが……あのとき、あやつは様子がおかしかったからのう。途中から、あの男の言いなりになっておった』


「お前を吹き飛ばしたドイツ人だな」


『吹きとばさせてやったのじゃ』


 ネシスは嘯いた。


 ようやくいつもの調子が戻ってきたようだ。儀堂は苦笑すると、小さく安堵のため息をついた。


──いずれにしろ、こいつを始末してからだ。


 追いすがる海の巨魁へ意識を集中する。


 数時間後、戸張機に先導されながら<宵月>は元の航路まで戻ってきた。


◇========◇

毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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