海獣(cetus) 5
『きぃ、く、こぇ、キぃ、きィタ…そノこぇ…』
自分が狂ったのか、それとも聞き間違えかとギドーは思った。日本語らしきものが、脳内に響いている。
「こいつ、俺たちの言葉を話せるのか」
眼下の禍津竜を怪訝な面持ちで儀堂は見ていた。
『こやつが言語を解すとは、いかなる心変わりじゃろうな。そんな胡乱な手を使う奴ではなかったのに……』
ネシスにとっても想定外だったようだ。
『ぅノ、ふぁエタ、に、ニ、オぃ、おニ、ソこ、ムァえ、おまエ、いう、イる』
「ネシス、お前に用があるようだな」
『さての』
儀堂に尋ねられ、ネシスはにべもなく否定した。
『戯言を交わすほどの仲ではないわ』
『オぃ、おニ、クぉこォいル。おかシイ』
『異なことを言う。妾の何がおかしい?』
『オかァしい』
『ギドー、こやつのいうことはわからん。ただ、愚弄しておるのは感じ取れるぞ。ええい、竜め、なまじ言葉を使いまわすせいで、意味が分からなくなっているではないか』
ネシスが苛立ちを募らせるなか、竜は放言を続けた。
『チそう、いゥぱイ、いゥぱイ』
濁った異音が禍津竜からぶちまけられ、儀堂の頭をゆすぶった。あまりの不快感で眩暈がする。
『はは、そいうことか』
唐突に乾いた笑いが耳当てから漏れた。
「こいつは何を言っているんだ?」
『そうさな。まあ、莫迦にしておるのよ。おぬしらは、こいつにとってはただの餌じゃ』
「ほう、そうかい。嘗められたものだ」
眩暈が怒りで相殺された。
「言葉が通じるのならば、一応聞いてやる。脳みそがあるか知らんが、よく考えて答えろ」
本来やるべきことを儀堂は思い出していた。
「お前、俺たちを何人食った?」
『ぃらヌ、しぃラぬ、いゥぱイ、いゥぱイ』
禍津竜の濁音を耳にして儀堂は嗤った。
誰もが耳を疑うほどに冷たく乾いた嗤い声だった。
「はは、全く道理だとも。そうだ。どんな化け物でも飯は食う。俺がこれまで遭遇してきた奴らは例外なくそうだった。まあ、食い物の質はあれこれと違うが……いちいち覚えているはずもない。それは俺たちとて同じだ。腹に入れた米の数は覚えちゃいない。だから、そこは責めないよ」
口元から笑みを消すと、為すべきことを<宵月>へ命じた。
「合戦準備」
禍津竜の周囲が猛然と舞い上がったのと、儀堂が命令を下したのはほぼ同時だった。
「散布爆雷投射! 両舷爆雷投下!」
海中から海底へ大量の炸薬がまき散らされる。それらは泥の煙幕の中に吸い込まれ、あちこちで爆発四散した。
爆破の衝撃で攪拌された泥が押し広げられ、その合間から無数の青白い触手が伸びてくる。先端には血走った眼玉のような光球がついていた。ガレー船団や怪異艦隊の海面に見えたものだった。
「ネシス!」
『わかっておる……!』
「総員対衝撃!」
ネシスは魔導機関全開で回避運動を取った。船体が大きく揺れ、海水が激しくかき回されていく。その間隙を縫うように<宵月>は爆雷を放り出した。
『チそう、いゥぱイ、いゥぱイ、たェる、くゥ、いゥぱイ、ぉニ、まぁタ、くュ、もぉル』
海中に轟く爆音を背景に、禍津竜の声が呪詛のように脳内に響き渡った。
「やかましい!」
儀堂は一喝すると、ネシスとの共有を保ったまま艦内にいる興津達に命じた。
「噴進砲発射準備。至近で撃ち込む」
「了解、すぐに伝えます」
興津の声だ。背後で砲術長とのやりとりが聞こえ始める。
『禍津のや、おぬし随分と落ちぶれたものよ……』
ネシスが憐みを込めて、禍津竜を見下ろした。遥か深海で禍津竜はカブトに似た甲羅を震わせ、もがき苦しんでいた。身体を震わせるごとに、背中から蛆のように魔獣が転げ落ちる。正気を保つのが難しい光景だった。
◇========◇
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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