海獣(cetus) 3
「司令、大丈夫ですか?」
興津が訝し気に儀堂へ尋ねた。儀堂の顔色は真っ青を通り越して、土気色になっていた。
「問題ない。俺の身体は正常だ」
「しかし……」
とてもではないが、無事には見えなかった。
興津だけでなく、彼の部下たちも同様の感想を抱いているようだ。
「俺のことはいい。それより……艦外の奴らに安全帯をつけさせろ。いざとなったら中へ退避させる。次もまた激戦だ」
敵が深海にいるのならば、地中海艦隊の増援は望めそうにない。正体が何であれ。<宵月>しか相手にできないだろう。
「また月鬼ですか?」
興津は小声だった。
「いや、恐らく違う……」
ネシスの反応が気になった。あいつが言うには月鬼の仕業ではなく、首魁とやらが元凶だ。
他にも気になることがあった。この海域全体に覆いつくしている魔獣の死体、奴らは一様に腐乱していた。いったい、あいつらの説明をどうつけるのだ。
それにあの焼けただれたような損壊……あの無残な姿に儀堂は見覚えがあった。その昔、父の書斎で見かけたことがった。そうだ。確かあれは欧州大戦の戦場で――
『ギド―よ……』
耳元で声が響き、思考が遮られる。
「どうした?」
『何かにつかまれ。飛ばされるぞ』
「なっ……」
とっさに儀堂は艦長席のひじ掛けを掴んだ。途端に<宵月>は凄まじい勢いで揺さぶられた。
「耐衝撃……!」
叫ぶのがやっとだった。いたるところから悲鳴やうめき声やらが響いてきていた。
「何の真似だ!?」
怒鳴ってはみたが言葉が続かなかった。いまだに<宵月>は揺らされている。
『すまぬの! だが妾ではない!
「どうした?」
『ああ……』
「なに?」
ネシスの言葉と同時に<宵月>は大きく傾いだ。そして間髪入れず、再び激しい揺れに襲われる。思わず儀堂は叫んだ。
「おいっ!」
『すまぬと言ったであろう!』
ネシスの怒号が聞こえた瞬間、<宵月>は再び大きく左へと傾斜した。艦内各所の隔壁が軋みを上げる。
「ぐっ……」
<宵月>が再び水平を取り戻そうとしたき、儀堂はぎょっと艦外を凝視した。一瞬だが、巨大な青白い球体が横切るのが見えた。
『おぬし、大事ないかや?』
ネシスの声を聞きながら、儀堂は口を開いた。
「ネシス、敵はどこだ?」
この近海一帯の海を支配しているのは、あの光体に違いない。やはり見たことのないシルエットだった。サーペントでもクラーケンでもない。青白く光る、根っこのような脈で形成された球体だ。
「あの球体はどこにいる?」
『よそ見をするな。あれは本体ではない。もう見えるぞ。それ、あやつこそが首魁よ……』
ネシスは嫌そうに断言した。
『まさか、かような場所で出会おうとは……あやつは古来より巣食う竜、始祖の一柱よ。当世で称すれば、
「竜、あの丸いのが竜?」
儀堂の問いに答えることなく、ネシスは続けた。
『なるほど、あやつならば怪異を引きおこせようて……しかし、解せぬな。ええい、ままよ……埒が明かん。いけ好かぬが、奴の元へ行くぞ』
「待て。お前の視界を寄こせ。突っ走るなよ」
『確かに道理じゃな』
すぐに視界が切り替わり、再び艦外の様子が網膜に投影された。<宵月>は深海へ向けて潜り続けていた。
「お前、どこへ向かっている」
先ほど見かけた影は上へ向かっていた。ならば浮上するのが正しいはずだ。
「奴を追うなら上だろうが」
『異なことを申すな。あれは奴の一部にすぎん……』
「一部だと?」
あれで一部? それでは本体はどれほどの大きさだ?
儀堂は深海へ目を凝らしたが、何も見えなかった。ときおり不気味な黒塊がすぐ傍を通り過ぎていく。恐らく魔獣の骸だろう。
『おぬしの目ではまだ見えぬよ。妾と深くつながれば、まあ同じ景色が見えようが……』
「なら──」
『司令、駄目です』
御調が無線に割り込んできた。
『月鬼との接続は人間の心を摩耗させます。申し上げたはずです。いずれ、あなたの自我もなくなってしまう』
声音から断固たる意志を感じた。同時に違和感もある。どこか懇願するような必死さがある。まるで──。
そこで気が付いた。
なぜ、御調少尉は月鬼と繋がった奴の末路を知っているのだ?
つまり、それは……。
『そういうわけじゃ。御調が怖い顔で妾を睨んでおるぞ。おぬしもったいないぞ。せっかく見目麗しいのに、まるで般若のようじゃ』
『はぐらかさないで。私のことはどうでもいいでしょ』
小鳥のような姦しいやり取りが、儀堂を現実に戻した。
「わかった。今はこのままでいい」
『司令……有り難うございます』
きっと電波の先で御調は胸を撫でおろしているのだろう。
「ああ、それにしても……少尉は──」
『はい?』
「いや、なんでもない……」
『案ずるな。そう遠からずして、お主にも正体がわかるであろう。じっとしておれ。じきに向こうから拝謁の許しがあろうて』
ネシスはもったいぶるように言った。
「禍津竜という奴は随分と偉い奴らしい」
皮肉を込めて儀堂は呟いた。
『そうさの。あながち外れではない』
ネシスは意味ありげに肯定した。
『妾よりも遥かに古き存在よ。いつから居るやら起源すらわからぬ』
「ほう、お前にもわからないのか?」
『はっ、あれに比べれば妾は童子よのう』
「そんなものか……」
儀堂は釈然としない気持ちだった。ネシスの態度が引っかかったのだ。何かを隠しているように思えた。しかし、今の状況で追及しても意味がない。
短く儀堂は嘆息した。どうして俺の周りは秘密主義者ばかりなのか。
『ギド―よ、もうすぐじゃ』
ネシスの言う通りだった。ほどなく<宵月>の直下から異様な音が聞こえてきた。
◇========◇
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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