海獣(cetus) 2
魔導機関室でネシスは、これまでにない異変を覚えていた。
──なんじゃ? なにがおきているのじゃ?
潜った瞬間にネシスの鼻腔を耐え難い腐臭が突いていた。思わず、えずきそうになったところで嗅覚を遮断する。
視界を巡れせば、そこかしこに魔獣の死体が漂っていた。その全てが溶かされたように肉体が崩れ、まともな原型を留めていない。
『どうかしたか──』
声が漏れていたらしく、
「わからぬ」
かぶせるようにネシスは答えた。不思議なことに息苦しさを覚え始めていた。それに何か目に沁みて涙が溢れてきそうだ。
「ギドーよ、この海はおかしい。妾になじまぬ邪気が満ちておるぞ」
『何だ、弱音か』』
「言ってくれるではないかや。そうさな。面白いことに、この海は毒にあふれておる。おお、痺れるような心地じゃ。これはたまらぬ」
『何が面白いかさっぱりだが、お前に効く毒とは余程のものだな』
「いいや、妾に効いておるのではない。恐らく、ここらで息絶えた獣どもの情念が妾に入り込んできておるのだろうさ。さぞ苦しんで逝ったのであろうよ」
『そうか。なら、お前は大丈夫なんだな』
念を押すように儀堂は言った。
「なんじゃ、案じてくれるのかや?」
甘えた声でネシスは囁いた。
「ああ」
何の迷いもなく、儀堂は肯定した。ネシスは少しだけ面食らったが、すぐに儀堂は儀堂でしかないと思い知る。
『こんなところでくたばってもらっては困るからな。せめて海上に出てからくたばってくれ』
「ははん、つれないのう」
『おふざけは、ほどほどにしろよ。それよりも症状はなんだ? わけのわからん毒に囲まれるなんて御免被る。せめて見当ぐらいはつけておきたい』
「なんなら、おぬしが感じてみればよかろう? 妾と深くつながれば出来るぞ」
儀堂と話すうちに、息苦しさだけではなく喉が痛くなり始めていた。妙な懐かしさを感じる。最後に病気になったのはいつぐらいだったろうか。生物として完成された月鬼にとり、病魔は遠い昔の記憶の中にしかなかった。
『やってくれ』
またも思わぬ回答にネシスは唖然としてしまった。よもや肯定されるとは思ってもみなかったのだ。
『どうした? 早くしろ』
「おぬし、何か聞き違えておるのではないか? 言っておくが、おぬしにとって何の益もないぞ。それとも何か鍛錬の類いかや? ああ、そう言えばおぬしらの中には、苦痛に悦楽を見出すものが一定おるそうだが──」
『そんなんじゃない。物は試しだ。いいから、早くしろ』
「わかった。そう急くな……ほれ」
数分後、むせかえった息づかいと咳き込んだ声が
「はっ、言わんことではない。まだ続けるかや?」
『いや、十分だ……』
ネシスは儀堂との共有を断ち切った。
「潮の香りを存分に愉しめたであろう?」
『莫迦を言え。こんなものが海にあっていいものか』
吐き捨てるように儀堂は言った。
「ほう……おぬし、邪気の正体を見破ったのかや。妾ですら皆目わからなかったというのに?」
からかうようにネシスは問うた。
『確信はないが、恐らくな』
無愛想に枯れた声で儀堂は返した。喉の痛みが酷すぎて、とてもではないが戯れに応じる気にはなれないようだ。
『こいつは、お前がわからなくても無理はない』
「ふん……いけ好かんのう」
拗ねた声でネシスは言った。
『勘違いするな、嫌味じゃないからな。恐らくこの毒は、お前たちの世界にはなかったヤツだ。だからわかるはずがないんだよ』
「おぬしには馴染みのあるものかや?」
出し抜かれたようでネシスは面白くなかった。
『俺だって、こいつを食らったことはないさ。だけどコイツをまともに食らったらただじゃすないことはわかっている』
「おい、もったいぶるでないぞ」
『あのな、お前じゃないんだ。そんなことをするか。さっきも言っただろう。俺も自分の答えを信じられずにいるのさ。まあ、そいつもいずれわかるだろう。ネシス、このまま潜れるか?』
「少し堪えるが……やれぬことはないの」
『わかった。やってくれ……』
<宵月>はさらに深く沈降していき、日の光が届かないところに達した。
◇========◇
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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