海獣(cetus) 1
外の騒がしさに気が付いたのは、夜明けから少し経った後だった。
<宵月>はイオニア海上空300メートルを飛行していた。すでに海原の白波が見えるほどに、明るくなっている。
「なにがあった?」
興津が訝し気に外を見ると、見張り員や機銃座の分隊から次々と報告が上がってきた。誰も彼もが「海上に漂流物多数」と口にしていた。わざわざ艦橋へ上げてくるくらいだ。よほどのことだった。
「漂流物だけではわからないだろうが、詳細を報せ」
興津が部下たちに叱咤する中で、儀堂には最も確実な報告が上がってきた。
『ギドーよ、妾の目を借してやろうか。安くつけておくぞ』
「冥土払いになるぞ。いいから早く見せろ」
『つれない奴じゃ。はっ、少しは礼くらい零さんか』
「かたじけない……これでいいか?」
前触れもなくバチリと目の奥で閃光がはじけ、ネシスの視界が共有された。あまりの眩しさに儀堂は頭痛を覚える。
「クソッ、ネシス、おまえ雑にやったな」
返事はなかった。儀堂は小さなため息をつくと、一気に広がった視野を把握した。目前には<宵月>から俯瞰したイオニア海があった。
確かに、見張り員たちの反応も無理はないと思った。
紺碧の海に無数の点が浮き上がっていた。それら一つ一つは不定形で大きさもまばらだったが、全てが共通していた。
「魔獣どもか……」
サーペントに、クラーケン、それにヒュドラ……水棲型に限らずオーガやワイバーンなど陸棲型や飛行型などの魔獣も混じっていた。それらの死骸がイオニア海の一面に漂っている。
「なんなんだ、これは?」
やっとのことで儀堂は感想を漏らした。
波間に漂う魔獣は随分前に死んだのか、腐敗が激しく全身を保っている個体は少なかった。そもそも原型が分からないものが大半で、巨大な肉片がばら撒かれていると現したほうが正しい。
『慈悲深き妾に感謝するがよい。妾の鼻までおぬしへ貸しておったら、卒倒しておっただろうよ』
恐らくネシスの嗅覚は、腐敗臭まで捉えているのだろう。ざっと目測で数えただけでも、数百はくだらない死骸だ。海上では地獄のような腐臭が漂っているに違いない。想像するだけで不愉快な気分になってきた。
「ネシス、これもお前の言う首魁の仕業か? 」
『いいや、違う。あるいは巻き込まれたのかもしれぬが……』
「巻き込まれた?」
『あやつにとって魔獣は食餌にすぎんからな』
「つまり、こいつら全てが首魁の食い残しだってのか。にしても──」
ざっと見たところ死骸は百は超えそうだった。これほど食い散らかす首魁とやらは、どれほどの化け物なのだろうか。
それに気になることは、まだあった。何もないところから魔獣が現れるはずがない。たしかに地中海は魔獣の海だが、いくら何でも数が多すぎる。
まるで降って湧いて出てきたかのようだ。
「その首魁とかいうのは、BMみたいに魔獣を生み出せるのか」
『いや、あやつはそんなことはできぬはずじゃよ。言ったであろう。あやつにとって、おのれ以外の有象無象は、糧にすぎん』
ネシスから念を押されても、儀堂には納得しがたかった。
──首魁が魔獣を生み出さないとしたら。こいつらの出所はいったいどこなんだ?
じっと観察するうちに、儀堂は気が付いた。まばらに見えた魔獣の死骸の群れ、それらに一定の規則性があった。イオニア海の北西に行くほど死骸の密度が増して、数が多くなっていく。その先に発生源があるのだろう。
海図を脳内で広げてみる。死骸の続く先を辿ると、アドリア海へ行きつきそうだ。<宵月>も北西へ針路をとっている。
「ネシス、魔獣どもの死骸の先に首魁がいる。そうだな?」
『左様……運が良ければの話じゃが。あやつの霊気が散りつつあったが、自ら馬脚を見せおった。ギドー、少し高さをあげるぞ? さすがの妾も鼻が曲がる』
辟易した声でネシスは言うと<宵月>はさらに高度を1000メートルまで上げた。おかげで死骸の分散具合もわかりやすくなった。やはりアドリア海からイオニア海へ続いている。
<宵月>は、速度を増してイタリア半島へ近づいていった。
「司令、よろしいですか」
すぐ傍で興津の声が聞こえた。
「なんだ?」
「<ヴァリアント>のウィッペル中将から入電です。どこへ行くつもりかと」
「……しまったな」
だいぶ本隊から離れてしまっていることに、ようやく儀堂は気が付いた。しかし、今さら引き返す気も起らなかった。
「輸送船団に異常は? 新手は現れていないな?」
「無線傍受を聞く限り、そんな様子はありません」
「そいつは重畳。ウィッペル中将へ状況を伝えてくれ。それから『我、
一瞬の間の後で、誰かが吹き出した。
「了解」
怒らせただろうか。勝手すぎるのは自覚していたが、足元の異常を放っておくこともできなかった。
<ヴァリアント>から、すぐに返事が来た。
「なんだって?」
「リョウカイ、貴官ノ信仰ヲ尊重ス。トコロデ加勢ハ不要ナルヤ?」
思わず儀堂は苦笑した。あの中将、ターラントにでも殴りこむつもりだろうか。
北西に針路をとって1時間後、ただでさえ異常な海域の異常さがさらに増した。大量の死骸が巨大な丸を描くように集まっていた。
「ここが発生源らしいな。ネシス、高度を下げろ。よく見たい。副長、見張り員にも伝えてくれ。何か異常が──」
言いかけて思った。これまで異常だらけではないか。
「なんでもいい。何か気が付いたら報せろ」
「了解」
艦内の
しばらくして、ひとりの見張り員が告げてきた。
「右舷正横、おおよそ3時方向! 気泡と漂流物を確認! 何かが浮き上がってきまーす!」
ネシスと視界を共有したまま、儀堂は右正横に目を向けた。巨大な気泡がラムネように海面で沸き立ち、肉片が次々姿を現した。やがて海底から大きな影が現れ、巨魁となって海面に浮きあがった。
腐敗が進んで原型は分からないが、魔獣の胴体のようだった。
「やはりか……」
何かがある。首魁とやらに違いない。
同時に儀堂は思った。
畜生、また海の底だ。
<宵月>は高度を下げると、そのまま着水、潜航状態に移行した.
◇========◇
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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