百鬼夜行(Wild Hunt) 20
【戦艦<ヴァリアント>】
大音響とともに巨艦が揺らいだ。後部艦橋に被弾したらしい。敵艦の直撃を食らったのは6発目だったが、戦闘に支障はなかった。もちろん無傷というわけにはいかない。甲板は血の海に覆われ、人体の欠片が飛び散っている。
火災が起きたらしい。掌帆長が声を荒げて、分隊に消火を命じていた。
<ヴァリアント>の各所で怒鳴り声と悲鳴が
水上打撃戦の天秤は地中海艦隊に傾いていた。<サフォーク>と<アキリーズ>、<エイジャックス>の攻撃によって、敵艦隊は戦闘能力を失いつつあった。<ヴァリアント>に飛来する砲弾の数も減っている。そう遠くない未来では皆無になるだろう。
「うちの兵士に誰か、ハプスブルクの血を引いている者はおらんのかね? いたら、そいつに停戦の勅をださせよう」
ウィッペルが諧謔を込めて言うと、艦橋内のあちこちで笑いが漏れた。
<マイソール>から、敵怪異艦がかつてのオーストリア=ハンガリー二重帝国の戦艦だと報告を受けていた。二重帝国は第一次大戦の敗北で滅びていたが、代々ハプスブルク家が皇帝として君臨していた。
「<セント・イシュトバーン>は、それで済むかと思いますが、後続の艦はわかりません」
艦長のハイタワーが続けた。
「アドリア海にはイタリアの艦も沈んでいますから。場合によってはサルディーニャ王家の血筋も必要になるかもしれませんよ」
ウィッペルが片端の口を曲げた。
「<オオスミ>の方には、ガレーの艦隊が現れたそうだ」
「……古代ギリシャのですか?」
ハイタワーが唖然と聞き返す。
「さすがに、そこまでは遡らなかった。ルネッサンス期、ヴェネツィアかオスマントルコあたりの年代物だそうだよ。博物学者が喜びそうな話ではないかね」
「そうかもしれませんが、実に厄介な話ではありませんか。地中海は沈没船の宝庫ですから、今回のように怪異化された場合……」
誰もが忘れつつある記憶だったが、数年前まで地中海では人類同士が戦っていたのだ。連合国だけでも、1941年までに数十隻の艦艇を失っている。枢軸国側を合わせれば、倍はくだらない。それよりも前の第一次大戦まで含めるとキリが無くなる。
あるいは、地中海の外でも同様の事態がおきるとしたら……地獄の釜の蓋が開くことになる。
「……厄介だな。これからは我らも国王陛下の委任状とともに出撃せねばならないかもしれん」
冗談めかしてウィッペルは言っていたが、半ば本気だった。口端の笑みが薄らいだことに、ハイタワーは気が付いた。
「やはり
<サザンプトン>、<ヨーク>、<カルカッタ>……今では地中海の岩礁と化した僚艦を思い浮かべた。それらが怪異となって浮き上がってきたとき、果たして誰もが正気を保っていられるのだろうか。
「驚くことではないだろう。我が軍とて、かつて反乱を起こした船はあった。性質としてはストライキの類だがね」
「笑えない冗談ですな」
「もちろん冗談では済まされない。考えてもみたまえ、我々はここで何が起きているかはわかっている。しかし、
数マイル彼方にある怪異艦隊へウィッペルは目を向けた。地獄に掲げられた篝火のように燃え盛っている。
「あるいは<ヨイヅキ>のギドー少佐ならば、わかるのでしょうか」
「そうかもしれない。そう、あるいは彼の月鬼ならばな」
ウィッペルは出航前のジブラルタルの日々を悔やんでいた。やはり月鬼に会っておくべきだったのかもしれない。月鬼の面会を止めたのは本国の情報部だった。保安上の理由だったが、ウィッペルは釈然としなかった。そもそも月鬼が何かしでかした時に、それを止められる存在がいるのだろうか。
「
「つまり……レコードのように同じ場面をリフレインし続けていると?」
ハイタワーは理解に苦しんでいた。西洋の、とりわけ軍人の感覚では「物に記憶に宿る」とは全く意味の分からない話だった。
「上手い喩えだな。そう、私も目にするまで実感がわかなかった。これまでの魔獣との戦いとは、次元が異なる」
「ええ、まるで手ごたえが感じられません。敵意すらも感じない。我々は何と戦っているのでしょうか」
困惑するハイタワーの横で、ウィッペルは自らの認識を改めた。
我々は
◇========◇
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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