百鬼夜行(Wild Hunt) 19

「どうなさるのですか」


 困惑と怒りを込めて、マーズは尋ねた。しかし、エバンズは何も答えなかった。


 <マイソール>は現針路を維持したまま、ひたすら敵の先頭艦へ向かっていった。そのまま敵艦に対して、右側から突入していく。


 マーズの予測通り<マイソール>の突入角が深すぎた。恐らく敵艦の目前を掠めるように通り過ぎることになるだろう。下手をすれば、逆にこちらの船腹に突入され、真っ二つになるかもしれない。俊足を存在意義としている駆逐艦としては、不名誉極まる最期だった。


 やがて決定的な瞬間が訪れた。


「取り舵いっぱい、早く!」


 艦橋内にエバンズの怒鳴り声が響く。途端に<マイソール>は左へ艦首を向け、大きく波を切った。


 いったい何がしたいのか、マーズにはわからなかった。全力で敵艦に突入したかと思えば、今度は全力で敵艦から遠ざかろうとしている。ひょっとして俺が気が付いていないだけで、この人はとっくに狂っているのかもしれない。


 唖然とするマーズの前を通り過ぎ、エバンズは旗信号の甲板ウイングへ出ていった。思わずマーズも後を着いていく。


「舵戻せ! 今すぐに!」


 エバンズが口から泡を飛ばし、艦橋内へ叫んだ。


 吹き曝しのウィングで風に叩きつけられながら、視線は艦の後方、遠ざかる敵艦へ向けられていた。


 その先では不可解な光景が現出していた。


「逃げた……?」


 端的にマーズは状況を要約した。しかし、それは<マイソール>のことではない。


 敵戦艦が歪な軋み音を立てながら、回頭を行っていた。まるで見えない亡霊に追い立てられたかのように、回れ右をして逃走を図ろうとしている。


「いったい、何がしたのですか?」


 傍らに立つ上官へ答えを求める。


「ブラフを仕掛けた」


 エバンズは種を明かした。


「我々が最初に雷撃したとき、あの艦は異様な回避行動をとった。おおよそ人の艦としてはあり得ない、怪異にだけ許された挙動だ。それが私にはどうしても解せなかった」


「あの回避行動をどうやったか……ですか?」


 的を外した問いかけを自覚しつつ、エバンズは言った。


「いいや、なぜ回避したかがわからなかった。あの艦は<ターター>を腹に食らっても動いていた。たかだか魚雷の数発で、あの化け物を止められるとは思えない。避けるはずのないものを避けた理由を考えてみたのだ」


 エバンズは言葉を選んだ。


「きっと怖いのだ。あの艦は魚雷を心底恐れているのだよ。そう、ただ怖いんだ。だから、逃げようとした。」


「つまり純粋な恐怖から……」


「一種のトラウマだろう。だから私はペテンにかけた。いかにも魚雷を撃つフリを<マイソール>に演じさせた」


 信じられない面持ちでマーズは遠ざかる敵艦を見た。急回頭を行ったせいで速度が落ち、味方艦隊から集中砲火を受けている。榴弾や徹甲弾で滅多打ちになり、紅蓮の炎に包まれながら、それでも敵戦艦は沈まない。


 敵艦のシルエットがエバンズの記憶野を刺激し、ある記録フィルムを思い出させた。


「そうか、<セント・イシュトヴァーン>か」


 誰にともなくエバンズは呟いた。


「なんです?」


「<セント・イシュトヴァーン>、かつてオーストリア海軍の戦艦だった。前の戦争で魚雷を食らった。たった一本の魚雷だ。それだけで、あの艦は沈んだ」


 <マイソール>は全速で遠ざかりつつある。燃え盛る<セント・イシュトヴァーン>は、既に小さな影となっていた。


 戦闘海域には護衛艦隊の主力が到着している。戦艦<ヴァリアント>に、重巡<サフォーク>、それに軽巡<アキリーズ>と<エイジャックス>だった。4隻は敵艦隊と船団の間に入り込むように転換し、針路を完全にふさいだ。


 敵艦隊は滅多打ちにされ、艦上構造物の大半が廃墟と化している。それでも尚も戦闘能力を失わなかった。<セント・イシュトヴァーン>は残った4門の砲塔から弾を吐き出し続けている。後続の艦も同様だった。


 怪異艦隊は人外のしぶとさを発揮していた。物理法則に従えば、とっくに沈んでいたはずだった。過去の戦訓に倣えば乗員の大半は殺戮され、戦闘不能に陥っていただろう。しかし彼女らは怪異であるがゆえに、どちらにも当てはまらなかった。


 地中海の砲声が止むのは、しばらく先になりそうだった。その間に少なからず犠牲は出るだろう。


 しかしながら状況は好転しつつあった。もちろん戦場に不測の事態はつきものだが、はっきりとしたことがある。<ターター>の犠牲と<マイソール>の機転、そしていくつかの幸運のおかげで輸送船団は怪異艦隊の脅威から逃れようとしている。


 <マイソール>を回頭させながら、エバンズは苦渋の面持ちだった。肋骨の傷が原因ではなかった。彼は耐え難い怒りの制御に苦心していた。


──全く許しがたい。


 彼の艦は再び怪異艦隊へ突入しようとしていた。もう一度、あの戦艦<セント・イシュトバーン>にブラフを仕掛けてやるつもりだった。前よりはやりやすくなっているだろう。<ヴァリアント>の砲撃で、副砲の類が吹き飛ばされているからだ。


 だが、そんなことはどうでもよかった。


 彼は本物の魚雷がほしかった。いや魚雷でなくてもなんでもいい。あの憐れな戦艦を速やかに一撃で吹き飛ばしてやれる火器が欲しかった。


 理性もなく、感情もなく、幽鬼のごとく現れ、童子のごとく砲弾を喚き散らす艦。


 あのように惨めな戦艦が、この世界に在ってはならないのだ。


◇========◇

毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

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よろしくお願いいたします。

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