百鬼夜行(Wild Hunt) 16

 戦闘開始から1時間近くが経過し、<マイソール>は重傷だった。4基ある砲塔のうち、第一と第三は使い物にならなくなっている。


 第一砲塔は敵戦艦クラスの主砲弾によって、砲塔が吹き飛ばされ、装填された炸薬が誘爆、辛うじて台座が痕跡として残っていた。第三砲塔は対称的に原型を保っていたが、中では凄惨な情景が広がっている。不運にも飛び込んだ小口径弾が跳ねまわり、兵員を等しく殺戮したからだった。いずれにしろ第一と第三砲塔の分隊は根こそぎ天へ召されている。


 そのほかにも<マイソール>のあちらこちらで小規模な地獄が生成されていた。敵弾は容赦なく船体の全身に降り注ぎ、船内を奔放に跳ね回ったからだ。今や治療室は満員になり、士官室やら船倉、通路まで死傷者に埋め尽くされている。各所でどす黒い水たまりが次々と形成されていたが、ふき取れるものは誰もいなかった。


 それでも<マイソール>は幸運だった。これだけ打ちのめされていても彼女は戦えた。エバンズは敬虔な英国教徒だったが、運の良さだけで全てを結論付けてはいなかった。彼の艦が未だに能力を発揮できるのには理由があった。


 敵弾が悉く<マイソール>の船体を貫通していたからだ。これまで十数か所を被弾していたが、炸薬が作動することもなく突き抜けて停止した。酷い場合、いくつかの弾は反対側に抜けていった。


 どういうわけか、敵は徹甲弾しか使用していなかった。そのため命中後も爆発せず、深刻な損傷には至らなかった。もし着発信管の榴弾を使われていたら、<マイソール>は海に浮かぶボロ屑になっていただろう。


 理由は分からなくともエバンズにとっては好都合だった。このまま可能な限り肉薄し、雷撃を行うまでだった。


 秒を追うごとに砲声が大きくなり、周辺の海域に弾着の水柱がそそり立った。敵艦隊との距離はレーダーによって把握している。


「敵、先頭艦。二時方向!」


 見張り員が誰にでも聞こえるように叫んだ。即座にエバンズは右方向に双眼鏡を構えた。距離は10マイル16キロを切りつつあった。


 夜にもかかわらず、エバンズのレンズには敵艦の輪郭シルエットが、はっきりと映し出されていた。つい一時間ほど前に敵艦へ突っ込んだ僚艦の<ターター>が赤々と燃え上がり、浮標の役割を果たしていたからだ。


 壮絶な光景に違いなかったが、同時に不憫な思いをエバンズは抱いた。僚艦が引きずられているかのように見えたからだった。一刻も早く解放してやりたかった。


 <マイソール>は最高速度を維持したまま、敵艦隊に対して斜め右方向から突入していった。距離は5マイルを切った。


「艦長より水雷長へ。操艦を指揮せよ」


『了解。これより操艦を指揮します』


 最適の雷撃位置に向けて、水雷長が<マイソール>を誘導する。魚雷発射の照準機構は旗信号の甲板ウィングの後方にあった。水雷長の指示に合わせ、甲板中央の発射菅が徐々に旋回していく。


 その間にも敵弾が<マイソール>へ注がれ、全身からを血を流し続けていた。ここに至って、エバンズが出来ることは特になかった。しいて挙げるのならば、発射管室が凶弾に撃ち抜かれないよう祈るくらいだ。


 敵戦艦の周囲に複数の水柱が立ち、甲板中央が破裂した。戦艦<ヴァリアント>の徹甲弾だった。思わず水雷長は舌打ちした。照準の邪魔だ。


 幸いなことに、雷撃位置に着く前に、水柱は消え去った。


『目標、敵戦艦』


『方位角右30度、敵速20ノット、距離5000ヤード、深度3ヤード……』


 艦内スピーカーを通して、雷撃のプロセスが伝えられる。


『射角調整完了。発射用意よし』


 照準器に山のような黒い影が広がった瞬間が訪れた。水雷長が発射ボタンに手をかけたとき、敵戦艦の主砲が<マイソール>に向けられていることに気が付いた。


『発射はじめ』


 主に祈りを捧げ、ボタンを押す。


 圧縮した空気とともに4連装の発射菅から立て続けに魚雷が放たれた。同時に赤黒い煙が敵艦の前甲板から吹きあがった。


『取り舵一杯! すぐ──』


 水雷長の叫び声とともに<マイソール>が衝撃に揺さぶられる。これまでにない轟音が艦の後方から響き渡り、大きく左に傾いた。取り舵だけではなく、明らかに外部から運動エネルギーを加算されていた。


「甲板中央に被弾!」


 誰かが悲鳴のように叫んだ。その間にも、敵艦隊の艦列から一気に離れていく。


「艦長より魚雷の到達予想時間を報せ」


 エバンズの問いかけに返事はなかった。ふと被害報告が上がってこないことに予感を覚える。エバンズは自ら旗信号の甲板ウィングに出てみた。


 敵の主砲弾は魚雷発射管室を貫通し、そこにいた将兵もろとも機能を終わらせていた。それだけではなく水雷長も道連れにしていた。被弾時に飛び散った破片が深々と彼の胸に突き刺さり、濁流のごとく血を噴出させている。


 エバンズは<マイソール>現状を機械的に把握すると、遠ざかる敵艦の群れへ視線を注いだ。ここまで彼は感情を制御し続けていたが、大きく揺らがされることになった。


「なんだ、あれは……なんのつもりだ……!」


 絞り出すように彼は言った。


 先頭を走る敵戦艦が軽々と右舷側へ反転し、魚雷から退避行動をとろうとしていた。後続の艦は置いてけぼりになっている。


 エバンズは生涯において、初めて戦艦が逃げるのを目にした。


◇========◇

毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る