百鬼夜行(Wild Hunt) 17
敵戦艦は造形上、全く不可能な急カーブを描いた。まるで独楽のようなスピンで、数万トンの図体を震わせながらの無理やりな転舵だった。鋼鉄の軋む音が、慟哭のように辺り一帯の空気を震わせた。
<マイソール>の艦橋で、エバンズは不愉快極まりない思いを抱いた。退避行動などと呼べる代物ではなかった。
尻尾を巻いた逃走。
あれは戦艦のあるべき姿ではない。
海を征く船が、あのような出鱈目な航跡を描けるわけがないのだ。あれでは子供の手で弄ばれる玩具と一緒ではないか。
エバンズはロマンチストではなかったが、人並みの世界観は持っている。目前の敵戦艦の挙動は、その世界観を深く傷つけていた。
彼は軍艦という存在、そのものを侮辱されたように感じた。
ごっこ遊びに付き合わされているような心境だった。もっと一般的に言い換えるのならば、「なめられている」と感じた。今さらながら、我々が戦っている存在は、艦に似せただけの異形に過ぎないのだ。
遠ざかる敵戦艦を睨みつけながら、エバンズは雷撃の戦果を待ち続けた。
エバンズの執念、その25パーセントが報われた。<マイソール>が放った4本中、3本の魚雷が艦尾をすり抜け、最後の一本が命中したのだ。
偶然にも、命中個所は<ターター>がめり込んだ後方の船腹部分、その吃水下だった。
敵戦艦の後部甲板に付近に、新たな水柱が上がった。歓声が<マイソール>の艦内から漏れ聞こえた。その中に、エバンズは加わっていない。彼の眼窩は、その後で起きた奇跡に吸い寄せられていた。
敵戦艦の右舷後方が大爆発した。火元は<ターター>だ。何が原因かはわからなかったが、ひょっとしたら魚雷の衝撃で弾薬庫に引火したのかもしれない。
赤黒い炎に弄ばれながら、敵戦艦は尚も面舵を止めなった。
急旋回の遠心力と爆発の衝撃で、<ターター>は敵戦艦から振り落とされた。
「主よ、かの者たちに
エバンズは小さく呟くと、十字を切った。そして、すぐに踵を返して
「舵を戻せ」
「了解。舵戻します」
レーダー員に敵艦隊と味方の増援の位置を確認する。
急な変針を行ったせいで、敵艦隊は船団とは反対方向へ針路を変えつつあった。
すでに戦艦<ヴァリアント>は、戦闘へ加入している。見張員からの報告で、敵戦艦へ、さらに命中弾を与えているのがわかった。<マイソール>の雷撃で、足が鈍ったので当てやすくなるだろう。
重巡<サフォーク>も徐々に戦果を出しつつあった。ウィッペルの指示かわからなかったが、後続の装甲艦に執拗な砲撃を仕掛けている。
軽巡<アキリーズ>と<エイジャックス>の咆哮も間もなく聞こえてくるだろう。
はたして最低限の義務は果たせているのだろうか。
自問するエバンズに答える者はいなかった。代わりにマーズが近寄ってきた。
「艦長、敵戦艦が再度針路を変えました。再び、船団の方へ──」
「取り舵いっぱい」
全てを聞き終わる前に、エバンズは命じていた。
「針路220で定針」
「針路220、舵戻します。当て舵……舵中央。宜候」
<マイソール>を再び敵艦隊との交差針路に戻すと、エバンズは足早に左舷の舷窓へ歩み寄る。
「まだ遊び足りないか」
敵戦艦が取り舵─というには常識外れな運動─で、針路を船団がいる方向へ合わせようとしていた。また、あり得ない運動を行っていた。ほとんど、その場にとどまったまま独楽のようにスピンしている。足でも生えているのではないかとエバンズは思った。
「レーダーより、艦長へ。敵艦隊、増速。25ノットに迫る勢いです」
「よろしい。そのまま位置を観測したまえ」
「どうなさるおつもりですか」
訝し気にマーズは尋ねた。すでに十分すぎるほど<マイソール>は満身創痍だった。対抗手段は二門の主砲と機関砲一つ、それと機銃がいくつかだった。
「もちろん決まっている」
よどみなくエバンズは答えた。
「やれることをやるまでだよ」
マーズは、それ以上何も聞かずに押し黙った。暗澹たる未来図がマーズの脳裏に描かれた。<ターター>の残骸が、強烈に彼の記憶に刻まれている。
◇========◇
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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