百鬼夜行(Wild Hunt) 15
【駆逐艦<マイソール>】
<マイソール>の背後の暗闇から小口径弾があられのように降ってきた。そのうちの一発が船体中央に飛び込んだ。甲高い破裂音とともに鈍い振動が艦橋を振るわせる。
「煙突基部に被弾!」
誰かが叫んだ後で副長のマーズが足早に
「艦長! 火災は認められません。排煙も滞りなく行われています」
艦橋に戻ったマーズにエバンズは満足そうにうなずいた。
「よろしい。機関に影響がないか念のため確かめてくれたまえ」
「イエス・サー」
マーズは艦内電話の受話器を取った。背後のマーズと機関長のやりとりを聞きながら、エバンズは応急班の出動を命じないことにした。煙突基部が損傷したところで航行能力に支障はないとわかったからだ。
もっと深刻な理由もあった。応急修理に避ける人員が枯渇していた。すでに船体あちこちで悲鳴が上がり、それらの対応に追われている。
「艦長、航行に支障はないそうです」
マーズが既知の事実を伝えてきた。エバンズは何も言わず肯いた。
「よろしい。ジェンキンス君、敵艦隊の針路を知らせ」
レーダー員に命じると、PPIスコープに顔を向けたまま返事をしてきた。
「敵艦隊は数分前に190度に変針、そのまま定針しています」
敵怪異艦隊は戦艦<ヴァリアント>と船団の間に割り込もうとしていた。船団東側から回り込むように来ている<ヴァリアント>に対して、怪異の艦隊は北側から船団に迫っている。
一方<マイソール>は敵艦隊から反転して徐々に遠ざかりつつあった。退避するつもりではなく、戦術行動の一環だ。有体に言えば敵艦隊が急に針路を変えたせいで、追い越してしまったのだ。どうやら<マイソール>よりも
「速度は?」
「およそ……20ノットです」
「20ノット、足が速くなったな」
エバンズは苦々しく呟いた。
幸いなことに<マイソール>ならば最大速で追いつくことは可能だった。問題は輸送船団だ。急な針路変更が続けられた結果、著しく航行速度を落としている。このままでは敵怪異の餌食になるのも時間の問題だった。
新たな砲声が加わったことにエバンズは気が付いた。
「<サフォーク>が始めたようです」
マーズが南東を見ながら言った。遠くから
<サフォーク>は敵怪異艦隊と交差針路になるよう、北東へ向かって急行してきた。恐らく頃合いを見て転舵し、同航戦に持ち込むつもりかもしれない。
「ジェンキンス君、敵艦隊と<サフォーク>の相対位置はわかるかね?」
しばらくしてPPIスコープから顔が上げられた。10年は余分に老けた込んだ若者がいた。
「敵艦隊から見て北東約20マイルにいます」
「……少し遠すぎるな」
8インチ砲の射程はせいぜい17マイル程度だ。牽制のために先んじて撃ったのだろう。
果たして間に合うだろうかとエバンズは思った。
敵怪異が船団を射程に収める前に<サフォーク>が針路を塞いでくれれば良い。少しでも遠ざけることができれば我々の勝ちだ。撃破に至らずとも足を鈍らせればいい。その間に<ヴァリアント>と<エイジャックス>、<アキリーズ>が来て戦局は逆転し、我々は希望の朝を迎えることが出来るはずだ。
しかしながら現状は夜闇と同様に閉ざされていた。確信が持てない希望にすがる習慣をエバンズは持たなかった。
「再突入する。両舷全速、面舵一杯。針路270へ」
エバンズの命令を受け、舵輪が精一杯に回された。
「
<マイソール>が大きく右へ傾いだ。エバンズは左側に重心を合わせようとしたが、途中で険しい顔になってしまった。体勢を変えたことで肋骨の傷が疼いたのだ。
静かに深呼吸をした後で、エバンズは告げた。
「右舷反航、魚雷戦用意」
「了解。右舷反航、魚雷戦用意」
マーズが復唱し、水雷長へ伝えた。水雷長は小声で「反航戦だって? それはそれは……了解」と意味ありげな含み笑いを漏らした。マーズと同様にエバンズの覚悟を察したのだろう。
反航戦とは敵艦隊とすれ違いながらお互いの火器を叩き付け合う戦い方だった。ロイヤルネイビーの魚雷は日本海軍のそれと違い、射程は短い。加えて今は夜で、視界が狭まっている。つまり望みどおりに魚雷を叩きつけるためには否が応でも近づく必要があった。それこそ敵艦の舳先を拝めるほどまで。
「舵戻せ」
「舵戻します。舵中央。
この後、二度の針路変更を行うと<マイソール>は敵艦隊の針路、その真正面へ躍り出た。
駆逐艦<マイソール>は、その生涯において最も苛烈な時間に突入しようとしていた。
◇========◇
※次回更新は1/3(火)となります。
よいお年を。
毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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