獣の海 (Mare bestiarum) 42

 

 艦内の移動は少しだけ難儀した。区画ごとに水密扉が全てロックされていたからだった。初めは律儀にハンドルを回したネシスだが、根元からねじ切れてしまった。


「ええい、しゃらくさいのう」


 水密扉と隔壁の隙間に指を無理やり差し入れ、そこから扉を引きはがす。数センチの厚さを持つ扉が、布切れのようにぼろぼろとはがれた。そんな作業を何度か繰り返すうちに、少し広い空間へ出た。つい1時間ほど前まで、司令室として機能していた区画だった。


 有機化したパイプが縦横無尽に床や天井、壁をはい回り、血管のように波打っている。計器類も臓器のような塊と化し、小刻みに膨張を繰り返していた。極めて醜悪な悪夢を見ているようで、潜水艦として機能していた頃の面影を見出すのは困難だった。


「あやつめ、根こそぎ肚におさめおったな」


 室内のあちこちにドイツ海軍の制服が散らばっていた。それらを身にまとっていた人間は一様に身体を溶かされ、白骨化していた。そのうち骨すらも溶けてなくなるだろう。


 骸の山を一瞥すると、ネシスはさらに奥へ進むことにした。目前には分厚い肉壁が展開されていた。加えて、これまでにないほど堅牢で魔導による結界も張られている。物理的にも精神的にも、拒絶の意思が感じられた。


 なんと可愛く、いじらしく、そして莫迦正直なものかとネシスは思った。ついつい愛しさすら覚えそうになる。


「ふふ、そこにおるのじゃな。よいぞ。妾がてずから、心ゆくまで愛でてやる」」


 舌なめずりをして、ネシスは肉壁に手をかけた。剥がし、引き裂き、ばらばらにし、さらに穿って、削り取っていく。数分も経たずして、全ての肉壁がはがれ、新たな区画が見えた。


 他の区画と様子が違うことにネシスは気が付いた。赤い非常灯に照らされ、壁やパイプ、計器類が原型を保っていた。この区画だけ、レールネの浸食を受けていなかった。


「なぜじゃ……これではまるで何かを避けて──」


 ネシスが違和感の正体を思案したのは、ほんの少しの時間、数秒程度だった。しかし、それで十分だった。射程内に既に彼女は入っている。あとは照準を違わず命中させればよい。


 衝撃に後に、爆発音が耳を貫いた。直前、ネシスの瞳には赤い火炎を放つ円が見えていた。


 細長いイチジクに似た金属体が数ミリ秒で到達、ネシスの胸部に命中していた。間髪入れず、炸薬が起爆し、弾頭の先端に仕組まれた円錐状の金属を溶かし、メタルジェットへ変性させる。高熱の金属が命中個所を深く抉った。衝撃はネシスの体内を貫き、胸から背中にかけて大きな穴を開けた。


 悲鳴すら上げることなく、ネシスは倒れた。しばらくの間、静寂があたりを包んでいたが、おもむろに赤い非常灯の区画から人影があらわれた。手には鉄製の長い筒が握られている。


「目には目を、ラケーテロケットにはラケーテロケットをってね」


 軽快な口調でクラウスは言った。


 持っていた筒を床に放り投げると、硬い音が響いた。ドイツ国防軍が開発した携行式対戦車擲弾筒パンツァーファウスト60の発射機だった。重量は6.8kgで、200mmの装甲貫徹力を有している。同時代の装甲車両は一通り餌食にできる仕様だった。


「うーん、我ながら会心の一撃! パンツァーファウストを撃ったのは久しぶりだったけど、この距離ならば、まあ──」


 戦果確認のため、クラウスはネシスの亡骸へ近寄った。胸にぽっかりと大穴が空き、臓器らしきものが散らばっている。


「外しようがないね。上出来グートだ。さて、我が姫君の──」


 クラウスが踵を返した時、ごほりと咳き込む声が鼓膜を震わせた。クラウスは模範的なSS将校らしく、敢闘精神に溢れていたが愚か者ではなかった。振り返ることなく、狭い艦内を前のめりに転がり、背後との距離をとった。


「妾に風穴を開けたのは、お前で二人目じゃ」


 ドイツ語で感想を述べると、うろんげにネシスは身体を起こし、立ち上がった。赤色灯の元では良く見えなかったが、胸の穴は塞がっているようだ。


「うわあ、すごいな。君、もう立てるの?」


 茶化した態度をとりつつも、クラウスは新たな得物を構えていた。肩から下げていたMP40短機関銃だ。


「そのような玩具が妾に効くと思うてか?」


「そうだね。でも、試してみるよ」


 中腰で構えると、迷いなくクラウスは引き金の指を屈曲させた。閃光が瞬き、数秒も経たずして32発の9ミリパラベラム弾が発射された。


 狭い艦内で跳弾の危険もあったが、クラウス自身は全く意に介していなかった。密閉空間で月鬼と対峙している状況に比べれば、是非もなく受け入れるべきリスクだった。


 クラウスにとって幸いなことに、狙われたネシスは全く微動だにしなかった。おかげで大半の銃弾は狙った通りに直進した。腰だめに撃ったにしては、驚異的な命中率だった。不幸だったのは、一発もネシス本人に届かなかったことだ。


 銃声が響くと、すぐにネシスは前方に小さな黒いBMを展開し、障壁代わりにした。9ミリパラベラム弾は全て黒い塊に吸収され、どこかへ消えていった。


「おぬしの弾は要らぬ。不愉快極まりない」


 BMを解くと、静かにネシスは告げた。


「冗談にしてはきついなあ」


 さしものクラウスも参った顔だった。これからMP40を入れ替えても、距離を詰められるだろう。あるいは、イチかバチか収納ベルトに突っ込んだ柄付き手榴弾を投げるか。いや、予備動作で感づかれる。


 取れるべき選択は限られていた。


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

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よろしくお願いいたします。

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