獣の海 (Mare bestiarum) 41
橙色の火矢は迷いなく一瞬にして、<U-219>へ突き刺さった。五式噴進砲の弾頭には500キロあまりの炸薬が装填されていたが、破裂することはなかった。発射時に信管を意図的に破棄していたからだった。もし炸薬を搭載していたら、致命的な損害を負わせていただろう。
爆発こそ起きなかったが、<U-219>は身もだえた。
「いたっ、いたい! いたい! これ、なに……ネシス!?」
『おぬし、少し見ぬうちに肥えたな』
ネシスの声が響き渡った。それは念話でもなく、水中音響でもなかった。あきらかに<U-219>の内側から発せられている。
「ネシ、ス、あなた……まさか……」
『余計な肉を妾が削いでやろう』
何かの比喩かとレールネは思ったが、すぐに考えを改めることになった。極めて残酷な直喩だった。
「あ……ああ、そんな、いゃあああああああああああああああ……」
わき腹から激痛が全身を駆け抜けていった。
「食われている。わた、しが……」
声にならぬ悲鳴を上げる。痛みとともに全身から力が吸い取られていくのがわかった。たった今、文字通りネシスの餌食になっていた。身体を物理的にむしばまれていくのが嫌でもわかり、それが一層のことレールネを恐慌へ駆り立てた。
あまりに非現実的で、理解不能な事態だった。思考が千々に乱れて制御できない。
信じられない。
痛覚による神経の摩耗を認む。霊子制御へ影響大。
頭がおかしすぎる。
魔導の展開速度を低下を認む。質量変換が極めて困難。
どうかしていて、受け入れたくない。
敵生体による浸食拡大を認む。生命維持に深刻な危機。
よりにもよって……自分を
状況不明にして理解不能。
「ネシス、あ、あなた、ああ……」
『ほぅ、おぬし、良い声で鳴けるのだな』
ネシスのあざけりが、レールネの怒りを呼び起こし、痛みを押しつぶした。より直截的に言い換えるのならば、脳内物質で痛覚を緩和した。
「ネェシスゥウウウウウウ!!」
レールネとともに、<U-219>は咆哮すると漆黒の海の中を怒涛の如く暴れ泳いだ。ネシスを振り落とそうとマニューバーを繰り返すも一切無駄だった。臓腑に牙を立てられ、啜られていく喪失感が容赦なくレールネを襲い続けた。
【魔導駆逐艦<宵月>】
「敵潜、見失いました!」
見張り員から奇妙な報告を受けながら、儀堂は喉頭式マイクを水測室に繋いだ。
「水測、状況を知らせ」
『こちら水測、航走音らしきものを捉えるも、距離、方位ともに特定不能。どうも滅茶苦茶に動きまくっているとしか』
「構わない。奴が離れてくれれば御の字だ」
続けて、マイクの回線をいじる。
「魔導機関、聞こえるな」
『こちら魔導機関、どうぞ』
「すぐに浮上しろ。可能な限り、全力で海上へ辿り着け」
『了解』
回線を切ると、<宵月>がたどたどしく海底を離れ、空へ向けて飛び立った。
「ネシス、待っているぞ」
暗く閉ざされた海の向こうを儀堂は見つめていた。
【Uボート<U-219>】
<U-219>は狂ったように無茶苦茶な方向へ航走しつづけていたが、障害を取り除くことが出来なかった。理由は単純でネシスが艦内の奥深くまで侵入していたからだ。
噴進砲弾を銛代わりにして、ネシスは<U-219>に到達するや、破孔から艦内へ潜り込んだ。そこから先は一方的な捕食だった。
レールネの魔導によって有機生体化した隔壁を爪で裂き、牙を立て、魔導の源である霊力を吸い取った。口の端から体液とも油ともわからない液がしたたり落ち、口内が異臭に包まれても全くお構いなしだった。
その姿はまさに御伽草子に伝わる鬼そのもので、前世紀ならば討伐の対象になっていただろう。
「おえっ……」
あまりにもがっつきすぎたのか、ネシスはせき込んだ。なにしろ久方ぶりに霊力を補充したのだから無理はないだろう。シカゴで儀堂の首に牙を立てて以来、彼女は霊力を十分に回復することはできていなかった。
「まだ物足りぬが腹八分にしておくかのう……」
名残惜しそうに口元をぬぐいながら、ネシスは呟いた。腕がべたべたと濡れていたが、不快には思わなかった。むしろ、心地よさすら感じていた。
気が付けば、<U-219>の揺れが治まっていた。ようやく無駄だと気が付いたのか、あるいは観念したのだろうか。
「いいや、あやつがそんな殊勝なはずもない」
試しに肉壁の一部を強引に剥がしてみたが、ぴくりとも動かなかった。気を失ったのかもしれない。だとしたら好都合だ。
「さて、馳走になった礼をするかや」
ネシスは鼻歌を奏でながら、<U-219>の前部へ向かった。
◇========◇
毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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