獣の海 (Mare bestiarum) 39

「お前は何を言っているんだ?」

 

 我ながら間の抜けた質問だった。


『だから、妾と契れと言っておるのじゃ。もっと直截に言わねばいかぬか。交尾しろ』


『あなた、何を言っているんですか!?』


 御調の声がハスキーからソプラノに転調された。


『お主こそ、何を驚いているのじゃ。ははん、さてはお主、生娘かや?』


『私は関係ないでしょう!』


『恥じらうな。妾もまだ清いぞ。おぬしらの世界でも、まぐわいの秘儀は在るのであろう?』


『確かに……密教には、ありますが……』


「……それで解決するのか?」


 急な頭痛に耐えながら、儀堂は尋ねた。


『いいえ、駄目です。何が起こるかわかりません』


『血を啜らずとも霊力を得られるのじゃ。妾が儀堂に牙を突き立てるよりは、よほどマシであろう?』


「なるほど……」


 儀堂が実行の現実性について検討し始めた時、咳払いが横から聞こえた。ローンだった。気まずそうに、こちらを見ていた。耳当てから音が漏れていたのかもしれない。


「儀堂司令、お話の途中で大変申し上げにくいのですが、まずは足元にあるUボートの残骸について尋ねたほうがよろしいかと思われます」


「……それもそうだな」


 儀堂は軽く頭を振ると、ネシスにUボートの残骸が紅く輝いてると告げた。ネシスは儀堂の説明を、じっと黙って聞いていたがおもむろに口を開いた。


『妾としたことが……レールネの残滓に気づかぬほど萎えておったか』


 少し前のあっけらかんとした声とは対称的に、ネシスはしおらしく呟いた。


『儀堂、お主とのまぐわいだが、しばらく先まで預からせてもらう……』


「ああ、わかった。まあ、それはいいが妙案があるのかい」


『ある。しかし、やはりお主の協力が必要じゃ。御調、お主もじゃ』


『何をすればいいのです?』


 真意がわからず、御調は警戒感をむき出しに尋ねた。


『そう、案ずるな。簡単なことじゃ。お主がかつてやったことよ』


 悪童のようにネシスは嗤った。



 数分後、ネシスはUボートの残骸の上に立っていた。

「あやつの食い残しを貪りたくはないが……背に腹は代えられんからのっ!」



【Uボート<U-219>】


「参ったなあ。こんなはずじゃなかったんだけど」


 クラウスは途方に暮れていた。彼は司令室の中、ちょうどソナー室だったところにいた。聴音しようというわけではない。腰を落ち着かせる椅子が、そこにしかなかったからだ。


 有体に言ってしまえば、お手上げに近かった。果たして自分がどこにいて、これからどうなるのか全く不明だ。分かっていることは、暴走したレールネが<U-219>を完全に乗っ取っていることだった。


 レールネの暴走はクラウスにとっても計画外のことだった。さすがに想定外と言うわけではない。過去に多大な犠牲を払いつつも、ドイツ人は月鬼との付き合い方を学び、そしてドイツ人らしくマニュアルまで作成していた。


 暴走時の解決策は至ってシンプルで、生命活動を停止させることだった。先ほどはシアン化合物を体内に投与することで一時的に抑制できた。もっとも月鬼は異常な生命力で解毒してしまう。気付け薬と同等で、気休め程度にしかならない。今回の場合、再覚醒した後も暴走が解けていなかったのだ。結果としてクラウス以外の乗員がレールネに食われてしまった。


 内ポケットからクラウスはキューバ産の葉巻を取り出すと、マッチを擦った。香り高い紫煙が上っていく。ハインツが生きていたら、怒鳴られていただろう。


 傍から見れば余裕に見えただろうが、内心は全く違った。大脳皮質が頻繁に神経伝達を繰り返し、脳内麻薬が嵐のように分泌されている。


「どこで選択を間違ったかな?」


 もう少しやりようはあったように思う。


 例えば、最初から敵の正体や任務について明かしていたのならばどうだろうか。いや、やはり上手くいく未来が見えない。あのレールネの気まぐれに、ハインツや兵士たちがついていけるとは思えないのだ。


 Uボートの乗員を、ナチ党の士官と兵士で固めたらどうだろうか。良い案のように思えた。ただ、その場合は練度に問題が生じそうだった。別々の部隊からかき集めることになるだろうから、十分な訓練期間を要するだろう。そうなると時機を失ってしまう。


 あるいは、いっそのことレールネと自分だけで任務を遂行するべきだったのかもしれない。今回の一件で、その気になればレールネ単独で恐るべき威力を発揮すると分かったのだ。ならば他の連中は有象無象ではないか。


 問題は、その場合にクラウス自身も不要な存在となりかねないということだった。特に、レールネがネシスを仕留めたなのならば、危うかった。クラウスたちはネシスら他の月鬼の情報と引き換えに、レールネの協力を得ているのだから。いつレールネから用済みと判断されるか、わかったものではなかった。


 これから先、お互い対等であるためにも、より強力な枷が必要に思えた。


「うん、そうだな。それがいい」


 クラウスは呟くと、おもむろに立ち上がった。


「さて、我らがお姫様プリンッツェセンのご機嫌を伺いますか」


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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