獣の海 (Mare bestiarum) 37
「Uボートの乗員か」
呟いた後で、くだらない選択肢を思いついた。果たしてどちらが悲惨なのだろうか。海底で駆逐艦に蹂躙されるのと、得体の知れない鬼に食われるのと。
「食われるのは嫌だな」
足掻いたあげくの最期ならば幾分か慰めがありそうだが、一方的に養分にされるのは味気なさすぎる結末だ。我ながら呆れた思考だった。この期に及んで、戦争に感傷できるとは。
「ネシス、お前でも抑えきれないのか」
『ギドーよ、すまぬが──』
返事が途切れたが、結果の予測はついた。
ついに<U-219>が<宵月>の軛から逃れてしまった。筆舌しがたい不協和音の嵐とともに、船体が真っ二つに裂け、船体前部のみが飛び出していく。まるでトカゲの尻尾切りのようだが、残された部位は決して小さくなかった。
<U-219>は切断面から重油や艦内の備品、遺留物を垂れ流していた。BM内を遊弋する軌跡はとても不安定だったが、逃走の気配は見られなかった。
「莫迦げている……」
すぐ近くで興津の声が聞こえた。きっと悪夢でも見ている気分なのだろう。確かに悪夢には違いなかったが、質量を持った悪夢だった。これまで現実離れした光景は幾度も見てきたが、全く慣れないものだった。
「誰が砲火を止めろと言った?」
固唾を飲んで見守る艦内に儀堂は冷たく言い放った。怒りと殺気が込められ、興津は額に冷や汗を浮かべた。
「撃ち方止めなど、俺は言っていない。全火力で、あの化け物を叩き落とせ」
速やかに命令が実行され、指向可能な火器が<U-219>を捉えるや、鉄火のシャワーを浴びせかけた。砲火が炸裂するたびに、<U-219>の動きが鈍くなり、やがて完全に空中で制止した。
追い打ちばかりに全火力が注がれ、<U-219>の船体は炎と煙に包まれて視認できなくなるほどだった。
儀堂は撃ち方止めの命令を出さざるをえなかった。情けをかけたわけではない。砲煙が晴れるのを待つためだった。BM内が密閉空間のため、しばらく時間がかかるかに思われた。だが儀堂の予想は最悪のかたちで裏切られた。
BM内に咆哮が響き渡り、砲煙を突き破って<U-219>が現れた。その姿は原型を全く留めていなかった。
<U-219>の艦首部がぱっくりと横に割け、
誰かが「神よ」と呟くのが聞こえた。恐らく、ローンだろう。怒涛の異常事態に<宵月>の将兵たちは完全に飲み込まれていた。ただ一人、例外だったのはやはり儀堂だった。何を今さらとすら思っていた。
「クソったれの化け物め……」
儀堂は感想を吐き捨てた。
「全艦、撃ち方はじめ! やるべきことがあるだろうが!」
何の迷いのもなく、自身と<宵月>を戦闘へ駆り立てた。敵の戦闘力は不明だが、だからと言って引き返すわけにはいかなかった。第一、相手が素直に引き下がるとは全く思えなかった。実際のところ、儀堂の予想通りの未来が訪れた。悪い予感ほど的中するものだ。
変異した<U-219>は艦首の顎を開き、再び大きく咆哮した。そして、おもむろに<宵月>へ向けて、方向転換を行った。先ほどと打って変わり、海生哺乳類を思わせる滑らかな機動だ。そのまま<U-219>は、<宵月>へ向かってきた。
<宵月>は弾幕で応えたが、効果は感じられなかった。<U-219>はあらゆる抵抗をはじき返した。その意図は明らかに思えた。意趣返しだ。<宵月>に突撃し、船体をぶち抜くつもりだろう。
「ネシス! 離脱しろ!」
儀堂が叫んだとき、<U-219>の艦首から紅い光が放たれた。今度はさすがの儀堂も呆気にとられた。予想だにしなかったことだが、すぐに何が起きたか悟った。あの野郎、魚雷発射管を復元しやがった。
「総員、耐衝撃!」
離脱は間に合わない。ネシスも同様に思ったのか、動こうとはしなかった。数秒後の破局を覚悟した儀堂の目前に、紅い方陣が展開された。直後にバチリと眼の奥がはじけ、ネシスとの共有が途絶えた。
「なっ……」
艦橋内の風景が網膜に映し出され、儀堂は戸惑った。
「あいつ何を考えて──」
直後、儀堂は艦橋内の誰もが一点を見つめているのに気が付いた。視線を追った先には、ネシスが展開する紅い方陣があった。
<U-219>から放たれた魚雷が、次々と方陣に吸い込まれていく。最初の2発は命中と同時に、爆音と衝撃波をまき散らし、<宵月>を揺さぶった。続く2発を食らったところで方陣が破れた。
その結果、<宵月>の左舷側の艦橋構造物は深刻な損害を受けることになった。具体的には機関砲などの火器類が操作員もろとも全滅したのだった。
◇========◇
毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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