獣の海 (Mare bestiarum) 35
後部魚雷発射管室に押し込まれ、クラウスは窮屈そうに身を縮めた。
「私を戻すなら、ゲストルームにしてもらえないかな。たぶん、君らにとっても、そのほうが良いと思うよ」
クラウスは本気で何かを案じているようだった。
「ダメだ。もったいぶったところで、俺は騙されないからな。お前のせいで、要らぬ災難を抱えちまったんだから。おまけに何のために戦ったのかわからない相手に降伏だ。戦争はクソッたれだが、その中でも最悪のクソだ」
フラーは心の底から怒りを抱えていた。ハインツの判断に異議はなかったが。内心では降伏を認めたくなかったのだ。せめて己の意志と選択によって戦っていたのならば、まだ受け入れられたのかもしれない。こんな得体のしれないSS将校と月の化け物の玩具にされたくはなかった。
「わからないのも無理はないよ。ただ、言い訳をさせてもらうなら、私もレールネの全てを把握しているわけじゃない。あくまでもお守であって、本気を出した彼女を自由にはできないのさ」
「それでも、もっと早くあのガキと敵の正体を伝えてくれれば、何か変わったかもしれないだろ」
「そうかもしれない。だけど、君らとの情報共有を拒んだのは海軍の方だよ」
フラーは耳を疑った。
「どういうことだ……?」
「我々は月鬼の実戦投入に当たって、事前に訓練をしたいと申し出た。だが、海軍司令部は却下した。信じがたいのですがね、どうやら親衛隊が君らを接収するつもりだと思ったらしいようで。だから、まあぶっつけ本番になったわけで」
真実とは限らないが、嘘とは言い切れなかった。かつての海軍司令長官、そして第二代総統のデーニッツが爆破テロに遭って以来、海軍は武装親衛隊を敵視しがちだった。表立っては口を閉じているが、内心では武装親衛隊がデーニッツを暗殺しようとしたのではないかと疑っている。フラーもその一人だった。
「思い当たる節があるだろう?」
クラウスは突如立ち上がるとフラーの顔を覗き込んだ。思わず面食らい、フラーは手にした銃を突きつけた。
「座れ!」
「すまないが、それはできない」
フラーが銃で殴りつけようとした瞬間、目の前が暗くなった。突然、身体全体が氷点下に包まれたように寒くなり、たちまち心音が止まる。
クラウスの眼前には黒い壁があった。それは不意に消え去ると、後から少女が現れた。
「おはよう、レールネ。朝食は済んだかな」
◇
【魔導駆逐艦<宵月>】
「艦長、司令塔より誰か出てきます」
叫んだ後で、興津は自分が言い間違えていることに気が付いた。しまった。あの人、今は艦長ではなく司令だ。
言い直そうとしたとき、司令塔から出てきた人影に探照灯が当たった。まぶしそうに片腕を額に当て、もう片方に白い布をもっているのがわかった。我々は勝ったのだ。
興津が喜びを抑えながら振り向いたとき、見張り員の誰かが声を裏返らせた。
「司令、敵潜が発光! 紅く輝いています」
思わず見返すと、Uボート全体が紅く輝いていた。
「全兵器使用自由。噴進砲、準備出来次第撃て!」
<宵月>の上部構造物の全火力が一斉に噴火し、Uボートに牙を剥いた。
【Uボート<U-219>】
「今すぐ戻ってこい」
白旗を手にした兵士へ向けて、ハインツは叫んだ。しかし、ほんの数秒遅かった。司令塔の上部から頭部を無くした兵士が落ちてきた。
「畜生、なぜだ?」
真っ赤に染まった白旗をハインツは握りしめる。白旗が見えなかったのか。あるいは、日本人の憎悪を買いすぎたのかもしれない。いずれにしろ何もかも遅すぎた。
船体のあちこちに被弾し、船内のいたるところから火花が散った。
「機関室より火災発生!」
「応急班、消火急げ! それから航海長、先任を呼び戻せ」
ハインツが全ての原因を悟ったのは、そのときだった。司令塔内に、クラウスが入ってきたのだ。しかも、背後には一人の角の生えた少女を引き連れていた。背筋が凍り、いくつかの疑問が生じた。
「そいつはなぜ生きている? フラーはどうした? 貴様、何を──」
目を剥いてハインツが問うと、艦内のいたるところに紅い線が走っていった。
「ハインツ中佐、
クラウスが名残惜し気に別れを告げると、少女を中心に黒い波が司令塔内を覆いつくした。ハインツは何が起きたのかわからないまま、波に飲み込まれ絶命した。黒い波は船内をくまなく行き渡り、数秒後<U-219>の将兵全ての生命活動が停止した。
◇========◇
毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援いただけますと幸いです。
(弐進座と作品の寿命が延びます)
最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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