獣の海 (Mare bestiarum) 34


 ローンの要望に応えるため、儀堂はUボートをBM内部に拘束していた。鎖でつないでいるわけではないが、BMによって海水が除去され身動きが取れない状態だ。


「ギドー司令、もう少し<宵月>をUボートへ寄せていただけませんか。この距離からではクリアに撮影できない」


 私物だろうか、ローンはカメラを手にしていた。


「お願いします。ドイツが今回の攻撃を行った証拠を抑えなければなりません。どうか近くで写真を撮らせてください」


 わずかだが<宵月>が水平方向へ移動した。距離にして500メートルほどだろうか。


「ローン大尉、ここまでだ」


「ありがとうございます。可能ならば照明弾を撃っていただけますか。サーチライトだけでは暗すぎる」


「おい、注文が多すぎないか」


 興津が呆れた口調で言った。


「いい写真は明るくないと撮れませんよ」


 艦橋内から、儀堂のため息が聞こえた。


「第一砲塔だけ使用を許可する。その他の全火器はUボートを指向しろ。少しでも動きがあれば、全力で撃て」


 第一砲塔が仰角をとると、立て続けに照明弾を三発発射した。


「ネシス、悪いが今発射した弾を吊ってくれ」


『わかった。まったく手間のかかる奴らじゃ』


 ネシスは念話ではなく。|艦内の高声令達器スピーカーで返事をしてきた。儀堂に対する愚痴か、あるいはローンに対する当てつけなのかもしれない。きっとその両方だろう。


「早くしてくれ」


 儀堂は静かにローンへ告げた。


「10分ください」


「3分だ。大尉、あと3分で切り上げる」


 有無言わさない口調だった。


「わかりました」


 ローンは振り返らずに答えた。ひたすら無心でシャッタを切り続けている。


「ずいぶんと大きなUボートだな。新型か」


 興津のつぶやきに、ローンがそれとなく答えた。


「ドイツが沿岸工作用の新型を開発したと聞いていますよ。恐らくは、そいつでしょう。ほら、前部の上部甲板が細長く膨らんでいるでしょう。たぶん、格納庫ですよ。きっと、あそこから小型潜水艇や機雷を搬出するんです」


「なるほど、さすがは技術大国と言うべきか」


 脅威を感じながら、興津は双眼鏡で確かめた。たしかに上部甲板が蒲鉾のように膨らんでいる。小型の車両程度ならば格納できそうだ。そういえば艦政本部の同期から、航空機を搭載可能な潜水艦について聞かされたことがあるが、開発は進んでいるのだろうか。


 そう思ったときだった。司令塔のハッチが開いた。


【Uボート<U-219>】


 ハインツらが異変の原因に気が付いたのは、外から聞こえた発砲音だった。それは<宵月>が閃光弾を放った際に、生まれた音だった。ソナーを介さずとも、艦内の誰もがクリアに捉えられるほどの爆発音。しかし、おかしなことに衝撃は襲ってこなかった。もし爆雷が作動したのならば、多少なりとも揺さぶられるはずだった。


 正体不明の爆発音とゼロを指す深度計から、ハインツは莫迦げた仮説を導き出した。自身の正気を疑いながら潜望鏡を上げると、そこには閃光弾に照らされた鋼鉄の月が浮かんでいた。


──あれが<ヨイヅキ>か。


 なんと禍々しい艦だろうか。船底が紅く光り輝き、地獄の底から這い出てきたかのようだ。あんな艦を指揮する日本人は、いったいどんな奴なのだろう。俺のように振り回されるがままなのか……いや、たぶん違うな。


 ハインツはさらにぐるりと潜望鏡を一周させ、<U-219>の状況を正しく認識した。どうやら、あの駆逐艦を中心に空間が生まれているようだ。そいつにすっぽりと俺の艦は飲み込まれているのだ。それに理屈はわからないが、内部には空気が満たされている。さもなければ閃光弾が燃焼できない。そこまで考えた時、ハインツは苦笑いを漏らした。


 艦橋から外に人が数名出ているのが見えたからだ。ヤキが回ったと思う。駆逐艦が水中で行動しているのだから、何かしら細工があって当たり前だろう。


「どうしました?」


 クラウスが小首をかしげ、尋ねてきた。ハインツは答えの代わりに、潜望鏡の光景を見せた。続いて先任のクラウスにも交代させる。


「なんというか、こいつは見事にお手上げですね」


 潜望鏡に顔をつけたまま、フラーが感想を述べた。


「ああ、陸に上がったのと一緒だ。にっちもさっちもいかん」


「どうしましょう?」


「さて、どうしますか」


 フラーとクラウスが同時に言った。フラーはあからさまに嫌そうだったが、クラウスは眉を上げ愛想笑いをした。


 ハインツの答えは決まっていた。


「降伏する」


 司令塔内が一瞬沈黙し、すぐに声が上がった。今度もフラーとクラウスが同時だった。


了解ヤー


反対ですナイン


 険しい顔のフラーに対し、クラウスは顔つきこそ穏やかだったが、目の奥に怪しげな意思を宿していた。


「ハインツ少佐、考え直してください。この艦を敵に渡すのは、ドイツにとって国家的な損失となります」


「そうだろうな。しかし、ならばどうするね? お前さんの月鬼は使い物にならなくなっただろう? あの駆逐艦を見たな。全火器を俺たちに向けている。その気になれば、いつでもやれるんだぞ」


「力を合わせて時間を稼ぎましょう。上部格納庫には備砲があります。それに後部発射菅は無事です。水中に戻れば抵抗も出来るはず」


「たった一門の備砲では、どうにもならん。俺は軍人だ。あがけるうちはあがくが、もはや術はない」


「諦めては駄目です。あなたにはドイツ軍人としての義務がある」


「そうだ! だからこそだ。俺は兵士を犬死させない!!」


 ついにハインツは激高した。


「義務? 義務だと? たしかに、俺やお前も場所は違えど、どこかで宣誓はしただろう。だが、そいつは国家も同様だ。俺たちが義務を果たすにあたって、ベルリンがどれほど誠実だった? 目的もつけずに海へ出し、撃つべき敵の正体も明かさず、義務を果たせだと? ふざけるな!」


 ハインツの剣幕に司令塔内は静まり返った。クラウスは押し黙っていたが、気おされたわけではないようだった。冷ややかな視線を向けている。


「先任、クラウス大尉をゲストルーム、いや後部魚雷発射菅室に送って差し上げろ。誰かもう一人くらい連れていけ。俺がいいと言うまで外に出すな」


「ヤー。さあ大尉、行こうか」


 クラウスは抵抗せずに従った。ただ司令塔を去り際、一度だけハインツへ振り返った。


「艦長、あなたへの支援と配慮欠いたことについて謝罪します。全て明かすことはできなかった。ただ、そのうえでやはり進言します。ご自身のためにも、選択を考え直したほうが良い」


「お気遣いどうも」


 クラウスは、それ以上は何も言わず静かに司令塔を去っていった。ハインツも目もくれなかった。


「おい、誰か白い布を持ってきてくれ」


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

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よろしくお願いいたします。

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