獣の海 (Mare bestiarum) 32

 <U-219>が魚雷を放った後、すぐに<宵月>も爆雷を全弾放り投げた。方舷4発ずつ、艦尾の投下軌条から2発、計10発の大盤振る舞いだった。


 方舷から放たれた爆雷には細工があった。発射時の炸薬を少なくしていた。そのため本来よりも遠くに飛ばず、<宵月>のすぐ近くに落とされた。


 投射と同時に儀堂は、ネシスに<宵月>の浮上を命じた。爆雷は深深度で調定していたため、BM領域外へ出てから爆発まで少し間があった。結果的に浮き上がった<宵月>の真下で10発の爆雷が爆ぜることになった。


 至近距離で水中衝撃波を食らい、<宵月>の船体は悲鳴を上げた。危険な賭けの代償として、あちこちの装備が少なからず損傷をおった。爆雷投射機の部品が吹き飛び、カッターが甲板から転げ落ちた。この戦いから生還しても、総点検は必要不可欠だろう。だが、それでも全く構わなかった。決して安くない代償だが、<宵月>は賭けに勝ったのだから。


 水中爆発を推力に変えて、噴進弾ロケットのごとく<宵月>は一気に浮上していった。ただし、その軌跡は真上にではなく、少し斜め上になっていた。針路上には<U-219>があった。


「うそ……」


 咄嗟にレールネは目をつぶり、顔を伏せた。連動するように<U-219>の艦首が海底へ向かって釣合ツリムを下げ、とてもではないが人が立っていられないほどの角度になった。



 突然<U-219>が急傾斜になり、何の準備もなく立っていたクラウスとハインツは転倒した。クラウスの持つワルサーP38からパラベラム弾が発射された瞬間だった。銃弾は船内を跳弾したが、幸い誰にも当たらなかった。


 <U-219>の傾斜は間もなく元に戻されたが、これもあまりに突然すぎて乱暴だった。まるで巨大な手で無理やり水平にしたかのようで、艦内のあちこちで損傷や負傷が生じた。


 硬い音がして、クラウスの手からワルサーP38が滑り落ちる。ハインツは無我夢中で銃を拾いに行き、後をクラウスが追った。あと一歩のところでクラウスがハインツのふくらはぎをつかみ、手が銃に届かなかった。


「畜生が!」


 血走った眼でハインツはクラウスの頭を蹴る。額から血が流れたが、クラウスは無表情のまま足を離さなかった。その人間離れした反応にハインツは戦慄を覚えた。


「艦長、落ち着いてください。誤解です」


 フリッツ・クラウスSS大尉は他人事のような口調だった。


「誤解も糞もあるか! お前のせいで、俺の艦は沈みかけているんだぞ」


 ハインツは足を振り払おうともがこうとしたが、クラウスが急に手を離した。わけもわからないまま自由になり、ハインツはワルサーP38をひっつかんだ。すぐに上体を起こすと、クラウスへ銃口を向けた。


 クラウスは床に座り込み、ハインツの目をじっと見つめていた。


「いいでしょう。その銃はお貸しします」


「ふざけるな! 早く、あの化け物を止めろ!」


 銃口をレールネが入った長方形の黒い箱に向けられていた。焦点の合わない半開きの瞳をした少女が鎮座していた。


「わかりました」


 意外なことにあっさりとクラウスは同意した。


「最初からそのつもりだったんですがね」


 やや不満げにクラウスは言うと、立ち上がってアタッシュケースを持ってきた。そして中から銀色の平たいケースを取り出した。


 ハインツは、どこかで見た記憶があると思った。どこだ? ああ、わかった。俺の叔父さんが、良く取り出していた。前の戦争の後遺症で、ひどいモルヒネ中毒だったんだ。


 ケースから出てきたのは銀色の注射器だった。続いてアンプルを開封し、針で薬液を抽出する。


「あーあ、完全に我を見失っている」


 レールネの表情を確認しながら、クラウスはぼやいた。ドレスの袖を捲し上げると、慣れた手つきで針を刺した。


「モルヒネか?」


 嫌悪感をにじませながら、ハインツは言った。


「いいえ、違いますよ」


 冷たい声だった。


「青酸化合物です」


 注射桿を指で押し、薬液が注がれる。レールネの瞳から光が消えていく。


「……殺したのか」


 唖然とハインツは尋ねた。


「こうでもしないと止められませんから」


 事務的口調でクラウスは言った。


【魔導駆逐艦<宵月>】


『儀堂、すごいぞ! あやつ妾の下に潜り込んだぞ!』


 やや興奮しているのか、ネシスの声が大音響で脳内に響いた。


「声を落とせ。頭が割れる」


『おお、すまぬ。すまぬ』


 全く悪びれずにネシスは言った。


「あいつはどうなっている?」


 視界を転じると、まさに眼下の敵だった。<宵月>と入れ替わるように、Uボートらしきものが海底に突っ込み横たわっていた。先ほどとは打って変わり、紅い輝きは消えてしまっているため、黒いぼんやりとした雰囲気しかわからない。


『とどめをさすか?』


 ネシスが小首をかしげた風に聞いてきた。


「お前、あの月鬼に関しては遠慮がないのだな」


『……言わなかったか? 浅からぬ因縁があるのじゃ』


 久方ぶりに怒気の籠った声音を聞いた。


「なるほど」


『はようせい。妾はいつでも構わぬ』


 儀堂は30秒ほど黙った後で答えた。躊躇っていたのではない。興津から悪い報せを聞いていたのだ。


「司令、爆雷が使えません。先ほどの衝撃で投射機が故障しました」


「散布爆雷もか?」


「はい。修理に時間が要ります。1時間は──」


「30分で終わらせろ」


「了解!」


 修理が完了する見込みは不確実だ。どんな手を使ってでも、今すぐここで奴を確実に殲滅しておきたかった。次の僥倖がいつになるかわかったものではない。


『司令、ひとつ提案をよろしいでしょうか』


 制止したのは、ローンだった。突然、無線に割り込んできたのだ。


『爆雷が使えないと聞きました』


「ああ、手短に頼む」


『ならば……爆雷がなければ、砲弾を使いましょう。ただ、その前に──』


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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