獣の海 (Mare bestiarum) 30

【魔導駆逐艦<宵月>】


 儀堂の視界で、目前の敵は明らかに激変したのがわかった。


「おい、ネシス。どうなっている?」


 紅く煌々と輝いたUボートが、<宵月>へ驀進してきている。敵の位置がはっきりしたのは良いことだが、とてつもなく嫌な予感を覚える光景だった。


『はは、あやつめ、ひっかかりおったわ。まったく、ういやつよのう』


 嬉々とした鬼の声が耳当てから伝わり、思わず儀堂は怒りを覚えた。


「ずいぶんと嬉しそうだな。あの野郎、こっちに吶喊とっかんしてきているんだぞ」


『ほう、左様か』


「他人事のように言うな。お前、何をやった?」


『なぁに、檄を入れてやったのよ。ほれ、さっき紡いだ歌よ。あれは獣の歌と言うてな。妾たち月鬼の闘争心を滾らせるものじゃ』


「ヒロポンを耳からぶち込んだようなものか」


『ヒロ何某は知らぬが、おかげで目立つようなったろう』


 小癪だが、ネシスの言う通りだった。今やUボートは自ら位置を暴露し、あまつさえ近づいてきてくれている。いささか性急すぎたのは否めないが、好きにしろと言ったのは他ならぬ儀堂自身だ。


『言っておくが、もはや妾らの位置は向こうも知るところぞ』


「だろうな。迎え撃つぞ。ネシス、お前は歌い続けろ」


『ほう、よいのかや? ますます活気づくぞ?』


「かまわない。やってくれ。むしろ、もっと滾らせろ」


『はは、面白い。ならば遠慮はなしじゃ』


 再び海中にネシスの歌が響き渡る。呼応して、Uボートの輝きがましていくのがわかった。さらに増速してくる。


「副長、爆雷の残弾を知らせ」


 儀堂は艦橋内へ告げた。興津がすぐに応える。


「散布爆雷が5投射分、通常爆雷が30発です」


「よろしい。爆雷投射準備、方舷各三発だ」


「了解。爆雷投射準備」


「浅深度に調定」


「浅深度に調定、よし」


「総員衝撃に備えろ」


「総員、耐衝撃」


「連続投射」


「連続投射、6発始め」


 <宵月>の両舷から乾いた爆発音が生じ、ドラム缶に似た爆雷が放り投げられた。爆雷はBMの領域外へ出ると、ほどなく信管を作動させた。巨大な水泡が<宵月>の周囲で生じ、擾乱する。さらに海底の泥が巻き上げられる。一度は晴れるに見えた泥の煙幕が再び展開され、<宵月>を包み込んだ。


『そうそう同じ手は通じぬぞ』


 ネシスの声が脳内に響いた。無線ではなく念話で語り掛けてきたのだ。


「わかっている。そのまま歌い続けろ」


 耳元で囁かれているようで、何とも落ち着かない。


「ネシス、浮上だ。少しだけでいい。<宵月>を持ちあげろ。それから機関始動。奴との距離を開けるぞ」


 <宵月>の船体が海底を離れたが、推進器に回転がかかるまでしばらくかかった。古代魚シーラカンスのごとく、這うように鋼鉄の月が前進していく。


「微速前進、速度そのまま」


「微速前進」


「散布爆雷投射準備。俺の合図で射て」


「散布爆雷投射準備」


 Uボートと<宵月>の相対距離がさらに縮まっていく。お互いの距離が一千を切ったとき、やがて<宵月>は泥の煙幕から舳先をのぞかせた。


「散布爆雷投射」


「散布爆雷投射、はじめ」


 ほぼ同時にUボートから魚雷が2本放たれた。紅い魚雷だった。


「取り舵、後進いっぱい! すぐに煙幕へ入れ」


 散布爆雷が海底に突き刺さり、小さな爆発を連続的に生じた。<宵月>の推進器が逆回転し、俯瞰して左斜めに後退していく。


 紅い魚雷はじぐざぐに彷徨い、闇雲に煙幕へ突っ込んだ。それらは<宵月>の位置よりも、はるか前方で信管を作動させ、海底に新たなクレーターを穿った。


「ざまあみろ」


 儀堂は口角を挙げた。奴は目に頼りすぎている。だから外した。もしネシスの歌声を頼りに魚雷を誘導していたら結果は違ったものになっただろう。


──あと4本だ。4本、空振りに終わらせてやる。


 Uボートの魚雷発射管は前部に6本、後部に2本だ。先ほど2本消費したので、残りは4本になる。その全てを回避するつもりだった。


 これまでのところ、敵はネシスの歌に影響されて、正常な判断を失っている。もし儀堂がUボート側ならば、焦らずに<宵月>が煙幕から出てくるのを待っただろう。爆雷で擾乱するにしろ、数に限りがある。加えて何よりも長時間の潜航で、酸欠になってしまう。いずれは姿を暴露しなければならないはずだった。


「ネシス、もう十分だ。歌を止めてくれ。ネシス?」


 興に乗っているのか、一向に歌が止む気配がなかった。


「ネシス、歌はもういい。BMの調整に専念し──」


『……妾は歌っておらぬ』


「なんだと? しかし、この歌は……」


『おのれ……そうか。おぬしであったか』


 押し殺したネシスの声が耳朶を震わせた。


「ネシス、この歌はUボートの──」


『レールネ、それが奴の名じゃ。あやつは、妾を殺すために生まれた鬼じゃ』


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

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よろしくお願いいたします。

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