獣の海 (Mare bestiarum) 25

【駆逐艦<宵月>】


 クラウスの見立ては間違っていなかった。<宵月>は窮地に陥りつつあった。


 <U-219>が放った魚雷は<宵月>の艦首上方で自爆した。ちょうどネシスのBMに触れる寸前のことだった。爆発エネルギーが水圧へ加算され、<宵月>は海底へ向けて突き落とされた。


 耐衝撃を告げる間もなく、<宵月>は大きく揺さぶられ、そこかしこで被害が生じた。幸い、計器類や装備の損傷は軽微だったが、負傷者が続出することになった。鋼鉄の箱に入ったまま、シェイクされたのだから、誰であろうとタダで済むはずがなかった。


 艦橋にいた儀堂とて、例外ではなかった。隔壁に全身でぶつかり、床に倒れ伏すことになった。肺から空気が叩き出され、身体の各所が悲鳴を上げる。それらを強制的に振り払って、儀堂は立ち上がった。


 艦橋内を見るに誰もが何らかの負傷を追っていた。興津は左足首を捻挫し、壁にもたれながら立っていた。見張り員は強かに頭部を打ち付け、気絶している。


「大丈夫ですか」


 足を引きずりながら、興津が尋ねた。


「ああ、なんとかね……」


「すぐに被害報告をまとめます」


 興津は額から汗を流しながら、受話器を手にした。


「頼む」


『ギドー司令』


 耳当てからローン大尉の声が響く。どうやら無事だったらしい。


「ローン大尉、こちらは無事だ」


『よかった。戦闘指揮所こちらの人員は無事です。何名か湿布薬と気付け薬が必要そうですが、幸いなことに重傷者はいません』


「良いニュースだな」


『ええ、全く《イグザクトリー》。ただ悪いニュースと言うか、予感もあります。司令、戦況表示盤が動いていません。ネシスの状況はどうなっていますか』


 戦況表示盤はネシスの感覚と同調していたはずだった。それが機能していないということは……儀堂はマイクの回線を切り替えた。


「ネシス」


 返事の代わりに苦悶の声が上った。


「大丈夫ではなさそうだな」


 そこで儀堂は気が付いた。先ほどまで共有されたネシスの視界が途切れて、彼の網膜には艦橋内の光景が映し出されていた。もっと早くに気が付いても良かったはずだ。


『おのれ……手ひどく、やられたわ』


 かすれた声でネシスは嗤った。思っていたよりも悪いことになっているようだ。艦橋内にある深度計を見て、顔から血の気が引く。針がメーターを振り切っていた。<宵月おれたち>は今、どこにいるのだ?


「ネシス、<宵月>の周囲を把握できるか? いま、どれくらいの深さにいる?」


 しばらくして、返事が返ってきた。


『海の底に横たわっておるよ』


 言葉の意味を咀嚼して、儀堂は訝し気に聞き返した。


「まさか、海底まで突き落とされたのか?」


『だから、そう言っておるじゃろうが」


 拗ねた声でネシスは言い返した。我ながら莫迦なことを聞いたと思ったが、それなりの理由はあった。衝撃が少なすぎたのだ。


 海底まで一気に沈降したのならば、数百メートルの深さまで叩きつけられたことになる。<宵月>を襲う衝撃も甚大だったはずで、被害も相当なものになっただろう。下手をしたら船体そのものが大破してもおかしくはなかった。しかしながら、数名の負傷者で済んでいる。


 理由を考えて、すぐに儀堂は思い当たった。


「ネシス、お前が<宵月>を守ったのだな」


『ようやく気が付いたかや。不意を食らったとはいえ、上出来であろう?』


 隔壁の向こうにいる、ネシスの不敵な笑みが目に浮かんだ。やはり、爆発と落下の衝撃を同時に吸収していたらしい。


「確かに、お前はよくやったよ」


『であろう? ふふ──』


 素直にネシスを労うと得意げにネシスは嗤った。しかし、その途中で咳き込んでしまった。不穏な雰囲気を感じ、儀堂は同室している御調に尋ねた。


「御調少尉、ネシスの状況はどうなっている?」


『余計なことを──』


 遮るネシスをよそに御調が簡潔に答えた。


『かなり不調かと』


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

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