獣の海 (Mare bestiarum) 24


【Uボート<U-219>】


 赤色灯の中で船体の軋む音が響いていた。鋼鉄の船体が僅かに揺らされている。震源は<U-219>自身が放った魚雷だったが、到底心地よいものではなかった。


 乗組員の誰もが固唾を飲んで重心の位置に気を配っていた。<U-219>は海底へ向けて、つんのめるような角度で航行している。気を抜けば後ろへ倒れこんでしまうだろう。


「爆発音、至近です」


 ソナー室から窮屈な姿勢のまま、顔が出された。


 <U-219>のソナーについていたのは、ロットマンと交代したブルーノだった。ロットマンよりも若かったが、水測員としての経験は等しかった。


「わかった。引き続き頼む。ああ、耳をやられないようにしてくれよ」


 ハインツはブルーノの肩を軽く叩いた。


了解ヤー


 ブルーノは肯くとイヤーマフを掛けた。


「ご心配ですか」


 海図台の近くで、クラウスSS大尉が尋ねた。すぐそばには水測員のロットマンがぐったりと腰を下ろしていた。


「ああ、おおいに心配だね」


 ハインツは皮肉を込めて言い返した。


「こんなわけのわからない悪夢に囲われて、いつまでも正常にいられるとは思えん」


 ハインツは掌を返し、船体内部の隔壁を撫でるように腕を回した。隔壁には紅く光り輝く線が幾重にも走っている。それらは不規則な角度で付けながら、艦尾から艦首へかけて船体を縦方向に貫くように描かれていた。


 クラウスが連れてきた月鬼によってもたらされた怪異だった。あまりに突然のことで、<U-219>の艦内ではパニックを起こす兵士が続出した。海図台の近くで気を失っている、ロットマンもその一人だった。かわいそうに、正気を取り戻すためには長期間の療養が必要だろう。


 先任のフラーは司令塔にはいなかった。彼は後部魚雷庫のパニックを抑えるために離れたのだ。


「不自由をおかけしますが、慣れてください。我々には必要な力ですから」


 クラウスは申し訳なさそうに肩をすくめた。


「ずいぶんと落ちついているな。君には何が起こっているのか、わかっているのか?」


「ええ、まあ、すべてではありませんが……私は彼女の力を信じていますから」


 クラウスは何の気なしに答えた。


「あのお嬢さんフロイラインは自由に魚雷を操作できるらしいな」


 探るようにハインツが言うと、目前のSS大尉は首を傾げた。


「ある程度は可能ですよ。いろいろと条件はあるらしいですがね」


 <U-219>が放ったG7魚雷は月鬼によって細工されていた。本来ならば誘導と自爆の機能を持たなかった魚雷だった。しかし魔導によって、それらを実現した結果、<宵月>に対して反則的な攻撃を実行できたのだった。


 クラウスの説明受けて、ハインツは急に自分が莫迦らしくなってきた。いったい俺は何しに来ているのか。こいつらが遊びに使う魚雷を運び、海へ投げ捨てただけではないか。


「魔導ってやつは、便利なものだな。」


 吐き捨てるように言うと、クラウスはすぐに肯定した。


「ええ、全くその通り」


 そこでクラウスは自身のイヤーマフに手を当てた。どうやらゲストルームの月鬼と通じているらしい。携帯式の無線機だった。相当小型化されているもので、クラウスは今まで見たことは無かった。陸軍の無線機でも、ここまで小さいものはないだろう。


「艦長、彼女からリクエストです。前部と後部発射管の再装填を急がせてください」


「無茶を言うな」


 ハインツは苛立った声で答えた。こいつらは魚雷を銃の弾倉と等しく考えていやがる。クソッたれが、どこの世界に数百キロの弾倉があるというのだ。巨人ギガントでも呼んで作業をさせるがいい。


「いいか、お前さんたちが景気よくぶっ放した魚雷うなぎは一本、数百キロもするんだ。そいつは、お手軽に再装填できるもんじゃないんだよ」


 クレーンを使い固定した魚雷を持ち上げ、発射管に押し入れるまでどんなに急いでも二十分近くかかってしまう。おまけに今は戦闘中で、まともに動くこともままならない。


「ああ、なるほど。これは失礼しました。重量の問題ですね。少々お待ちを──」


「おい、何を──」


 言い終わる前に艦の前後の隔壁の向こうで叫び声があがった。何事かと思ううちに、後部魚雷発射室から、障害物競走のように狭い艦内をすり抜けてフラーがやってきた。


「艦長、あのクソッたれな赤い線が魚雷にまで手を伸ばしやがって……」


 血走って目でフラーが言うと、クラウスが手を挙げた。


「ご心配なく。大丈夫。大したことはありません」


 誰もが聞こえるように、よく通った声で彼は言った。そのまま演説でもやりそうだった。さぞかし絵になりそうな佇まいだった。


 確かにクラウスの言う通りだった。<U-219>の騒ぎはすぐに収まり、魚雷の再装填もすんなりと上手くいった。


 魚雷の重量が限りなくゼロになり、片手で持ち上げることが出来たためだ。あの月鬼は重量を自由に操作できるらしい。あるいは、全ての月鬼はそうなのかもしれない。いずれにしろ、<U-219>は新たなスピアーを手に入れたのだ。


「艦長、<ヨイヅキ>は弱っています。次で止めを刺しましょう」


 クラウスは未来に疑いを持っていなかった。


「果たして、そううまくいくか」


 ハインツは懐疑的だった。誰だか知らないが、潜水艦相手にわざわざ執念深く海底まで潜ってくる野郎だ。そう簡単にくたばるとは思えなかった。


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

また作者のTwitter(弐進座)のフォローをいただけますと幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る