獣の海 (Mare bestiarum) 23


 魚雷の破片はBM内に散乱し、そのうちの幾つかが<宵月>の前部甲板に落下した。幸いなことに、信管と炸薬部分はなかった。それらは<宵月>の脇をすり抜けていった。


「取り舵いっぱい。最大戦速。ネシス、<宵月>を水平に戻せ」


 すぐに儀堂は態勢を立て直すと、眼前の敵へ向けて突撃した。<U-219>との距離は開いていた。魚雷で動きを封じ、逃げるつもりだったのかもしれない。


「逃すか、莫迦野郎」


 低く儀堂は呟いた。こんなところでお預けを食らうなんてまっぴらだった。儀堂衛士は借りを作るのが大嫌いだった。直ちに返してしまわなければ、気が済まない。


 幸いなことに<U-219>の足は遅かった。紅く輝きを放ちながら、深海を彷徨っている。一瞬、「あいつは、いったい何がやりたいのか」と儀堂の脳裏に妙な違和感がよぎった。しかし、すぐに追撃戦へ思考がシフトした。


「ネシス、奴の頭を抑えに行くぞ。わかるな」


 返事の代わりに、<宵月>の深度計が徐々に右へ振れていく。


『きつい仕置きが必要なようじゃな』


 ネシスは儀堂の意図を把握していた。再び<U-219>の頭上からありったけの爆雷を喰らわせてやる気だ。


「ああ……」


 やはり何かがおかしいと儀堂は思った。相手は月鬼を抱え、妖し気に船体を光らせているのだ。このままなすがままになるのか。


「ネシス、怪しい兆候はないか。例えば空気が抜けるような、あるいは水が満たされるような音だ」


 魚雷の次発装填を儀堂は警戒していた。


『いいや、ないが……』


 ネシスは言い淀むと、再び続けた。


『ずいぶんとしおらしい。よほど、おのれの正体を晒したくないようじゃな』


「どういう意味だ?」


『あだやに魔導を使役して、おのれが誰が感づかれるのが嫌なのかもしれぬ。あるいは──』


「罠か」


 初戦でサーペントに釣られて、魚雷を叩き込まれている。仮に、あの状況と今を照らし合わせるのならば、目前のUボートは自らサーペント役を買って出ていることになる。


「ずいぶんと殊勝な奴だな」


 マイクのスイッチを切り替える。つないだ先は、艦橋の後方にあった。


「ローン大尉、そちらから見て何か気づかないか?」


 しばらくして、戦闘指揮所のローンから返事があった。儀堂に応えるため、艦内電話の受話器を取りに行っていたのだろう。


『いえ、特には異常はありません』


 公共放送のように流ちょうな日本語だった。


『儀堂司令、何か気にかかることがおありですか?』


「誘っているように見える」


 ローンには、儀堂の言葉をかみ砕く時間が必要だった。


『……見えざる魔の手がどこかにあると?』


「確信はないが、向こうは俺が仕掛けようとしているとわかっているはずだ。仮にも月鬼を抱えながら、むざむざとやられるとは思えない」


『後部発射管に注意したほうが良いでしょう。先ほど発射された魚雷は一本だけです。私の記憶が正しければ、発射管は二本あります』


「なるほど、忠告感謝する」


『いえ、当然のことですよ』


 ローンは心なしか嬉しそうだった。久しく軍人らしい働きをしているからだろう。


 無線の回線を切り替えた後で、儀堂は脳内の映し出されたUボートに集中した。先ほどからネシスの視界を共有したままだが、慣れると便利な機能だった。自分自身がまるで<宵月>になったかのように思えてくる。


 <U-219>との間隔は確実に縮まっていた。比較対象がないため、正確な距離は掴めなかったが、1キロは切っているだろう。


──惜しいな。砲戦ならば必中なのだが。


 もちろん無理な話だった。<宵月>と<U-219>は水深200メートル付近で追撃戦を行っている。先ほど魚雷を回避したときに、<U-219>とほぼ同じ深度になったのだ。前部の第一と第二砲塔ならば指向可能だが、水中で発射した砲弾は理不尽に減衰する。水圧の影響で、まともに当たるとは思えなかった。


 自身の妄想を内心で一笑に付すと、儀堂はまじめに戦争をすることにした。


 <U-219>に変化があったのは、そのときだった。ツリムを調整し、艦尾が<宵月>の方を向く。心拍数が上がるのを自覚する。後部発射管から細かな気泡が湧いた。


「ネシス──」


『心得た』


 同時に<U-219>から魚雷が発射された。


 ネシスは前方にBMの空間を展開し、向かってくるG7e魚雷を迎え撃とうとした。それは儀堂の考えを汲んだ行為だった。この距離での回避は困難で、また下手に変針をすると攻撃の機会を逃すことなってしまう。


 何ら不自然ではない、合理的な判断だった。


 しかし、全く疑問がなかったわけではない。


──悪あがきにしては、ずいぶんと芸がない。


 失望に近い感想だった。しかし、それは傲慢の裏返しと思い知らされる。


 突如視界が揺さぶられ、<宵月>全体が水中衝撃波のハンマーでぶん殴られた。


 理由は単純だった。


 発射した魚雷は、ネシスのBMに入る前に信管を作動、自爆した。


 <U-219>は魚雷を爆雷代わりにしたのだ。


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

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