獣の海 (Mare bestiarum) 22

【駆逐艦<宵月>】


 ぼんやりとした視界が浮かび上がっていた。魔導機関の中で、ネシスの認識はひたすら広がり続けている。


 彼女の歌は、あらゆる生物の感情を反響させてきていた。海中のプランクトンから脊椎生物まで、地中海を漂う生物が、ネシスの歌に情動を震わされている。それらの大半は感情と呼ぶには拙すぎるほどで、微細な神経活動でしかなかった。しかし<宵月>と同化したネシスにとっては十分すぎる反応だった。彼女は魔導機関によって感覚が増幅され、あらゆる生命活動を感じ取ることが出来た。


 自身の歌が届く範囲内にいる、全ての生物がネシスには見えていた。大半は光の粒でしかなかったが、遠くのほうでぼんやりと灰色の塊が蠢ているのがわかった。まだら模様の細長い塊で、酷く怯えているのがわかった。


──可愛いのう。


 舌なめずりをしたくなり、同時に深い憐みと愛おしさを覚えた。ネシスは<U-219>が発する恐怖を見て取っていた。深海の闇に包まれている恐怖、突如降り注ぐ爆雷への恐怖、そして得体のしれない呪詛のような歌が<U-219>を揺さぶっている。


 そろそろかとネシスは思った。あともう一度、絶叫すれば<U-219>は自ら位置を暴露するだろう。歌を広範囲に拡散させ、恐怖の反響を捉え、ある程度方向を絞り込んだところで絶叫を木霊させる。一連のプロセスでネシスは海に潜む敵を炙り出していた。


 ネシスの歌声が弱まっていく。徐々に音量をフェードアウトさせ、肺に生ぬるい空気を満たす。あとは喉を絞り込んで、慟哭に似た叫び声を響かせるだけだ。ネシスが探針音ピンを放とうとした瞬間、<U-219>が自ら位置を暴露した。


「なんじゃ!?」


 抹香鯨に似た紅いシルエットが燃え上がるように深海に浮かび上がった。


「ギドー、来るぞ。あやつめ、尻尾を出しおったわ」


『どこからだ?』



『妾の前、斜め下よ』


 すぐに儀堂は艦橋から確かめようとしたが、あいにく船体の真下まで目は届かなかった。小さく舌打ちをすると、すぐにネシスへ繋いだ。


「ネシス、視界を俺に寄こせるか」


『できるが、またぞろミツギに叱られるぞ』


「かまわん。少しの間だ」


 儀堂は眼帯を引きはがすと、ぼうっと右目が温かくなるのがわかった。すぐにバチリとした閃光とともに電気ショックのような激痛が疾走、視界が共有される。


 紅い円筒形の光が見えた。恐らく、ネシスが言う「あやつ」の正体のなのだろう。


「あれか……」


 ぼやけた輪郭が徐々に明らかになっていく。先端が刀のように切りかけ状になっているがわかった。あきらかに潜水艦の艦首だ。


「奴に俺たちは見えているのか」


『ああ、恐らく見えておるよ』


「ずいぶん堂々としたものだな」


 紅い塊を視野に入れながら、儀堂は皮肉めいた感想を漏らした。隠密性を最大の武器としている潜水艦が『我こそは』と名乗りを上げているようなものだ。


「散布爆雷準備、俺が合図したら叩き込んでくれ」


「了解」


 すぐ近くから興津の声がした。今の儀堂には艦橋内の風景が見えていない。目前のUボートに全神経を集中させていた。<U-219>は<宵月>の艦首の右舷20度、距離2キロ、水深200メートル近くを右方向へ旋回しつつあった。爆雷攻撃を回避しようしているのだろうが、あまりにも鈍足だった。もう数分も経てば、<宵月>の射程に入るだろう。


『気をつけよ。奴め、魔導を身にまとっておる』


 儀堂が返事をしようとしたとき、<U-219>の艦尾から何かが放たれた。直感で儀堂は理解した。魚雷だ。後部発射管から放ったのだろう。


「面舵いっぱい。第三戦速」


 <宵月>の推進器が回転数を増やしていき、右方向へ舵を切った。<U-219>の進行方向へ先回りしつつ、発射された魚雷を回避する算段だった。


「舵戻せ。現針路を維持」


「舵戻します。舵中央。宜候」


 操舵手の声が聞こえた。相変わらず艦橋内の様子はわからなかったが、不安はなかった。興津が為すべきことなしているだろう。それに不意打ちでもない限り、水中で発射された魚雷が当たることはめったになかった。


──本来ならば当たらない。


 そんなことは<U-219>も理解しているはずだ。にもかかわらず、魚雷を撃ってきたのは自棄になったからなのか。


──いいや、違うな。


 恐らく追尾式の魚雷だ。嫌なことに儀堂の予測通り、魚雷は針路を変えて向かってきた。とてもではないが、回避行動は間に合いそうになかった。


「ネシス、魚雷の耳を潰してくれ」


 直後、ネシスの絶叫が海中に響き渡った。推進音を頼りに追尾してくるのならば音でかき消してしまえばいい。しかし、儀堂の目論見は外れた。


 魚雷はさらに針路を変えて、確実に<宵月>を捉えるコースをとった。畜生な魚雷だ。とにかく何でもデカい音を追ってくるらしい。とんだ欠陥品だとも思う。


『あの機械仕掛けの魚は、どうやら妾に懸想しているようじゃな』


「ふざけているのかい」


 憮然と儀堂は言い放つと、けたけたした笑い声が耳当てから響いてきた。


『はてさて、どうする。刻はないぞ』


 確かにネシスの言う通りだった。魚雷が下方向から近づいてくるのが見えていた。不愉快な気分だ。5千トンの戦闘艦が、たかだか数百キロの棒切れに翻弄されるとは。


 はたき落としてやりたい。


 そうだ。


 はたき落としてやれ。


 儀堂は喉頭式マイクをいじり、艦内放送へ繋いだ。 


「総員。何かにつかまれ。これから手荒く<宵月>を動かす」


 慌ただしい動きが儀堂の周辺で生じた。


「ネシス、<宵月>を魚雷へ突っ込ませろ」


『ほう、何やら面白いことを企んでおるな』


「ああ、面白いさ」


 <宵月>は艦首を傾斜させると、自ら魚雷に向けて突入し始めた。相対距離が一気に縮まり、100メートルを切ったときだった。


「ネシス、艦首方向にBMを展開! 魚雷の下へ潜り込め!」


 <宵月>上部に展開されたBMの空間が艦首方向へ移動し、魚雷が進入する。海中からBM内部の空中へ入ったことで、スクリューが空回りし、急激に推進力を失った。


「はたき落とせ!」


 空中に投げ出された魚雷を全火力が指向した。そのうち第二砲塔から刹那に放たれた砲弾が、G7e魚雷の中央部をぶち抜いた。


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

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