獣の海 (Mare bestiarum) 14
『漂流物発見。獣骸、恐らくサーペントタイプ』
「サーペントだと?」
おかしい。俺は確かに魚雷を撃たれたはずだ。
サーペントは轟雷と呼ばれる圧縮空気の塊を放ってくるが、魚雷と明確に異なっている。水測員が、魚雷と轟雷の推進音を聞き間違えたとも思えなかった。
喉頭式マイクのスイッチをいじると、甲板の高声令達器に繋ぎなおした。
「こちら艦長。浮遊物は確かにサーペントか?」
耳当て越しに相手の兵士が息を飲むのが分かった。よもや指揮官自ら尋ねてくるとは思わなかったのだろう。
『間違いありません。あないなゴツい浮袋、月明かりでもはっきりと見えます』
関西地方の訛りで兵士は答えた。
「そうか……わかった」
マイクのスイッチを切る。
「反転して投射海域へ戻りますか。速度を落として、念入りに確かめてみては?」
興津も納得しがたい顔を浮かべていた。
「いいや、その必要はない」
魚雷を放つサーペント……新種か?
いや、待て。
サーペントだぞ。そこがおかしい。
そもそもサーペントごときに、ネシスもうちの水測員も気が付かなかったというのか。
だいたい、あのサーペントは<宵月>が接近しても何の抵抗も見せなかった。
まるで<宵月>を……クソッたれが!
「増速、第五戦速となせ!」
儀堂が怒鳴り声をあげると同時に、耳当てからネシスが危機を伝えてきた。
『ギドー……挟まれたぞ』
続けて水測員から悲鳴のような報告が入る。
『轟雷、探知! 至近です』
今度こそ魚雷ではなく、轟雷だった。4頭のサーペントが左右から挟撃態勢で轟雷を放ってきた。最初のサーペントは囮で、<宵月>を罠にはめるつもりだったのだ。
「面舵いっぱい……! 方位1‐8‐0。突っ込め!」
鋼鉄の船体を軋ませながら、<宵月>は右舷側へ大きく回頭していった。増速しているため、小回りが利かなくなっている。結果的に<宵月>は初めに右舷側から発射された轟雷2発へ向けて艦首を向けることになった。そのまま、かろうじて二つの轟雷の間を抜けられるかと思ったが、そのうちの片方が運悪く右舷艦尾をかすった。
直後、背後から体当たりを食らったような衝撃が<宵月>を襲った。圧縮された空気が破裂し、水中衝撃波が<宵月>の船体を揺さぶった。
「……畜生どもめが」
毒づきながらも儀堂は椅子につかまり、何とか身体を支えた。やにわに体を起こすと為すべきことを艦内に伝える。
「被害報告! 副長、機関の無事を確かめろ! 足を止めたら終わりだ」
そのまま喉頭式マイクのスイッチを切り替え、ネシスに繋ぐ。
「ネシス」
『蛇どもならば、この先におるぞ。あやつら、まるで流木のように漂っておる』
不快そうにネシスは言った。
「サーペントなど、どうでもいい」
儀堂は声を低くして断言した。その場にいる者が、思わず指揮官の様子を確かめたくなるほど殺気立っていた。
「そいつらは雑魚だ。あとで必ずぶち殺してやるが、その前に魚雷をぶち込んできた奴を探せ。恐らく、そいつが主犯だ。もうすぐ尻尾を出すぞ」
しばらく間があった後で、ネシスが「ほう」と感嘆した。
『お主の言った通りじゃ。魚雷とやらが向かってきたぞ。すぐ左じゃ。4本も来ておる』
見張り員から雷跡発見と報告があった。<宵月>を包み込むように扇状に放たれ、距離は500メートルを切っている。今さら舵を切っても間に合いそうにない。並の駆逐艦ならば、回避行動は至難の業だ。
しかし、<宵月>は
『またぞろ、飛ぶかや?』
ネシスが気を利かせ、<宵月>の船底が紅く光輝く。たちまち方陣が展開された。
しかし、儀堂は首を振った。隔壁の向こう、狭い筒にいる鬼の姫へ伝える。
「いいや、飛ぶのはなしだ」
◇
【地中海 <U-219>】
連続した爆発音が続き、水中衝撃波が撒き散らされるのがわかった。水深80メートル、抹香鯨を思わせる船体の中で、不気味な衝撃音に耐える。
「はてさて、終わったのかな?」
黒い函の覗き窓から、堀の深い目元が見えた。瞳の色は澄み切った青で、人懐こそうな印象を覚えた。顔の一部を評価しただけでも、育ちと容姿に恵まれたことがわかる。
「……終わった」
黒い函から、くぐもった少女の声が響いた。どこか疲れたような、気だるさが漂っている。
「それは、実によかった」
青年は観音開きとなっている箱の扉を開けた。中には、場違いに可愛いドレスを着た少女がちょこんと座っていた。
「何か飲むかい。それとも食べる? ちょうど、桃の缶詰があるんだ」
フリッツ・クラウスSS大尉は、缶切り片手に微笑みかけた。
◇========◇
次回4月25日(月)に投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
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