獣の海 (Mare bestiarum) 9

 ドゥラス市内は逃げ惑う人々でかき乱されていた。大通りに人があふれ、この地域では貴重な自動車が立ち往生している。クラクションを鳴らし、しびれを切らした運転手がアクセルを踏んだ。数名の住民がバンパーに衝突して倒れる。直後、あっという間に群衆が車を取り囲み、運転手が引きずり出された。


「ひでえな……」


 ロレンツォが呟き、オロチは肯いた。


「ああ、全く」


 彼らは騒ぎに巻き込まれないように、裏路地から様子をうかがっていた。


 オロチの脳裏に、かつて見たパナマの風景が再生された。あの街も魔獣の大規模な襲撃を受けていたが、ここまで酷い混乱は訪れなかった。住民たちも無暗に外へ出ることなく、家でじっとしていた。何が違うのかと考え、すぐにわかった。


 当時―そして今も―パナマ周辺には世界有数の軍事力が集結していた。それが住民に心理的な安定をもたらしていたのだ。事実はどうあれ、魔獣の襲撃があっても自分たちは無事であると思い込むことができた。


 対して、アルバニアを含む中東欧は常に不安定だった。第一次大戦直後から小規模な内乱が頻発し、ナチスドイツの侵攻と第二次大戦の勃発が地域の不安定化を加速させた。そしてBMと魔獣の出現が止めを刺したのだ。


 要するに、アルバニア人は人類を当てにしていない。駐留している軍隊がイタリアであろうとドイツであろうと住民の反応は変わらなかっただろう。何か問題が起きた時、彼らを守るものはどこにもいないと確信しており、正しい認識だった。


 大通りの混乱を避けつつ、オロチとロレンツォたちは裏路地を伝っていった。二人ともドゥラスは初めての街だった。多少迷うこともあったが、目的地を見失うことなかった。とりあえずは銃声のする方へ向かえば良い。彼らがゴールへ着いたのは、上陸して一時間ほど経過したころだった。


 遮蔽物に身を隠しつつ、オロチはざっと周囲を見渡してみた。


 目前にはイタリア陸軍の駐屯施設が見えていた。元は街の役場だったらしく、派手さはないが堅牢な印象を覚える建物だった。4階建てのレンガ造りで、小口径の銃弾なら余裕で防ぐことが出来るだろう。


「爆弾でも仕掛けられたか」


 ロレンツォが建物の二階部分を指さした。派手に吹き飛ばされ、フロアの一部が丸見えだった。


「いいや、違う。外部からの攻撃だ。恐らく無反動砲だろう」


 内部から爆破されたのならば、もっと派手に破片が散らばっているはずだった。しかし、見たところ破孔が生じているだけで、建物全体への損傷は軽微だった。


「敵の練度は高くないな」


 半ば確信を覚えながらオロチは言った。破壊の仕方に合理性を見いだせなかった。衝動に任せて、撃ち込んだようにしか見えない。


 辺りには服装がまちまちの戦闘員が銃を構えている。恐らく無線で聞いたパルチザンの一味だろう。駐留施設を取り囲んでいるが、人数が少ない。退路の確保をしているのかもしれないが、あまりにも隙が大きすぎるし、攻撃が稚拙だった。彼らは無作為に銃弾を建物の窓へ撃ち込み、興奮していた。


「守備隊は、まだ生きているようだな」


 ロレンツォが自身の銃を構えながら言った。ベレッタM1934拳銃だった。かわいい印象を持つ銃だが、信頼性は高い。彼の部下はカルカノ小銃を構えていた。


 施設内から銃声が響いていた。突入してきたパルチザンを迎撃しているのだろう。


「ロレンツォ中佐、彼らの仕事を楽にすべきだと私は思う」


 ロレンツォはオロチを怪訝そうに見た。オロチはワルサーP38を手にしていた。既に撃鉄は起こされている。


「あんた、良い海兵になれるよ」


 片方の口端を急角度に上げて、ロレンツォは言った。


「光栄だな。さて、まずは外にいる連中を始末しよう。私が回り込んで奇襲する。不意を突いたところで、君らが撃ってくれ」


 オロチはドイツ国防軍の上着を脱ぐと、適当なところへ置いた。他の住民の気を引かないためだった。どこに内通者がいるかわかったものではなかった。


「おい、そいつは危険だ。もしも、あんたの身に何かあれば──」


「中佐、私はこの手の戦闘に慣れている。恐らく、ここにいる誰よりも……」


 オロチはそれ以上は続けず、姿勢を低くすると小走りで駆け抜けていった。


「まるで、ニンジャだな」


 フットワークの軽さに舌を巻きながら、ロレンツォは部下に指示を出した。


「おい、ウラが撃ったら一斉射の後で突撃だ。それが俺らの得意分野だからな」


 オロチは路地を横切ると塀を上り、民家の敷地を横切って、パルチザンたちの背後に出た。有り難いことに、裏口から連中を銃撃できそうだった。


 目測で二十メートルほどに、武装した五名のパルチザンが見える。外にいる敵の全力なのかわからないが、一人で相手にするには骨が折れそうだった。


「いざとなれば、三十六計だ」


 逃げてしまえばよい。あくまで敵の正体を特定するのが目的であって、戦闘の勝利は主眼ではなかった。


 オロチはワルサーを構えるとアイアンサイトを合わさったところで呼吸を止めた。引き金の指が屈曲し、衝撃とともにパラベラム弾が発射された。立て続けに三発が銃口が飛び出していく。


 今日は運が良かった。


 一発が敵の腹部に命中し、身体をくの字にして倒れた。奇襲は成功し、動揺したパルチザンが撃ち返してきた。とっさにオロチは身を隠した。甲高い発射音が響き、周囲の空気を切り裂いていく。数発がすぐそばの地面に跳弾し、向かい側の塀を抉った。


 盛大に弾をばらまけるとは、ぜいたくなゲリラだと思った。


 敵は短機関銃を装備していた。正規軍でも十分な数が支給されていないのに。オロチの放った、たった三発に対して、パルチザンは数十発の返礼を行った。いささか篤すぎる歓待だった。まもなく、それも取りやめとなった。ロレンツォが動いたのだ。


 オロチに気を取られていたところを脇から銃撃され、パルチザンの二名が倒れた。残された三名は悲鳴に近い罵声を上げるとロレンツォたちへ銃口を向ける。すかさずオロチが銃撃する。あとは簡単だった。


 二方向から制圧され、パルチザンは全員射殺された。


 残された死体にオロチは近寄ると、死体が握りしめていたものを引きはがした。ずっと気になっていた短機関銃だった。


「見慣れない銃だな」


 ロレンツォが首を傾げた。


「私は知っている」


 パナマでとある国の兵士が使用していた。


「ステン短機関銃ガン。製造元は英国だ」


「イギリス人の銃が、なんでこんなところに……」


「ああ、それこそが問題だ」


 オロチはパルチザンのポケットからステンガンの弾倉を取り出すと、無駄のない動きで装填した。そのまま銃声が続く、イタリア軍の施設内へ入っていく。


 一時間後、施設内のパルチザンは一掃された。



◇========◇

次回3月21日(月)に投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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