獣の海 (Mare bestiarum) 8

 オロチたちが目指していたのは、ドゥラスと呼ばれる港町だった。イタリア領アルバニアの中では比較的設備が整っている。中型の貨客船程度ならば停泊可能な程度だ。


 港に接近するにつれて、ロレンツォとオロチは違和感に気が付いた。煙が上がっているのは海側ではなく、内陸部の方だった。海側は混乱していたが、目立った火の手は見当たらなかった。


「どうやら俺が思っていたのと違うな」


 ロレンツォは当ての外れた顔で、ボートの速度を落とさせた。


「チェッリーニ中佐、無線で何かわからないか」


 オロチの言葉を受けて、ロレンツォは無線手に問い直した。


「駐留部隊にコンタクトはとれんか?」


 無線手は難しい顔で片耳のイヤーマフを外した。


「陸軍しかいなかったはずですが、オープンチャンネルで送信すれば……ああ、いや、向こうからオープンで打ってきています」


「……なんだって?」


 ロレンツォは怪訝そうに尋ねた。修行僧フランシスコ派のような苦渋を無線手が浮かべていたのだ。


「いや、それが……暴動だそうです」


「そいつは、また……」


 ロレンツォは肩透かしを食らった気分だった。てっきり魔獣が相手だと思っていたのだ。


「パルチザンに襲撃されたようです。武装して各所で暴れまわっています」


 無線手が続けた。


「ええい、クソッたれ」


 ロレンツォは小さく毒づいた。


「中佐、状況は逼迫している」


 オロチは断定口調だった。軍がオープンチャンネルで広範囲に無電を飛ばしているのだ。ラジオ放送プロパガンダなどではなく、救援要請だろう。


「ああ、わかっている。待ってくれ」


 ロレンツォは、なおも逡巡した。相手が魔獣なら単純な話だった。人類ならば誰にとっても共通の敵だ。はっきりと言ってしまえば、殺すのに迷いがない。


 しかし暴動となると話が別だった。敵味方の区別が容易でなかった。もちろんイタリア軍の兵士ならば軍装で識別できるが、民間人は話が別だ。パルチザンと民間人の境など無いに等しい。せいぜい武装しているか、そうでないかの違いでしかない。いいや、非武装を装っている可能性もある。


──駄目だ。行先を変えよう。


 上陸したとしても、待ち受けているのは混沌でしかなかった。魔獣相手の地獄の戦場なら喜んで乗り出していくつもりだが、パルチザン狩りはロレンツォの専門ではなかった。


 ロレンツォは自身の決断を伝えようとしたが、オロチに先制を取られた。


「中佐、私をあの港へ下ろしてくれ」


「そいつは、全くお勧めできないな」


 ロレンツォは表情を硬くした。オロチは構わずに続けた。


「あなたの任務は、私をアドリア海の対岸へ届けることだ。見たところ港に被害は及んでいない。もし戦闘を回避したければ、私を降ろした後ですぐに離脱してくれ。貴官らも巻き添えに会わずに済むだろう?」


「いや、駄目だ」


 オロチは数ミリばかり目を細めた。


「俺はあんたを無事に届けろと言われている。リムジンの用意まではできないが、まあ安心してくれ。こんなこともあろうかと、別の上陸地点も調べてある。少し遠回りになるかもしれないが……」


「中佐、あなたの深慮と果断には敬意を表する。しかし、それでも我々はあの港へ行くべきだと思う。せめて何が起きているのか、私ははっきりと見極めておきたい」


「どういうことだ?」


「あなたは昨日まで魔獣と死闘を繰り広げていた。あなただけではない。イタリア軍の半数近くは今でも戦闘を繰り広げている。アドリア海の東岸へかかずらわっていられないほどに……私には、ずいぶんと出来すぎた時機に暴動が起きたように思うのだ。まるでキューバのときのように……」


 オロチの言外を悟り、ロレンツォはうすら寒いもの感じた。キューバ騒乱におけるドイツの暗躍はイタリアでも噂されていた。


「なぜだろうな。ドイツ軍人のあんたが言うと、妙な説得力がある」


「さあ、私には皆目見当もつかないことだ。さて中佐、何度も言うが我々には時間がない。もしよければ、あなたが陸で動かせる人員はいかほどか教えてくれないか?」


 オロチは背後に続く舟艇隊を数えた。ざっと三隻ほどで、自分が乗っている分を含めれば合計4隻。各艇に4から5名ほど乗り込んでいたとして、恐らく陸戦に投入できるのは最大で10名ほどになるだろう。


 ロレンツォが出した結論は、オロチの予想通りだった。


「あんたと俺を含めて、せいぜい10人だ。あとは船の待機させる。陸に取り残されるなんてごめんだからな」


「よろしい。十分だ。我々の目的は戦闘ではない。それは現地の部隊に任せるべきだろう。あなたは私を港におろし、可能な限り情報を集めて帰る。あとは成り行き次第だ」


「なんともまあ、騒がしい観光になりそうだ」


 モーター音を潜り抜けて、銃声がロレンツォの鼓膜を震わせた。



 手近な波止場にM.A.S艇を付けると、すぐにロレンツォとオロチたちは街の中心地に向かった。


◇========◇

次回3月14日(月)に投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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