獣の海 (Mare bestiarum) 2
「逆に聞くが、本心から
ネシスが不満げに鼻を鳴らした。痛いところを衝かれたらしい。
『ええい、歯がゆいものよ。往時の妾ならば叶ったものを──』
「その言い草から察するに、昔ならば出来たのか?」
『少し手間がかかるが、やれんこともなかった。だが、
「ならば、今は大人しく待つことだな」
『お主のほうこそ、確たる証があって、あの英国人どもの露払いを引き受けたのであろうな?』
「あたりまえだ」
儀堂は寝返りを打った。簡易ベッドのフレームが耳障りな軋み音を立てた。
「標的は、これまで船団を幾度も襲撃している。偶然にしては多すぎるうえに、執拗だ。ならば、船団をエサにおびき出すほうが手っ取り早い」
耳当て越しに、喉の奥を鳴らす音が響いた。嗤っているのだ。
『おぬしらによほどの恨みがあるらしいのう』
「ふざけた話だ。恨みたいのは、むしろ俺たちのほうだというのにな。好き勝手に人の世界に土足で踏み込み、荒らしまわりやがって」
ネシスは口をつぐんだ。荒らしまわったという点では、自身も同罪だったからだ。
「ネシス」
察したのか儀堂が変わらぬ口調で続けた。
『……なんじゃ?』
「標的の正体について、本当に見当つかないのか?」
ジブラルタルで漂流物を調査した際、ネシスは術式の解明をしたものの、その行使者について明言しなかった。
「月鬼ではないのか? それともラクサリアンか?」
『光の民どもではないよ」
ネシスは冷めた声で断言した。どこか怒りをはらんでいた。
『あやつらは、御霊や思念というものの扱いが不得手なのじゃ。ゆえに妾たちを介してしか、操ることが出来ない。あの魔導は妾たち世界では、さほど珍しくもない術式じゃ──』
ネシスは一区切りすると、術式の説明を始めた。
『場に宿る御霊や思念をモノに宿し、それを操作するやり方よ』
「憑りついた状態か。魔獣と言うよりは、物の怪の類だな」
『こちらの世界での呼び名は知らぬが、まあそのようなものだろうて。お主や、憶えておるかや? 妾らは一度逢いまみえておるのじゃぞ』
しばらくあって、儀堂は答えた。
「<アリゾナ>か」
<宵月>、初陣。横須賀で会敵した<アリゾナ>だった。真珠湾奇襲で船体の半分を失うも、太平洋を横断、横須賀を火の海にした怪異だった。
「あれと同種か……ならば、やはりBMが潜んでいるということか?」
<アリゾナ>はオアフBMの影響で、怪異化したものと見られていた。BMは魔獣を生み出すだけではなく、怪異現象の発生源ではないかと疑われている。
『あり得ぬ話ではないのう……ただ、気に食わぬ』
「何がだ?」
『<アリゾナ>とやら、妾らを目当てで流れてきたのじゃろうて。おおかた光の民がシルクへ操るように強いたのであろう。しかし、此度はどうじゃ? 何の益がある?』
「少なくとも英国人は酷く困っているだろう。地中海における最大の兵站戦を食われているのだ。おかげで、北アフリカの防備とバルカン半島への支援もできない。なるほど……効果的だが、ずいぶんと遠回りなやり方だ」
『それよ、それ。ひどく小賢しく胡乱なのじゃ。まことに英国人どもが邪魔ならば、正面から叩き伏せればよいのに……のう?』
からかい口調でネシスは問い返した。
「つまり、<アリゾナ>を送り込んできた奴らとは違うと?」
『恐らくはのう……』
「そうか……」
やはり、何者かの意図が働いているのだろうか。
最も疑わしいのはドイツだったが、確証がなかった。表向き彼らはパナマ条約機構の準加盟国であって、敵ではない。パナマの騒乱の背後で暗躍している痕跡はあったが、特定には至っていない。
──いっそ、宣戦布告してくれたほうが溜飲も下がるだろうに。
もちろん現実的ではないと理解している。しかし、心情的には全く我慢ならなかった。何もかもが灰色で不確かだ。何よりも魔獣殺しとBM潰しに専念できないのが、耐え難い。
再びネシスが喉を鳴らし、嗤った。
『おぬし、苛ついておるな。思うところがあるのだろう。妾に話してみるがよい』
「大したことじゃない」
儀堂は小さくため息をついた。
「少し待ちくたびれただけだ」
『もっとはっきりと言えばよい』
「何のことだ」
答えはすでに出ていたが、あえて口に出そうとは思わなかった。
『とぼけるな。おぬしは戦いを求めておるのじゃ。妾とて同様よ』
否定はしなかった。
◇========◇
次回1月31日(月)に投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
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