獣の海 (Mare bestiarum) 2

「逆に聞くが、本心から地中海この海でお前は標的を探し出すつもりなのか? 敵対水域が絞られていても、四方数百キロの範囲に渡っている。お前の魔導で捜索できるのなら話は別だが?」


 ネシスが不満げに鼻を鳴らした。痛いところを衝かれたらしい。


『ええい、歯がゆいものよ。往時の妾ならば叶ったものを──』


「その言い草から察するに、昔ならば出来たのか?」


『少し手間がかかるが、やれんこともなかった。だが、この世界ここでは無理じゃ』


「ならば、今は大人しく待つことだな」


『お主のほうこそ、確たる証があって、あの英国人どもの露払いを引き受けたのであろうな?』


「あたりまえだ」


 儀堂は寝返りを打った。簡易ベッドのフレームが耳障りな軋み音を立てた。


「標的は、これまで船団を幾度も襲撃している。偶然にしては多すぎるうえに、執拗だ。ならば、船団をエサにおびき出すほうが手っ取り早い」


 耳当て越しに、喉の奥を鳴らす音が響いた。嗤っているのだ。


『おぬしらによほどの恨みがあるらしいのう』


「ふざけた話だ。恨みたいのは、むしろ俺たちのほうだというのにな。好き勝手に人の世界に土足で踏み込み、荒らしまわりやがって」


 ネシスは口をつぐんだ。荒らしまわったという点では、自身も同罪だったからだ。


「ネシス」


 察したのか儀堂が変わらぬ口調で続けた。


『……なんじゃ?』


「標的の正体について、本当に見当つかないのか?」


 ジブラルタルで漂流物を調査した際、ネシスは術式の解明をしたものの、その行使者について明言しなかった。


「月鬼ではないのか? それともラクサリアンか?」


『光の民どもではないよ」


 ネシスは冷めた声で断言した。どこか怒りをはらんでいた。


『あやつらは、御霊や思念というものの扱いが不得手なのじゃ。ゆえに妾たちを介してしか、操ることが出来ない。あの魔導は妾たち世界では、さほど珍しくもない術式じゃ──』


 ネシスは一区切りすると、術式の説明を始めた。


『場に宿る御霊や思念をモノに宿し、それを操作するやり方よ』


「憑りついた状態か。魔獣と言うよりは、物の怪の類だな」


『こちらの世界での呼び名は知らぬが、まあそのようなものだろうて。お主や、憶えておるかや? 妾らは一度逢いまみえておるのじゃぞ』


 しばらくあって、儀堂は答えた。


「<アリゾナ>か」


 <宵月>、初陣。横須賀で会敵した<アリゾナ>だった。真珠湾奇襲で船体の半分を失うも、太平洋を横断、横須賀を火の海にした怪異だった。


「あれと同種か……ならば、やはりBMが潜んでいるということか?」


 <アリゾナ>はオアフBMの影響で、怪異化したものと見られていた。BMは魔獣を生み出すだけではなく、怪異現象の発生源ではないかと疑われている。


『あり得ぬ話ではないのう……ただ、気に食わぬ』


「何がだ?」


『<アリゾナ>とやら、妾らを目当てで流れてきたのじゃろうて。おおかた光の民がシルクへ操るように強いたのであろう。しかし、此度はどうじゃ? 何の益がある?』


「少なくとも英国人は酷く困っているだろう。地中海における最大の兵站戦を食われているのだ。おかげで、北アフリカの防備とバルカン半島への支援もできない。なるほど……効果的だが、ずいぶんと遠回りなやり方だ」


『それよ、それ。ひどく小賢しく胡乱なのじゃ。まことに英国人どもが邪魔ならば、正面から叩き伏せればよいのに……のう?』


 からかい口調でネシスは問い返した。


「つまり、<アリゾナ>を送り込んできた奴らとは違うと?」


『恐らくはのう……』


「そうか……」


 やはり、何者かの意図が働いているのだろうか。


 最も疑わしいのはドイツだったが、確証がなかった。表向き彼らはパナマ条約機構の準加盟国であって、敵ではない。パナマの騒乱の背後で暗躍している痕跡はあったが、特定には至っていない。


──いっそ、宣戦布告してくれたほうが溜飲も下がるだろうに。


 もちろん現実的ではないと理解している。しかし、心情的には全く我慢ならなかった。何もかもが灰色で不確かだ。何よりも魔獣殺しとBM潰しに専念できないのが、耐え難い。


 再びネシスが喉を鳴らし、嗤った。


『おぬし、苛ついておるな。思うところがあるのだろう。妾に話してみるがよい』


「大したことじゃない」


 儀堂は小さくため息をついた。


「少し待ちくたびれただけだ」


『もっとはっきりと言えばよい』


「何のことだ」


 答えはすでに出ていたが、あえて口に出そうとは思わなかった。


『とぼけるな。おぬしは戦いを求めておるのじゃ。妾とて同様よ』


 否定はしなかった。


◇========◇

次回1月31日(月)に投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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