招かざる予兆(Scirocco)26:終

 翌日の昼になったところで、ようやくハウザーは納屋から出ることが出来た。結局のところ一昼夜をかけて、戦闘に付き合わされたのだ。


 曇天の空を見上げ、ハウザーは嘆息すると目前に半装軌車両Sd.Kfzライヒタァシュツェン250/3が回送されてきた。乗り込もうとするハウザーをシュニッツァーが呼び止めた。


「隊長、その格好でよろしいのですか」


「あ……」


 我に返り肌寒さを感じ、自身が薄着のままだったと思い出した。野戦服のシャツにコートを一枚だけ羽織った状態だった。いくらなんでも見栄えが悪すぎる。ハウザーは小声で毒づくと、着替えを取りに行った。



 十分後、士官らしい体裁を整えてハウザーは最前線に足を踏み入れた。司令部のある村落から南西に五キロほど進んだところだった。


 ちょうど丘陵と平野の境目にあたる場所で、なだらかな坂の上に灌木林が点在している。厄介な地形だった。灌木で視界が遮られ、夜半の奇襲には打ってつけだ。魔獣は嗅覚に優れていたり、夜目が効く種族がいる。地上戦においては、人類側が夜間戦闘を避けてきた理由の一つだった。特に欧州では、夜戦は自殺行為に等しかった。


 北米は中央部が開けているうえに、砂漠地帯も多いため、ある程度は対応可能だ。しかし欧州は平野部と森林地帯が混在しているため、下手に動くと命取りになりかねなかった。実際のところ、知らぬ間に魔獣の群体に突っ込み、包囲殲滅された例もある。


「ブレンナイス、どうやら魔女の大釜に飲み込まれずにすんだようだな」


 ハウザーは擲弾兵中隊の指揮官を労った。相手は、彼を温かい司令部から呼び出した張本人だった。


「……かろうじてな」


 ブレンナイスは疲労と泥濘を顔面に張り付かせていた。いつもは憎まれ口をたたく奴だが、とてもそんな余裕はないようだった。


「うちの連中は役に立ったか」


 ハウザー中隊のⅣ号H型戦車が展開し、周囲を警戒していた。昨夜、支援のために派遣した部下たちだった。周辺にはかつて魔獣だった肉片が散在している。


「聞かなくてもわかるだろう。欲を言えば、おたくの軍馬がもう少し鼻が利くとありがたいんだがな」


「そいつはすまなかったな」

 ハウザーは全く悪びれずに返した。ようやく旧友の減らず口が戻ってきたようだ。


「こいつらがいなかったら、今頃どうなっていたことか」


 ブレンナイスは廃屋の一角を指した。首輪に繋がれたジャーマン・シェパードが数匹たむろしていた。どれもがよく訓練されている。戦車のエンジン音にも動じることなく、伏せの姿勢で待機していた。


 ドイツ軍は軍用犬を本格的に配備していた。主に擲弾兵中隊の中核に、5から6匹ほどが哨戒任務に充てられている。理由は明快で、優れた嗅覚を有しているからだった。獣には獣を用いて対抗する。実にドイツ人らしい合理的な選択だった。


「夜中に突然吠えだしたんだ。そこから先は、いつも通りだと思っていた」


 プレンナイスはハウザーに付いてくるように言った。見せたいものがあるらしい。


「小型の魔獣、グールやらゴブリンが大挙してきた。中型はトロールが数体ほど……あとは、ほら、珍しいお客さんが見えるだろう?」


 強烈な腐敗臭が鼻を衝いた。思わずハウザーは顔をしかめた。部下の手前、鼻を覆うような見苦しい真似はしなかったが耐え難いことは確かだった。


「なんだ、こいつは……?」


 形容しがたい巨躯の死体が積み上っていた。ざっと五体ほどだろうか。どれもが、肉がこそげ落ち、腐りきった体液で表面がぬめっていた。ハウザーは朝食を抜いてきたことを感謝した。


「魔獣だよ」


 プレンナイスは無表情で答えた。


「新種か?」


「いいや……いや、どうだろう? そうなのかもしれないが……ところで、イグアナは知っているか?」


「おい、待て。何の話をしている?」


「ガラパゴス島にいるトカゲだ。ダーウィンが見つけたんだがな。こいつは陸と海で種族が分かれている」


「進化論の講義なら後にしろ」


 辟易した声でハウザーは言った。早く結論を言ってほしかった。この糞だまりみたいな空気を吸いながらする話じゃないだろう。


「お前さんの軍馬が徹甲弾でめった刺しにしてくれたせいで、わからなかったんだろうがな。こいつはクラァケンだよ」


「クラァケン。海に棲むやつらが、ここまで来たっていうのか? アドリア海から三百キロ近く離れているんだぞ」


 とてもではないが、信じられなかった。しかし、改めて観察するとプレンナイスの言う通りだった。おぞましい吸盤のついた触手と不自然に発達した頭部が折り重なっていた。


 ここに至って、ようやくハウザーはイグアナの喩えに気が付いた。


「イグアナのように、陸と海に種族が分かれたのなら悪い冗談としか思えんぞ」


「相手は魔獣だ。奴らの悪魔じみた生態を考えれば、何があってもおかしくない」


「ああ、全く……全く、その通りだよ」


 吐き捨てるようにハウザーは肯定した。


「なるほど、こいつは国防軍で分かち合うべき悪夢だな。いっそのこと我ら|の海軍マリーネに伝えて、陸上戦艦でも造らせるか」


「どうだかな。その手のゲテモノは総統伍長閣下が好みそうだが……まあいい。ついてきてくれ」


 プレンナイスは別の方角へ足を向けた。有無を言わせず、ハウザーの旧友は歩いていく。


 まだ、見せたいものがあるらしい。


 なだらかな丘を登っていく。頂上に着くと視界が開けた。


「俺は、戦闘が夜間で良かったと思ったよ。こんなことは初めてだ。もし日の下でこいつを拝んでいたら──有無を言わさず撤退していたよ」


 ハウザーは言葉を失った。


 無数の不定形な肉の塊がいたるところで息絶えていた。全てが魔獣だったものだ。数えきれないほどの死体の平野が続いていた。


 不思議なことに、目立った傷跡はなかった。


 ただ、どの魔獣も舌を出し、泡立った血を吐きだしていた。ハウザーは身に覚えがあった。どこかで見たことがある。それも、ずいぶん前に……。


「フォスゲンだ……」


 色褪せた西部戦線が目に浮かんだ。


 マスクを身に着け、死の霧の中を突撃していった終末の情景。


◇========◇

次回1月17日(月)に投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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