招かざる予兆(Scirocco)20

【ジブラルタル海軍基地】

 1946年5月12日 午前


 地中海艦隊からの要請は、おおかた儀堂の予想通りだった。


 もうすぐ出港する輸送船団の護衛、その一角を担ってほしいとのことだった。北太平洋以来、約一年ぶりの護衛作戦だった。


 ジブラルタルを発ち、地中海を東進、マルタ島南方を通過、アレキサンドリアまで護送する流れだ。体裁としては、これまで何百回と繰り返された、何の変哲もない護衛作戦のはずだ。


「委細、承知しました」


 居並ぶ英国海軍の幕僚たちを前にして、儀堂は答えた。


 ジブラルタル海軍基地、その施設の一角に彼はいた。横には本郷と嘉内が連なっている。会議室と呼ぶには、いささか瀟洒な装飾が施されていた。


 元は応接室だったらしい。残念ながら、儀堂たちを歓待するために用意されたわけではない。本来の会議室は司令部要員の執務室に使われており、空きがなかったためだ。


「詳細については、ローン大尉から説明があると思う」


 アンドリュー・カニンガム大将が付け加えるように言うと、柔和な笑みを浮かべた。どこかの学校で校長でもやっていそうな雰囲気だった。


「そうだな」


 念を押すように居合わせたローンへ顔を向ける。


「イエス・サー」


 ローンは神妙な面持ちで答えた。緊張しているのか、あるいはそのよう見せかけているのか定かではない。くつろげるような雰囲気ではないことは確かだった。


 アンドリュー・カニンガムは地中海艦隊の司令官であり、麾下に数十隻の艦艇を意のままに動かしている。階級に見合うだけの戦功も重ねてきている。恐らく数年後は第一海軍卿ファースト・シー・ロード―日本における海軍大臣もしくは軍令部総長―を務めているだろう。


 対BM戦争の前、人類同士が戦争をしていた頃。カニンガムはイタリアのターラント軍港を空襲し、大打撃を与えている。海戦においても果断で、マタパン岬沖の海戦ではイタリア海軍を壊滅に追い込んでいた。対BM戦争後の混乱期においても、艦隊の士気を良く保ち、戦力を維持し続けている。


 虫も殺さぬは言いすぎるかもしれないが、人は見かけによらぬ好事例のひとつだった。


「何か質問はあるかね?」


 カニンガムは良く通った声のキングスイングリッシュで聞いた。


「我々が顔を合わせることは、滅多にないことだと思う」


 確かにとローンは思った。


 カニンガムをはじめとして、地中海艦隊の首脳部が勢ぞろいしていた。本来ならば、彼らはアレキサンドリアにいるはずだった。しかし<宵月>の寄港に合わせて、わざわざやってきたのだった。


──品定めか。


 乱暴な言い方だが、ある意味では的を射ていた。彼らは自分たちの庭へ迎えるのにふさわしい相手か、見極めようとしているのだった。


「それならば、いくつかお聞きしたいことがあります」


 きわめて日本人らしい発音の英語で儀堂は言った。


「どうぞ」


 カニンガムはやや意外そうにうなずいたが、悪いようには思っていないようだった。


「昨今の喪失数の増加についてです。聞けば、船団の平均生還率が7割近くまで落ち込んでいるとか……なぜ、でしょうか」


 ピンと張り詰めた空気が漂い始めた。


 儀堂は極めて丁寧に「この体たらくはなんだ?」と尋ねていた。


 わざとだろうかとローンは思った。この日本人、初手でチェックメイトをかけてきやがった。幕僚たちが僅かに眉を潜める中で、カニンガムの表情は変わらなかった。


「その点については、私も大いに疑問を感じている。我々は等しく義務を果たしているのだが、十分とはいえないようだ」


 カニンガムは率直に現状の不利を認めた。


「何事も人事であれば、限界があります」


 儀堂はさし障りのない感想を述べた。


「誠に残念なことだが、地中海艦隊は敵の妨害に対して有効な手立てを打てていない」


「今回、我々を|ご招待・・・いただいたのは、そのためですか」


「その解釈で合っている。試み無くして、成功はない。我々としては、行使できるすべての手段を行使するつもりだ。君たちはその一つだ」


 要するには猫の手も借りたいらしい。


「ローン大尉、君の手に在るものを開示したまえ。すでに海軍卿の許可は得ている」


「イエス・サー」


 ローンは立ち上がると、儀堂へ真新しいファイルケースを渡した。


「これは、先月ある海域の戦闘で取得された漂流物の一部です」


 ファイルをめくると、大量のモノクロ写真が張り付けてあった。


 中身は色々だ。


 軍帽に、新聞紙、被服の一部、あるいは何かの損傷した家具やパンパンに膨らんだ缶詰まであった。


「対潜戦闘……?」


 首を傾げ儀堂は尋ねた。見たところ、撃破された潜水艦から浮き上がってきた遺留品のようだった。


「その通りです。我々は十隻近い損害を出しました」


「それは……惨いな。敵は人類、少なくとも潜水艦を保有する連中か……


 欧州において、該当する国家は限られている。ドイツ、フランス、そしてイタリアだ。


 フランスは除外される。フランス海軍は原則として中立のはずだった。親独のヴィシー・フランス政権下にあるとはいえ、わざわざ英国と一戦を構えるとは思えない。


 イタリアも同様で、英国とは休戦状態にあった。何よりも彼らは石油不足にあえいでいるはずだった。


 やはり、残されるのはドイツだった。パナマ会議以来、飢えた狼のように戦場に出没し、火種をばら撒いている。


 しかし儀堂は、解せなかった。


「いったい、何の目的で……?」


 この期に及んで、正体を現す意味がわからなかった。これまでのドイツのやり方と矛盾しているように思った。奴らは痕跡を残しても、表立って舞台に出てこなかった。にも拘わらず、今回は自棄を起こしたかのようだ。


「君の疑問はもっともだと思う」


 カニンガムは諭す口調だった。ローンがさらにもう一枚、パラフィン紙に包まれた厚紙のファイルを取り出した。


「漂流物の新聞です。日付はありませんが、大変興味深い見出しですよ」


 儀堂は厚紙を開けた。ぼろぼろで、海水で滲んだ挿絵が印刷されていた。車上の誰かが銃撃されている。


『オーストリア皇太子、サラエボで銃撃される』


 見出しはドイツ語だった。


◇========◇

次回11月27日(月)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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