招かざる予兆(Scirocco)18


 ローンは皮肉めいた口調で続けた。


「さしずめマーレ・ビスティアルム、獣の海と言うところかな」


「地中海の喪失数は、そこまで酷いのですか」


 興津は地中海方面に来たことがなかった。彼の配属先は専ら太平洋だったのだ。他の海については、風の噂程度度でしか把握していない。


「去年までは、落ち着いていた。そう、たまに小競り合いがあったとしても、船団の被害は軽微・・だった。船団コンボイ一つにつき、せいぜい1、2隻が沈む程度だ」


「……今は?」


 ローンはしばらく黙っていたが、おもむろに口を開いた。


「喪失率は3割に近づいている」


「3割……ですか」


 4年前ならば、興津も絶句することはなかっただろう。


 太平洋において、日本海軍は致命的な失態を度々犯していた。主に護衛作戦において、彼らは十分な戦力を配備しなかったためだ。理由は多くあったが、結果的に船団の平均喪失率は4割を超えてしまった。それから二年がかかりで、大量の血と鉄、そして油を太平洋に投じながら、日本海軍は喪失率を1割以下に抑えることに成功した。授業料としては高くつきすぎた。


 護衛部隊の規模の差はあれ、連れて行った輸送船の3割を失うとは悪夢ように聞こえた。ましてや地中海は、英国海軍の管轄のはずだった。護衛作戦においては、日本よりもよほど手練れているはずだった。彼らは第一次大戦から、独海軍相手に修羅の波濤を潜りにけて来たのだから。


「にわかには、信じがたいです」


 差し障りのない感想を興津は探そうとしたが、結局のところ好奇心には勝てなかった。


「なぜ、そのようなことになったのですか?」


 率直に問いただすと、ローンは苦笑いを浮かべた。この日本の青年は、きっと良い奴なのだろう。いや、若さゆえの無遠慮さなのかもしれない。


「それは難しい質問だね」


 ローンはチェイサーのぬるい水を口に含むと、酒精を喉奥へ洗い流した。


「実のところ、根本的な原因はわからないんだ」


「わからない? わからないとは?」


 興津は訝し気に問い直した。ローンは自嘲気味だったが、決してふざけて居るわけではなさそうだった。


「ここ数カ月で、魔獣の襲撃頻度が増したのは確かさ。それも飛躍的に姿を現し始めた。だが、なぜ、それが起きたのかがわからない」


「新たなBM?」


 興津はすでに検討されたものだろうと思いつつ、聞いてみた。案の定だった。


「もちろん、その可能性も考えたが……それならもっと酷いことになっているとは思わないかね?

 何よりも、BMが現れたら真っ先に誰かが気づくはずだ。我が国はもちろん、地中海沿岸諸国は大騒ぎだ」


「ええ……まあ、おっしゃる通りです」


 興津は恥じたように肯いた。


「すまない。否定するつもりはないんだ。ただ、確証がない。それだけさ。おっと、こいつは良くないね。どうも私としたことが歓待の酒を不味くしてしまった。飲みなおそう。ドミニク、君のことだ。アイラからいいの仕入れているだろう?」


 ドミニクはふっと紫煙を吐くと、グラスに琥珀色の液体を注ぎ始めた。


 興津のグラスには半分ほどカシャッサが残っていた。グラスをあおり、一気に臓腑へ流し込んだ。


 すかさず、その前にオンザロックのグラスが置かれた。


 なるほどと思った。


 俺は<宵月>とともに訳の分からなくなった地中海に乗り込むわけか。それが大尉になった俺の初陣。さしずめ、こいつは手向けの祝い酒か。


 神妙な面持ちでグラスを握りしめる士官を横に、これまでのやりとりからローンは興津を平均的なプレーン士官だと判断していた


 つまり、優秀である。


 妥当な判断能力を備えていると思った。


 たしかに、どこかにBMが発生していてもおかしくはない。


 問題は、そいつがどこなのかだ。


 ローンはじっとショットグラスの水を眺めていた。


◇========◇

次回11月15日(月)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


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