招かざる予兆(Scirocco)17


 連れていかれた先は、パブと称するには少々派手すぎた。キャバレーと言ったほうが正しいだろう。


 ホールの中心に小さめの舞台があり、オーケストラのピケットまで備えている。さすがに、フルで奏者はそろっていない。くたびれたポンチョをはおった壮年の男性が、年代物のギターを手にしていた。その横では、若い―少年と言ってもいい―男性がアコーディオンを構えていた。


 二人は小気味の良いジプシーをセッションしていた。その異国情緒あふれるメロディーが、外界と隔絶した世界を作り出している。


 酒場の中では2、3名の給仕がせわしなく動き回っていた。思わず、興津は小さな笑みを漏らした。


──人手不足はどこも悩みの種らしいな。


 よく見れば、二人とも若かった。あのアコーディオン奏者と同じくらいだろうか。


 給仕たちの案内を待たず、二人は店の奥へ入っていった。やがて、ローンはバーカウンターに腰を落ち着け、興津に席を勧めた。


「あら、ローン少尉……」


 カウンターでは妙齢の夫人が切り盛りしていた。フラメンコのドレスを身にまとい、片手にはパイプ煙草を手にしている。


「今は大尉さ」


「あら、そう」


 いかにも興味なさげに夫人は肯くと、興津へ関心を移した。


「これはこれは、東洋人とは珍しいこと。わたし、少しだけなら中国語マンダリンを話せるわ」


「それは初耳だ」


 ローンはわざとらしく驚いたふりをした。恐らく知っていたのではないのだろうか。


「前に話したわよ」


 そっけなく夫人はあしらった。


「おっと、私としたことが失礼。ああ、そうそう。彼は日本人だよ。そこは間違えないでほしいな」


 日本人と聞き、夫人は怪しく瞳を輝かせた。


「日本? 知っているわ。ハラキリの国でしょう?」


 興津は曖昧な笑顔を浮かべ、うんざりした気持ちが出ないように努力した。なにゆえ欧米人どもは、誰もかれも「ハラキリ」を嬉しそうに口ずさむのだろうか。


「スキヤキ」や「ゲイシャ」ならまだしも……。


「はじめまして、私は興津です」


「オキッツ、エキゾチックな響きね。ようこそ、いらっしゃい。私はドミニク。本物のサムライに会えてうれしいわ」


 ドミニクは妖し気に微笑んだ。


「それは、どうも──」


 興津は士族の出身ではなかったが、あえて何も言わなかった。どの道、四民平等となったのだ。ならば、日本人全員がサムライでよかろう。文明開化に幸あれかし。


「ドミニク、私のボトルは残っているかな?」


「いつの話をしているのよ。あんなのとっくにモルトビネガーになったわ」


「はいはい、どうせうちの若い連中に飲まれたのだろう? まあ、いいさ。何か、珍しいものはあるかな。今日は彼の昇進祝いなんだ」


 ローンは軽快な口調で話しながら、カウンター奥に陳列されたボトルの群れを眺めまわした。


「いや、私は──」


 断ろうとする興津に、すっとローンは片手をあげて制止した。


「なに、気にしないでくれたまえ。これから世話になる艦の副長ナンバーワンへのささやかな賄賂だよ。ああ、あの奥のボトル……あれは見たことある。カシャッサかな?」


 ドミニクは、ほぅと煙草の煙を吐くと気だるげにうなずいた。


「相変わらず、目ざといのね」


「実に珍しい」


「先月、リオから届いたばかりよ。まだ栓を開けていないから、高いけどいいかしら? ツケは効かないわよ」


「かまわないさ。だいたい、私がツケたことがあったかな?」


「ないわね」


 にやりと笑うとドミニクは棚の奥からボトルを取り出した。ショットグラスが二つ用意され、澄んだ透明の液体が注がれる。


 カウンターのグラスを取り、ローンは掲げた。


「我らの航海と<宵月>の武運に」


「乾杯」


 興津も軽く掲げると、少し戸惑いながら一口含んだ。途端に甘みとともに、強烈な酒精が鼻腔を突き抜けていった。強め泡盛に似た味わいだった。


 さすがというべきか、英国人ジョンブルらしくローンは一気に空けていた。


「これは……ラム?」


 訝し気に興津が尋ねると、ローンは得意げに否定した。


「惜しいな。たしかに原料はラムと同じくサトウキビだが、これはカシャッサと呼ばれている。ブラジルの蒸留酒さ。少しだけクセがあるだろう? この雑味が特徴なんだ」


「なるほど……」


 正直なところ、興津に違いはわからなかったが美味いことは確かだった。


「ジブラルタルで、ブラジルの酒が飲めるというのは実に喜ばしいことでしょうね」


 ショットグラスをじっと見ながら、興津は呟くように言った。


「その通り。大西洋を越えて、この酒を運んだ船がいたわけだ」


 ローンのグラスに二杯目が注がれた。


「ジブラルタルで酒を降ろし、それからリオに戻ったのならば幸運の船だ。しかし、アレキサンドリアへ向かったのならば、それは地獄の一丁目だ」


「なぜですか?」


「今の地中海は、我々の海マーレノストゥルムではないからさ」


◇========◇

次回11月8日(月)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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