招かざる予兆(Scirocco)15

 ダカールは喧騒の嵐が吹き荒れていた。人や車両、物がごった返し、中には檻に入った野生動物すらあった。


 儀堂とネシス、それにローンは港から少し離れたところまで見に行くことにした。長居するつもりはなかった。補給作業が終わり次第、すぐに出港準備に取り掛からなければならない。


 港から市街地に向かう途中で、ふとネシスが足を止めた。視線の先を追うと、道のわき止めたトラックに向けられている。


「どうかしましたか?」


 ローンが尋ねる。


「あれは、何じゃ?」


 ネシスが指さす方向には、檻に入ったライオンがいた。吼えもせず、ただ四つん這いに身体を伏せ、虚空へ光の失せた双眸を掲げている。


「ああ……恐らく輸出品です」


「この時世に、買う奴がいるのかい?」


 儀堂が、やや意外そうに言った。


「ええ、居るようです。おもな輸出先は欧州や中近東というところでしょうか。酔狂な金持ちや保護活動家がいるのです」


「理解しがたいな」


 儀堂は、糸のように目を細めた。何を考えているのか計り知れないが、好感情を抱いているようには見えなかった。


「かばうわけではありませんが──」


 ローンは、ためらいがちに続けた。


「実際のところ、貴重な存在であることは確かです。アフリカは、魔獣のせいで生態系が完全に破壊されました。北米も似たような状況ですが……数年後、動物園でしか見られない生物が激増しているでしょう」


「やがては、我々人類もか?」


 儀堂は平坦な声で言った。冗談なのか、本気なのか、傍から聞くと判断がつきかねた。


「BMを送り込んだ連中に、人道ヒューマニズム的概念があればの話ですね」


人道ヒューマニズム……人の道ね。違うな。蒐集癖があればの話だろう。我々は、慈悲で動物を檻に入れたわけではない」


「莫迦な期待はやめておくがよい」


 ネシスが冷たく切り捨てた。


「ラクサリアンどもは、おぬしらに何の価値も見出さぬよ。あやつらは、そういうものだ。弱きものに価値は認めぬ」


 嘲るようなネシスの言いざまに、ローンは少し鼻白んだ。


「あなたがたは違ったということですか? 月鬼には価値があった?」


 思わず、尋ね返していた。


「左様じゃ。だからこそ、あの黒い月に閉じ込められた。そう、あの檻に囲まれた獅子のように」


 ネシスはそう言うと、無言で檻の傍まで歩み寄っていった。見張りと思しき、現地の黒人がフランス語で何かを言っている。ダカールは前世紀からフランスの植民地だった。歩みを止めないネシスに現地人が触れようとしたが、その瞬間に瞳が怪しく輝く。直後、怯えた顔で現地民たちは手をひっこめた。


「おい……」


 儀堂が、その後ろ姿に嫌な予感を覚えたときだった。檻の中にネシスが手を差し入れていた。


 あっという間のことだった。檻の中の獅子、その瞳が獣性を取り戻し、ネシスの細腕へ牙を立てていた。たちまち周辺に混乱が広がった。


「莫迦野郎が……」


 悲鳴と怒号を乱発する現地人の間を、儀堂はかき分けて入っていった。顔を青くして、ローンも続く。


「ノン! ノン!」


 背後でローンが現地人を必死に宥めていた。一方、ネシスは自身の細腕に牙を突きたてられながらも、愛おしそうに獅子の頭を撫でていた。


「おお、よしよし、良いぞ。その意気や良し。儀堂、見るがよい。こやつ殺気を忘れておらぬ」


 心の底から嬉しそうな鬼子に、儀堂は怒りを忘れ、呆気にとられた。しかし次の瞬間、我に返ると大きくため息をついた。


「それはおめでとう。ところで、どうする? 俺の背後でひと騒ぎ起こっているが、そいつを宥めるには、その獅子を射殺するか、あるいはお前の腕を切り落とすしかなさそうだ」


 ネシスはすねた顔になると、そっと何かを小声で唱えた。すると獅子の顔が穏やかになり、ネシスの腕から離れていった。あとには血だらけで、ざくろのように裂けた腕が残された。


「早く手当てを……」


 ローンは相変わらず青ざめていたが、儀堂とネシスはさして変わった様子もなかった。ネシスの腕の傷は、またたく間に治癒すると、雪のような肌が現れた。


 唖然としたローンだったが、すぐに相手が人ならぬものだったと思い返した。


「酷い戯れだ。慎んでいただきたい」


「すまない。よく言い聞かしておく」


 儀堂は、その場で詫びた。傷が治ったネシスを見て、現地人は驚き、恐怖していた。すぐにローンは機転を利かせると、フランス語で告げた。


これはセッ特別なアンマジックショースペクタル・アン・マジです」


 作り笑いを浮かべ、自ら拍手する。釣られて現地人もぎこちなく手を叩き、その場は何とか収まった。


 なるほど、嘘はついていない。


 たしかに魔導マジの一種なのかもしれない。


 三人は、その後に街中を一巡りしていった。話されている言葉は現地のウォロフ語が主体で、ときおりフランス語が混ざって聞こえた。ダカールはド・ゴールを首班とする自由フランス政府の統治下にあった。自由フランスは亡命政権で、ロンドンに政府機能があった。


 街並みは対称的で格差が激しかった。コロニアル様式の洋館があると思えば、通りを挟んで土レンガで塗り固められた原始的な家屋が立ち並んでいる。


 市場は活気があったが、物乞いが目立った。彼らは―男しか・・・いない・・・―やせこけ、一様に食べ物を求めていた。現金を当てにしていないのだ。ダカールは物々交換が主体となっていた。


 道端に死体が置き去りにされているのが、ちらほらと見える。白骨化したものすらあった。


 やはり女子供の姿が少なかった。


 儀堂が疑問を口にすると、ローンが振り返った。


「ああ、それは──」


 ローンは一瞬だけネシスを見ると、すぐに答えた。


「大半は死んだか、どこかに囚われているか。どちらかでしょう。ここでは問われる価値が、極めて中世的なのです」


「……なるほど」


 深くは聞かなかった。


 港へ戻る途中で、最後に目にしたのは長蛇の列だった。ここでも成人男性ばかりで、比較的まともな服装―と言っても、つぎはぎだらけだが─だった。


「あれは、移民申請窓口ですね。自由フランスが募集しているんです」


 儀堂が尋ねる前に、ローンは答えていた。


「フランス語を話せる現地人が対象です」


「あんなにいるのか?」


「いいえ」


 ローンは首を振った。


「ほとんどが片言にも達しないほどです。まともなフランス語を話せた連中はとっくに承認され、いなくなっていますよ。だから大半は却下されます。もっとも、仮に申請が通ったとしても待ち受けているのは戦場ですが──」


 自由フランス政府は受け入れた移民に徴兵義務を課していた。彼らは訓練を受けた後で、カナダや中近東へ派兵されるか、あるいはアフリカの防衛のために戻されている。


「国破れて……」


 儀堂は思わず口にしていた。


 残ったのはなんだ?


 戦場。地獄。惨禍。


 三人は移民希望者の列を通りすぎた。


お願いシルヴィプレお願いシルヴィプレ働けますトラヴァイエ


 念仏のような声が遠くから聞こえてきた。


 黄昏時、第十三独立支隊は抜錨し、ダカールを後にした。


◇========◇

次回10月28日(木)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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