招かざる予兆(Scirocco)14

【カリブ海 - ダカール - ジブラルタル】

 1946年3月10日-5月10日


 コロンを出て約2か月後かて、<宵月>は英領ジブラルタルに目指していた。本来ならば、ひと月もかからない行程だったはずだが、二倍近く時間を要している。もちろん、理由があってのことだった。



 まず僚艦の<大隅>が全力を発揮できずにいた。パナマで被雷し、グアンタナモで応急修理を受けたとはいえ、機関を遠慮なしにぶん回せる状態ではない。浸水こそ止まっていたが、戦闘になれば不利は避けられなかった。<宵月>は<大隅>の護衛もかねて、必然的に巡航速度を落とさなければならなかった。


 二つ目はドイツだった。すでにカリブ海からUボートの追跡を受けていたが、<宵月>は眼下の狼、Uボートの目をかいくぐらなければならなかった。<宵月>が撃沈はされることはないだろう。しかし<大隅>は、別だった。不意の一撃が命取りになってしまう。杞憂かもしれないが、大西洋の中央部で伏撃された場合、えらく手間のかかることになりそうだった。救援を要請したとしても、都合よく騎兵隊が駆け付けてくれるわけではない。


 結局のところ、<宵月>と<大隅>で構成された第十三独立支隊は、不規則な変針をとりながら、大西洋を横断することになった。一度、アフリカ大陸の西岸に近づき、それから北上するコースだった。これならば、英国海軍ロイヤルネイビーの哨戒圏の保護を受けることができる。


 不本意な遠回りとなってしまったが、収穫が全くないわけではなかった。間接的であれ、アフリカ大陸の状況を見ることができたからだ。


 暗黒大陸。


 使い古された表現だが、現在のアフリカを端的に表すものだった。


 アフリカ大陸は十九世紀から欧米によって分断統治されていた。原始的かつ牧歌的な部族社会を破壊したのは、銃火器と蒸気機関、そして奴隷貿易だった。はじめは英国とフランス、つづいてドイツがアフリカ大陸に参入し、現地の部族同士を争わせ、最終的には自国のものにした。その後、東西南北にレールを通し、機関車を走らせた。積み荷は奴隷に落とされた現地人で、主な輸出先はアメリカ大陸だった。


 二十世紀に入り、植民地経営の非人道的な実態が知れ渡るにつれ、欧米諸国の内外から非難の声が上がり始めた。現地でも抵抗運動が激しさを増し、列強はアフリカから手を引こうと画策し始めた。それは人道的な見地ではなく、経済的な見地によるものだった。はっきりと言ってしまえば、植民地経営が赤字になったからだ。貿易や収奪で得られるコストよりも、反乱の鎮圧や警備費用のほうが高くつくようになった。


 本来ならば、二十世紀半ばよりアフリカ大陸は現地人の手に戻っていくはずだった。


 あの黒い月が現れなければ、いくつかの独立国が誕生していたかもしれない。


 第十三独立支隊が見た光景は、見捨てられた世界の一端だった。


 彼らは途中でアフリカ西端の港、ダカールへ寄港した。燃料と物資の補給のためだ。ちょうど時計の針が12時を回った頃だった。


「上陸許可はいかがしますか?」


 艦橋で興津に尋ねられ、儀堂は少し考えを巡らせた。目前にはダカールの埠頭が迫ってきていた。確かに、しばらくおかから遠ざかっていた。たとえ異国の地であっても、兵にとって揺れない地面は恋しいものだ。


 儀堂が応える前に、同行していたアルフレッド・ローン大尉が口を挟んだ。


「サー、失礼。個人的にはお勧めしません」


 興津がわずかに眉を顰めたが、儀堂は続けるように促した。


「それは、なぜ?」


「今のアフリカは、カオスの極みです」


 港は難民であふれ、内陸部では絶えず魔獣と人、人と人が争っている。統治機能など、とっくの昔に麻痺し、略奪が横行していた。比較的安全だったのは、欧米列強が駐留する沿岸部だった。しかし、それらは厳重に封鎖され、現地人の侵入を許さなかった。アフリカに住む者には、逃げ場のない地獄がどこまでも続いていた。


 ローンの言葉に他意がないのはわかった。彼としても、儀堂の身に何かあれば責を負われざるをえないのだから。


「ダカールとて、例外ではありません。港から離れた先は原始的な無法地帯が広がっています。まあ……どうしてもおっしゃるのならば──」


 そこで、ローンは少し考えを巡らした。


「まずはご自身の目で確かめてから判断されたほうが良いでしょう。百聞は一見に如かずと申しますし」


 ローンは極めて流ちょうな日本語で付け加えた。恐らく、彼なりの冗談ユーモアのつもりだったのかもしれない。


 しかしながら、ローンは儀堂という人物を未だに理解しきれていなかった。根本的に誤っていると言うべきかもしれない。彼は道理に従う男で、誰よりも実践的だった。


「なるほど、それは道理だね。では見に行こう」


「それは……?」


 訝しむローンをよそに、儀堂は興津へ目を向けた。


「興津中尉、少しの間だけ頼む」


「はい、わかりました」


 手慣れた様子で興津は肯いた。どこかしてやられたようにローンは思った。


「待ってください。せめて、護衛を──」


「ああ、大丈夫だ」


 儀堂は喉頭式マイクに手を当てた。


「ネシス、外へ出る。すぐに支度をしろ」


『ほほう、妾と逢瀬かや?』


「莫迦を言うな」


 儀堂はマイクを切ると、ローンへ向きなおった。


「では大尉、案内を頼む」


◇========◇

次回10月25日(月)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


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