招かざる予兆(Scirocco)13
「ソナーより計器異常、計測不可能」
爆雷の衝撃で海中が擾乱されたせいだった。パッシブで音を拾うことも、アスディックの捜索もできない。
「両舷原速。取り舵いっぱい」
『イエス・サー』
<マイソール>の船体が軋みながら、波間に消えた目標を追い求めた。見えざる獣に威嚇するかのようだった。
「針路240」
『当て舵……舵中央。定針』
「両舷半速」
窮屈そうに弧を描きながら、<マイソール>は爆雷を投射した海域へ戻ってきた。
「副長、手の空いている者に海面上を注視させろ」
「了解」
マーズは艦内放送で呼びかけた。戦果確認のためだ。夜中の闇の中で、どこまで判別つくかわからない。しかし、最大限の努力は払うべきだった。
「ソナー回復。これより捜索を再開します」
「艦長……レーダーに反応」
足早にエヴァンズはレーダー員の元へ駆け寄った。
「方位025」
PPIスコープに明確な光点が現れていた。
「かなり鮮明です」
「面舵、方位105。右舷の警戒を厳にしろ」
エヴァンズは右側の
「舵中央」
<マイソール>の回頭が完了し、数分経過したときだった。
「海面上に浮遊物を確認」
機銃座から声が響いてきた。
「どこだ?」
エヴァンズが問い返すと、機銃手が指をさした。その方向へ視線を巡らせた。双眼鏡を構える必要はなかった。海上に全く似つかわしくない、人工物の群れが漂っていたからだ。暗闇でも識別できるほど、至近だった。
辺り一面に漂う油膜、それらに包まれるように救命胴衣や木箱、あるいは雑誌とおぼしき紙切れが浮かんでいた。おそらく敵潜に積まれていたものだろう。
ふとエヴァンズは波間の遺品回収の誘惑にかられた。決して感傷に毒されたわけではなかった。敵の正体、いったいどこの国の艦だったか特定するためだ。
全てを拾う必要はない。機関を止めて、ボート降ろし、目ぼしいものを手に取るだけだ。一時間とかからないだろう。
艦橋内に戻ると、航海長のいる海図盤のほうへ歩み寄った。
「船団の現在位置は?」
「本艦、南西37マイルほどです」
「思ったよりも遠くに来ているな。一時間後の予測位置は?」」
「それは……ちょうど本艦がいるあたりかと」
怪訝そうに答える航海長に、エヴァンズは満足そうにうなずいた。
時間はある。あとは決断するだけだった。麾下の護衛部隊から会敵の報告は来ていない。あるいは、今日はこれで打ち止めなのかもしれない。
「いや……だめだ」
敵は複数いるに違いなかった。<マイソール>が機関を止めて、浮遊物を回収している間に船団が襲われたら元も子もない。それに<マイソール>自身が標的になるかもしれない。
魚雷を撃たれるまで、敵は一隻もしくは一匹だと思っていた。しかし、敵の動きはあまりにも俊敏すぎた。まるで水中を飛び回るような機動で人工物には不可能だ。だからこそエヴァンズはとっさに魔獣だと思い込んだ。
今にして思えば、莫迦らしい話だった。
何のことはない。魔獣であれ、Uボートであれ、二隻いれば説明のつく話だ。片方がおとりになり、<マイソール>を引きつけたところで本命が撃ち込んできたのだろう。
─だが、それにしても……。
気にかかることがあったが、確かめる術はなかった。敵が二手に分かれていたのならば、<マイソール>を交差で雷撃できたはずだ。なぜ、それをしなかった? いや、待て。それよりもやるべきことがある。
エヴァンズは自問自答のループを振り払った。
「回頭する。取り舵……」
エヴァンズが船団に針路を向けようとしたときだった。連絡員が血相を変えて叫んだ。
「ソナーより魚雷航走音探知。距離五百」
エヴァンズよりも先にマーズが怒鳴りつけた。
「莫迦ものが! 方位はどうした?」
エヴァンズは、この兵士を二度と連絡員につけてはならないと決断した。連絡員は青い顔で続けた。
「本艦、右舷正横!」
「両舷全速、面舵いっぱい」
エヴァンズは声を張り上げこそすれ、眉一つ動かさなかった。経験上、非常時にとるべき態度について彼は心得ていた。超然とゆるぎなく、いつものように、ただそれだけだ。
内心は全く対称的で、己の無能さに怒りが沸き立っていた。ほら見ろ。いったい、どこの、誰が、敵が一匹だと保証していたのだ。たとえ神が保証しても、信じてやるものか。この糞ったれの耄碌じじいが。
『両舷全速、面舵いっぱい……!』
操舵室から殺気だった返事が来た。
<マイソール>は魚雷に向けて正面から対峙する針路をとろうとしていた。艦首を向けたのは被弾面積を減らすためでもあったが、損傷を最小限に抑える意味もあった。むしろ、後者が本命だ。
取り舵をとった場合、機関部や推進器をやられる可能性が大きかった。その場合、<マイソール>は自力航行が不可能になるだろう。走れぬ駆逐艦など、存在する意義がない。
エヴァンズは艦首部を犠牲にしてでも、<マイソール>の足を生かすほうを選んだ。もちろん、最善の努力をしたところで、結果が報われるとは限らない。
「舵戻せ」
「舵戻します」
時間にして数秒、永遠とも思える時間が過ぎ去た後で、唐突に崩壊が訪れた。
右舷側からの衝撃で、エヴァンズは強かに艦橋の壁に叩きつけられ、倒れ伏した。まるで艦全体が巨大な拳で突き上げられたかのようだった。人間を含む、あらゆるものが雑多に床に転がりまわり、艦内各所で負傷者が生まれた。
「艦長……!」
かろうじて衝撃を耐えたマーズが、エヴァンズを助け起こした。
「被害報告を……!」
胸部に鈍い痛みを感じる。肋骨が折れたかもしれない。
「艦首に被弾! 一部が吹き飛びました」
<マイソール>は魚雷を文字通り正面から受けていた。エヴァンズの目論見通りとも言えるが、何かがおかしかった。
「機関停止。応急班急げ」
エヴァンズの命令を受けるまでもなく、古参兵がすでにしかるべき対処を始めていた。エヴァンズはマーズの手を借りながら、艦首部の舷窓へ歩み寄った。
「艦首は、どこまでやられた?」
魚雷を真正面から受けたのだ。第一砲塔辺りまで吹き飛んでいてもおかしくなかった。最悪、沈没もありえただろう。しかし、エヴァンズの目には異常らしきものが見当たらない。衝撃の割に、外見上の変化が見当たらなかった。
やがて、その原因がわかった。
「不発弾のようです」
マーズが告げた。
「不発? 作動不良か」
信じられない面持ちでエヴァンズは問い返した。
「はい。ただ、浸水が激しいため速度は出せません。応急処置が終わるまで、機関は発揮できないかと
「わかった……」
エヴァンズは短めの黙想をすると、意を決した。
「
苦々しい思いを押さえながら、エヴァンズは僚艦へ告げた。<ズールー>は救援に来ようとしたが、エヴァンズは頑なに断った。<マイソール>の二の舞になる恐れがあったからだ。
「<ズールー>へ告げてくれ。マルタへ船団を退避させるように……」
あえぐようにエヴァンズは言った。胸中から突き上げるような咳をすると、口元から薄く血が垂れていた。ひどく息苦しかった。
エヴァンズの望み通り、<マイソール>を残して船団はマルタへ退避していった。
絶望的な夜が明けた時、船団の残存数は十隻まで減じていた。
◇========◇
次回10月21日(木)に投稿予定
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
弐進座
◇追伸◇
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
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