招かざる予兆(Scirocco)12

 ソナーからの報告を受け、エヴァンズは直ちに回頭を命じた。


「面舵五度、針路112」


 水面下の反応に対して正面から対峙するように仕向ける。


『イエス・サー、面舵……方位112、舵中央』


 スピーカー越しに操舵室から返信が来る。


「両舷減速、八ノットまで落とせ」


「八ノットまで落とします」


 <マイソール>の切り裂く波が小さくなり、そろそろ歩くように東進していく。艦のスクリュー音を抑えることで、ソナーが音を拾いやすくしようとしていた。


「ソナーより感あり。方位118。距離は3マイル約5千メートル


「針路そのまま」


「ソナーより感あり。方位118。目標、定針。距離は2マイル約3千5百メートル


 加速度的に距離が縮まっていく。水面下の不明目標もこちらに近づきつつあるのだ。あと数分で会敵するだろう。


 エヴァンズは連絡員に近寄ると、受話器を寄こすように言った。ソナー員と直接話すつもりだった。連絡員をスキップするのは、あまり褒められたことではないとわかっていた。上級指揮官と直接コンタクトするのは、一兵卒に余計なプレッシャーをかけるからだ。それに指揮系統の上でも、例外を作るのはよろしくはなかった。


 しかしながら、エヴァンズは承知の上で受話器を手に取っていた。相手はベテランのクリスで、知らない仲ではなかった。何よりも、今は確証が欲しい。船団から離れて索敵に行くべきか否か、それを決断できる確証が。


「艦長より、ソナーへ。詳細を知りたい」


 答えたのはソナー員のクリスだった。エヴァンズの意図を誤解せずにくみ取っていた。


『まだ、なんにもわからんですが』


 労働者階級特有のきついコックニー訛りだった。聞いたところによれば、海軍に来る前はニューポートの競馬場で馬券師をやっていたらしい。


「君の感触センスで答えてくれ」


『感触で?』


「ああ、手練れ予想屋はどう思う」


 口笛のような笑い声が、わずかに聞こえた。クリスは上顎の前歯が欠けている。


『まあ、魔獣が4でUボートが6ってところですかねえ。魔獣にしては、あれです、そうやる気がねえ』


 今度はエヴァンズが失笑した。


「わかった。いずれにしろ敵には変わらんな」


「ええ、その通りで──ああ、針路そのまま、距離は二千ヤードになりましたぜ」


「わかった。ありがとう」


 エヴァンズは受話器を連絡員に渡した。


「両舷原速十二ノット、針路そのまま」


「両舷原速十二ノット」


 艦橋内中央に歩み寄ると、エヴァンズは前甲板にある巨大なビールケースに似た装備へ目を向けた。


散布爆雷ヘッジホッグ、投射準備」


「散布爆雷準備」


 ビールケースに見えたのは、小型の爆雷を搭載した投射装置だ。かつて第二砲塔のあった砲架部分に装備された対潜迫撃砲だった。投げ網のようにニ十発の小型爆雷を前方に投射し、水面下の敵を仕留めることができる。


「ソナーより目標遷移、方位052、距離一千ヤード」


「待て。方位052……?」


 エヴァンズは信じられない面持ちで聞き返した。


「はい、方位052です」


 連絡員は少し驚いた様子で言い直した。


 数分前まで敵は<マイソール>の真正面、その海面下を進んでいた。ところが、今は左真横にいる。加えて概算でも短時間に一千メートル以上も遷移したことになる。仮に相手がUボートだったとしたら、駆逐艦と同等の速度で水中航行できる化け物だ。


「艦長、敵は──」


 何かを言いかけたマーズだったが、エヴァンズは手をかざして制止した。


「ソナーより目標、距離八百ヤード」


 敵は距離を詰めてきていた。どてっぱらを晒した駆逐艦に突っ込んで来ている。どうやら戦意に不足はないようだ。ならば応えなければならない。


「両舷全速、取り舵いっぱい! 針路052」


 エヴァンズは怒鳴りつけるように命令した。畜生めが、人間Uボートにあんな変則的な機動ができるわけがない。魔獣だ。それも、とびきりずるがしこい獣だ。


『イエス・サー、取り舵いっぱい……舵、戻します』


 <マイソール>は再び敵と正面から向き直った。


「ソナーより魚雷音……」


 連絡員がうわずっと声で知らせてきた。


「その報告の仕方は誤っている……」


 静かにエヴァンズが叱りつけると、連絡員は慌てて言い直した。


「魚雷と思しき航走音、正艦首より接近」


 このままでは直撃する。


「面舵いっぱい、針路070」


『面舵いっぱい、針路070……舵中央』


「ソナーより、魚雷通過。目標、方位030、距離二百」


「取り舵いっぱい、針路020」


「取り舵いっぱい、針路020……舵中央」


「散布爆雷、左舷照準用意。爆雷、浅深度設定」


「散布爆雷、左舷照準。爆雷、浅深度設定完了」


「ソナーより目標、方位010、距離百五十」


「散布爆雷、投射」


 断続的な破裂音が前甲板から響き、散布爆雷が投射された。さらに両舷、後甲板から爆雷が三発投下される。


 <マイソール>周辺に水中爆発によるクレーターが形成され、三本の白い水柱が屹立した。


 続けて、艦の後方から小さな水柱が立つのが見えた。


 目標に命中したのだ。


◇========◇

次回10月18日(月)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


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