招かざる予兆(Scirocco)9
『
受話器越しに副長のマーズは、<オリンピア>船長の遺言を聞いた。ただでさえ、青かったマーズの顔は限りなく漂白されつつつあった。
「<オリンピア>からの通信が途絶えました」
かろうじて、マーズは為すべきことを行った。しかし、艦長のエヴァンズは彼の報告を待たなかった。
「すぐに<ジャービス>へつなげ。<オリンピア>の状況を確かめてさせろ」
駆逐艦<ジャービス>は、<オリンピア>に最も近かった。酷なことだったが、エヴァンズは救援のために送ったわけではなかった。数千トンの貨物船を一撃で葬る存在、その正体をあぶりだすためだった。
「了解」
マーズは再び受話器をとった。続いてエヴァンズは船団全体に対して、発光信号と無線の両方を使い指示を送った。
『対獣警戒を厳にせよ』
<マイソール>は、あらゆるチャンネルを用いて、船団全体に警報を鳴らした。
艦橋内に緊張の糸がめぐらされ、エヴァンズを中心に目まぐるしく事態が動き出した。嵐にもかからわらず、見張り員の兵士たちが双眼鏡を手に艦外へ出ていく。
「サーペント……でしょうか」
マーズがPPIスコープを覗き込みながら言った。<オリンピア>の光点が消えつつあった。
「……わからん」
エヴァンズは静かに言った。台風の目のように、彼は泰然としていた。殺気だったところで、何かが変わるわけではない。下手に気を騒がして、戦況を見失っては本末転倒だった。
「その可能性は否定しないが──」
マーズの意見は決しておかしなものではなかったが、妙な引っ掛かりを感じていた。
襲撃から沈没までの時間が短かったことは確かだ。もしクラァケンのような魔獣ならば、もっと緩慢な惨劇になるはずだった。奴らは触手を用いてしか襲撃してこないうえに、その威力もたかが知れている。ぜいぜい、構造物の一部を歪ませるのが関の山だ。
あるいは急速浮上による
マーズも違和感を覚えていたらしい。先ほどの自分の意見を撤回した。|
「やはり違うかもしれません。トロール船ならまだしも、<オリンピア>のような大型貨物船の船底を
サーペントの攻撃手段は体当たりか轟雷のいずれかだ。クラァケンに比べて、サーペントは小ぶりな―それでも体長は十メートルを超す─ため、衝突時の威力は限られている。その代わり、奴らは轟雷と呼ばれる空気砲を多用していた。空気を圧縮し、指向性を持たせて打ち出してくるのだ。小型の船舶ならば深刻なダメージを負うが、<オリンピア>は決して小型ではなかった。それどころか、排水量ではエヴァンズたちが乗る<マイソール>の数倍の質量だ。
仮に轟雷の直撃が沈没の要因だとしたら、そいつを撃ちだしたサーペントは一体どんな奴なのだ。
「<ジャービス>から入電です」
無線手からだった。
「アスディックに感なし。引き続き、捜索を続けると」
アスディックはアクティブソナーの英国での呼称だった。<ジャービス>は<オリンピア>近くの海域で、ソナーによる捜索を試みたのだ。しかしながら、空振りだった。
「わかった」
エヴァンズは肯いた。どのみち望み薄だと感じていたので、失望は覚えていない。これだけ海が荒れているのだ。容易に探知はできないだろう。
そこで、レーダー員が<オリンピア>の喪失を伝えてきた。ついにPPIから光点が消えたのだ。
「位置と時間を記録。司令部へ発信」
エヴァンズは、沈痛な面持ちで命じた。
運が良ければ、近くの船が拾ってくれるかもしれない。この嵐で生き残る確率は、限りなく絶望的だったが、それでもゼロではない。
◇
<オリンピア>の沈没から、1時間ほど経過しつつあったが、敵影の手がかりはなかった。ごうごうと嵐が舷窓を打ち付ける中で、艦橋内に重い沈黙が訪れる。
エヴァンズの横でマーズは考えあぐねていた。いつのまにか船酔いの悪夢から解放され、判断力が回復しつつあった。過度な緊張が酔いを醒ましたのだ。
──もしかして事故だったのか
自然な答えのように、マーズは思った。相応の理由もある。
魔獣は
<オリンピア>が沈む少し前に機関の不調を訴えていた。原因は不明だが、何らかのトラブルが生じて沈んだのではないか。そういえば、あの船は弾薬を腹いっぱいに抱えていた。たとえ煙草の燃え滓でも、引火すれば一瞬に吹き飛ぶほどの量だ。
──きっと、そうに違いない。
マーズの逃避的な結論は、たちまち否定されることになった。
今度は二隻同時に襲撃を受けたのだ。しかも船団中央にいた船だ。立て続けに被害報告を受ける中で、ずぶぬれになった<マイソール>の兵士が艦橋内に入ってきた。
「<クラウン>より発光信号。左舷に雷跡を確認!」
直後、<クラウン>から水柱が上がった。
◇========◇
次回10月7日(木)に投稿予定
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
弐進座
◇追伸◇
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
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