招かざる予兆(Scirocco)10

 <クラウン>は<マイソール>の左後方に位置していた。かろうじて艦橋からも、船体の状況を伺うことができる。


 エヴァンズは足早に旗信号の甲板ウィングに出ていった。艦橋の脇にある耳のように突き出た、半畳にも満たない甲板だ。横殴りの雨に吹き付けられ、吹っ飛びそうな帽子を押さえつける。すぐに<クラウン>は見つかった。オレンジ色の炎が小さく波間に煌めていた。


 エヴァンズは双眼鏡を握りしめ、両眼に当てがった。望遠を調節すると、ぼやけた視界から拡大された<クラウン>の姿が映し出された。<オリンピア>のように一撃で沈むことはないだろうが、時間の問題だ。


 <クラウン>の船橋からチカチカと発光信号があった。


 解読したエヴァンズは、艦橋にいるマーズへ怒鳴った。


「すぐに<クラウン>へ無線をつなげ! 何に・・やられたのか確かめろ!!」


 紳士然としたエヴァンズにしては珍しい剣幕だった。内心の驚きを隠しつつ、マーズは受話器に駆け寄った。同時に疑問も覚える。


 なぜ艦長は「何に」と尋ねたのだろうか。<クラウン>から「雷跡」が見えたと伝えられているはずで、エヴァンズも承知している。ならば、サーペントに決まっているではないか。


 エヴァンズは同様の命令を信号手にも命じた。<マイソール>から探照灯が作動し、<クラウン>に向けて光の帯が弱弱しく伸びていった。


 エヴァンズが再び双眼鏡を構えると、小さなうめき声を漏らした。


 そこには水柱に打ちのめされた<クラウン>の姿があった。二発目を食らったのだ。夜間でも火災のせいで、おおよその被害状況を掴むことができた。


 水柱に揺らされ、<クラウン>の船体が傾くのが見えた。あっという間に、速度が落ちていき、ついには完全に停止した。


 <クラウン>から、再び発光信号が返された。エヴァンズは信号が終わるまで、双眼鏡を眼窩に固定し続けた。


 <クラウン>は無線と発光信号、二つのチャンネルで遺言を告げた。


サヨナラフェアウェル


 最期の言葉とともに<クラウン>は完全に沈黙し、波間へ没していった。


 エヴァンズは無言のまま艦橋内に戻った。外套から雨水がしたたり落ち、たちまち水たまりが生まれた。兵士の一人が気をきかせて、ずぶぬれの艦長にタオルを渡した。


「ありがとう」


 エヴァンズは顔をぬぐうと、ちょうどマーズが電信室から報告を受けたところだった。


「艦長、<クラウン>ですが──」


 マーズは明らかに混乱していた。エヴァンズは、その理由について見当がついていた。


「続けたまえ」


 エヴァンズは促した。


「轟雷ではありません。魚雷です。<クラウン>の船員が複数の雷跡を見たそうです。艦長、まことに遺憾ながら我々の敵は魔獣ではありません。人間です」


「私も、その可能性が高いと判断する。対潜戦闘ASW、用意」


 エヴァンズは、護衛部隊の全艦艇に<クラウン>の顛末を伝えた。


「<ミオソティス>に北側を警戒させろ。<ロータス>を船団中央へ遷移」


 <クラウン>は左舷側に魚雷を受けていた。船団の針路から考えるに、北側から攻撃を受けている。アフリカ大陸とは反対、マルタ島がある方角だ。もし敵が潜水艦ならば、取るべき行動は二つだった。すなわち、離脱か追撃だった。


 前者の場合は潜航し、文字通り息を潜めている。魚雷の発射点から、さほど離れていないだろう。そのまま船団が通り過ぎるのを待って、頃合い見て海域から離脱するのがセオリーだ。


 後者の場合は、全く想像したくもないが船団中央部から後方へ向かって遷移しているかもしれなかった。敵潜は船団と行きかうかたちになり、獲物を自由に選別して喰うことができてしまう。


 前者ならば<ミオソティス>が、後者ならば<ロータス>の仕事が増えることになる。それもうまくいけばの話だが。


「それから<ジャービス>を呼び戻してくれ。もう敵は<オリンピア>から離れているだろう」


 相手が魔獣ではなく、潜水艦ならば取るべき手段は全く異なっている。


 ある意味では明快ですらあった。魔獣は、その習性全てが解析されたわけではない。対して、対潜戦闘ならば英国海軍は嫌と言うほどに経験を負わされてきていた。それは対BM戦争の時代でも変わらない。相手が同じ人間ならば、手の内を読むことができる。もちろん技術の発達による誤差は生じるが、それはお互い様だった。


「イエス・サー」


 マーズは矢継ぎ早に電信室へ命令を伝達した。その姿を認めるとエヴァンズは、おもむろにレーダー員の元へ歩み寄った。


 レーダー員は明らかに顔をこわばらせ、恐怖していた。戦闘に対する恐怖ではなく、それは罪悪感によるものだった。相手が敵潜ならば、レーダーに何らかの兆候が現れたはずなのだ。


 潜水艦が雷撃する場合、潜望鏡深度まで浮上する。そこで目標を視認し、照準を合わせることで、ようやく攻撃可能となるのだ。


 <マイソール>の実装しているレーダー281型は、海面上に突き出た数メートルの突起物でも探知可能だった。仮に魚雷攻撃を受けたのならば、事前に敵潜の潜望鏡を探知出来たはずだった。


 レーダー員は自身の過失を恐れ、そして罪悪感を覚えていた。


 もし見逃していたとしたら、<クラウン>の沈没は自分の責任となってしまう。もちろん、それは行き過ぎた妄想だ。レーダー員は優しい男だった。


「君の能力を疑っているわけではない。だから、安心してくれ」


 エヴァンズは、いつもと変わらぬ口調で尋ねた。


「妙な影は映らなかったかね」


 レーダー員は一呼吸置くと、首を振った。


「いいえ、自分が見る限りは何も……ただ──」


 額の汗を拭い、続ける。


「これだけ波が高いと、クラッターに紛れた恐れが──」


「わかった。ありがとう」


 エヴァンズは肩を叩くと、その場を離れた。レーダー員を責めるつもりはない。彼の言う通り、海が荒れすぎている。レーダーは電波の反射を拾い、相対的に周囲の障害の位置を把握する装置だ。しかし、それは高度な処理能力を要する。帰ってきた波を馬鹿正直に受け取るだけでは、正常に動作しないのだ。下手をしたら、飛んでいる鳩と航空機の区別すらつかなくなる。


 海面上を捜索する場合も同様だ。高波をノイズとして拾い、正常に反射波を処理できなくなってしまう。もちろん対策は施してあるが、万全に動作するわけではなかった。結局のところ、最終的には操作する人間の勘に頼らざるを得なくなる。この種の問題は集積回路が開発されるまで、解決を待つ必要があった。


「ドイツでしょうか」


 電信室から戻ったマーズが、小声で尋ねた。


「まだ、早い」


 エヴァンズは、あえて明言しなかったが同様の危惧を抱いていた。むしろ、マーズ以上に確信を深めつつあった。


 最初に襲撃された<オリンピア>と<クラウン>の相対距離は、十数キロ離れている。それぞれの襲撃時間から、ある可能性が浮かび上がっていた。


 敵は一隻ではない。とてもではないが、単独で遂行できる襲撃ではなかった。


 おそらく群れパックを組み、この船団を包囲しているのではないか。


──かもしれない、だろう、可能性がある。何もかもが雲のように曖昧だ。


 自嘲したくなるところを、エヴァンズは抑えた。


──やはり数が足りない


 せめて、もう二隻あれば前方に進出させて、針路上の警戒に当てられたものを。


「この夜はいつまで続くのでしょうか」


 沈痛な面持ちで、マーズは呟いた。


「明けない夜はない」


 エヴァンズは、言い聞かせるように答えた。



◇========◇

次回10月11日(月)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


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