招かざる予兆(Scirocco)7

 確かに良いビアホールビアハッレだった。ホールと言うには、少し手狭だが席数が少ないため余裕をもって座ることができる。


乾杯プロージット


 陸軍ヘェーアの野戦服を着た二人の士官がグラスを合わせると、無骨な音が響いた。エアハルト・ハウザーは、一気にグラスの半分まで飲み干した。ちょっとした長靴ほどのサイズだ。


「いい飲みっぷりだ」


 アルベルト・アドラーは、うらやましそうに目を細めた。その手のグラスは一回りほど小さく、三分の一しか空けられていなかった。


「どうした? まさか、酒は苦手なのか?」


 ハウザーが怪訝そうに尋ねると、アドラーは首を振った。


「酒は好きですよ。大好きだ。だけど、多くは飲めない。そういう体質でしてね」


「そいつは難儀だな」


「どうか、気になさらず。その代わり、私は食うほうが専門なんですよ。ほら、このシュニッツェル、かりかりでしょう。隠し味にジンジャーを使っていて、絶品だ」


 シュニッツェルはカツレツの一種だった。叩いて薄く伸ばした豚肉に小麦粉をたっぷりつけ、それを溶き卵に潜らせて、さらにパン粉をまぶす。そのうえで、じっくりと揚げ焼きすると完成だった。


 アドラーは、大皿に盛られたシュニッツェルを綺麗にナイフで切り分け、フォークを突き刺した。そのまま一口で平らげる。


「あんたも、良い喰いっぷりだな」


 ハウザーもシュニッツェルを摘まんだ。パリパリの皮がはじけ、その奥からスパイスに香りづけされた肉汁がはみ出てきた。


「うまいな……!」


「よければブルストもどうぞ」


 ほどよく焼かれた腸詰めが差し出される。マッシュされたポテトがたっぷりと盛られていた。


 ハウザーは出された料理とビールを十分に堪能すると、グラスを置いた。すかさずお代わりを頼む。すでに三杯目を飲みほしたところだったが、まだ喉の渇きは治まりそうになかった。


 アドラーは最初の一杯がいまだに残っていたが、自分用に頼んだシュニッツェルを解体していた。


「それで……そろそろ本題に移ろうじゃないか」


 4杯目のグラスを受け取りながら、ハウザーは言った。


「おっと、私としたことが──」


 アドラーは口元をナプキンで拭うと、テーブルに置いた。ひょっとして、こいつはいいとこの坊ちゃんなのかとハウザーは思った。


「すみませんね。下手をしたら食い納めかもしれないんで」


 何の気になしにアドラーは言った。


「物騒な物言いだ」


 ハウザーは探るような口調で言った。


「あなたも気が付いているでしょう。ここ数か月で、いったいどれほどの部隊が貨車に揺られてきたと思います?」


「たくさんだな。バルバロッサを思い出すほどに」


「ええ、全く──」


 アドラーは一杯目をようやく飲み干した。


 国防軍の動きは顕著だった。今年の2月からドイツ本国の部隊が次々と東方へ送られていた。いずれも高度に機械化された装甲部隊で、長距離の侵攻を想定された編成だった。


 燃料の集積も進んでいる。友邦ルーマニアのプロイエシュテ油田から、ピストン輸送を行い、数個軍集団が数か月は行動可能なガソリンを手にいれていた。


「ああ、あんたの言う通りだ。食い納めに……いや飲み納めなるかもしれない。下手をしたら、俺たちが魔獣に食われる番だからな」


 ハウザーは自嘲気味に言った。ドイツ東方、かつてソヴィエトロシアが存在していた土地は魔獣の勢力圏だった。ポーランド以東では、散発的な戦闘が続いている。


 誰もが感づいていた。ベルリンの連中は、東方の問題を一挙に片付けてしまうつもりなのだ。雪解けになり、泥濘が消え去ったタイミング……五月あたりだろうか。


「だが、どうも引っ掛かる。この前の演習だ。東を目指すならば、俺たちが対峙するのは、魔獣どもだろうに──なぜ、今になって対人戦闘なんだ。どうも、こいつはきな臭い。あんた、何か知っているんだろう」


 アドラーは周辺を警戒しながら、小声で尋ねた。さすがにゲシュタポに目を付けられることはないだろうが、用心にこしたことはないだろう。


「それは単純な話ですよ。魔獣以外の何者かと戦う、そんな事態が起こりうるかもしれないからです」


 アドラーは水を頼むと、懐から小さめの葉巻を取り出した。


「いいものをもっているな」


 ハウザーは物珍しそうに眺めた。


「よければ、どうぞ。本場のキューバ産ですよ」


 アドラーから一本もらうとハウザーは火をつけた。芳純なシガーの香りが口内に充満する。


「うまいな」


「兄から送られてきたんですよ。海軍マリーネにいましてね。ちょっと前に立ち寄ったそうです」


「キューバ、それはえらく剣呑な場所だな。ああ、そうか。つまり、俺たちの敵は……」


「そういうことです」


 ハウザーは舌打ちをした。


「今さら大西洋をくんだり、南米まで行くのは勘弁してもらいたいな」


「私もですよ。兄と違って、私は海は苦手なんでね。その昔、無理やりヨットでバルト海へ連れ出されてえらい目に遭いました。ただ、今回はその心配はしなくても良さそうです」


 ハウザーは首をかしげた。どうやら自分は何か勘違いをしているようだ。


「どういうことだ? 俺たちはキューバへ移送されるんじゃないのか?」


「いいえ、たぶん私ら・・は違います。ほら、思い出してください。もっと近くに二足歩行の仮想敵がいるでしょう。BMに分断されたバルカン山脈の向こうに……」


「ああ……」


 確かに遥か昔、五年ほど前にイタリアに泣きつかれて侵攻した土地だった。BM出現の混乱で今では忘れ去られた場所となっていた。


 グリーシェンラントギリシャ人の地 と呼ばれている。


◇========◇

次回9月30日(木)に投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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