招かざる予兆(Scirocco)4

【ダンツィヒ郊外】

 1946年4月20日 午後


 昼過ぎ、太陽が弱弱しくダンツィヒ郊外の森を照らし出していた。木の葉のスクリーンを越えて、僅かな光が漏れている。


 状況が動いたのは、待機から4時間ほど経過したころだった。斥候に出ていた大隊直属の擲弾兵小隊が無線でまくし立ててきた。


『こちらグロックアイン。敵、混成中隊を捕捉。前面に装甲部隊を展開し、接近中。目視で10両ほど戦車を確認。さらに後方に装甲兵員車を複数認める。トランペータの支援を求む』


 数秒の間をおいて、大隊本部が応答する。苛立たしいほど抑揚のない声だった。


『了解。グロック1へ、君らへはホルンを回す』


『グロック1、了解。トランペータは無理なのか。ホルンじゃ戦車を始末できない』


 トランペータは大隊本部直下の砲兵部隊、その符丁だった。


『トランペータは爆撃でやられた。ホルンも君らで看板になる』


 待望のトランペータは30分ほど前に、敵のロケット弾でガラクタに変貌している。


 ホルンは大隊本部直下のロケット砲部隊だった。たしかハーフトラックのマウルティアを改造したもので、多連装ロケットを搭載したパンツァーヴェルファーとかいう代物だった。ロケット砲は一発の威力もデカいが精度に難がある。加えて重砲に比べて射程が短い。この状況では致命的だった。


 恐らく一斉射したら下がらせるつもりだろうと思った。パンツァーヴェルファーは、前哨線の近くに配備されていたはずだ。自走できるから多少のリスクを許容したのだ。


 弾無しのロケット砲など、ただの射撃目標にすぎない。


『グロック1、君らは戦果を確認したら、すぐに下がれ』


『……了解』


 舌打ちする音が無線を切る間際に入った。


「ははっ、そりゃそうだ」


 半装軌車両、Sd.Kfzライヒタァシュツェン|250/3の中で、エアハルト・ハウザー少佐は苦笑した。車内側面の長いシート、その背もたれに上半身を預け、両足を前に投げ出している。大半の人間が抱くようなドイツ人然とした格好から、ほど遠かった。


 小刻み足先を動かし、ハウザーは太ももを揉んだ。


 あの擲弾兵、さぞや面白くないのだろうと思っている。


 なにせ、昨日から負けっぱなしで今や本陣の目の前まで攻め込まれている。擲弾兵に重砲、そしてロケット砲、すべてが大隊本部の直下部隊だ。そいつらが前線に出張るとは、それ以外の本来いたはずの隷下部隊が壊滅したことを意味している。


 唯一の例外はハウザーの部隊だった。たまたま敵の攻勢、その主攻正面から外れていたことと、幸運と機転に恵まれたおかげで生き残っている。


「笑い事じゃないですよ」


 呆れ顔で、無線手のミヒャエル・シュニッツァー伍長が振り向いた。ハウザーの真横で無線を傍受していたところだった。おかげで、惨め極まる一連の戦闘経過をつぶさに知ることができた。


「ああ、全くその通りだよ」


 こともなげにハウザーは肯定した。


「だが滑稽なのも事実だ。そうだろ? それに悲観しても何も始まらん。確かに状況は悲劇的なのかもしれんが、悲劇ってのは当事者が陶酔するための舞台装置だ。下らんよ」


「ならば、我々は傍観者ですか?」


「いいや、違う」


 ハウザーは姿勢を正すと、シュニッツァーに向き直った。


「俺らは当事者だ。行動あるのみだよ」


 ハウザーは麾下の部隊全てに無線を繋がせた。


「ホルツ1より、全車へ。聞いていたな。状況は言わずと知れているだろう。今からワルプルギスの夜にお邪魔して、台無しにしてやろうと思う。戦車、前進パンツァーマールシュ。フロントベルタまで移動する」


 周辺からエンジンのうなり声が響き、履帯が腐葉土の絨毯に轍を刻み始めた。森の影に身を潜めていたⅣ号戦車H型の群れが、木漏れ日のシャワーを浴びながら徐々に移動していく。


「まだ本部から待機命令の解除は出ていませんよ」


 シュニッツァーが一応の体裁で尋ねる。


「奴らの命令を待っていたら、日が暮れる。いや、その前に本部とやらが蹂躙される。俺は蹂躙するのは好きだが、されるのは嫌だ。おい、エンジンをかけろ」


 運転席を軽くノックすると、Sd.Kfz《ライヒタァシュツェン》|250/3が動き出した。


 ハウザーは前線近くまで移動し、伏撃アンブッシュを仕掛けるつもりだった。事前に敵の侵攻ルートは何パターンか予想している。フロントBは、そのうちの一つだった。


 ちょっとした小川を挟んで、車体を隠すのに便利そうな茂みと車体防御ハルダウン可能な傾斜と窪地がいくつかある場所だ。


「あとは、うまく誘い込めるかだな。おい、あの憐れな擲弾兵に無線を繋いでくれ。生きていれば答えるだろう」


 ハウザーに命じられ、シュニッツァーは周波数を合わせた。


 擲弾兵は生きていた


「ホルツ1より、グロックへ。災難だったな」


『死ぬよりはましだがな。与太話なら早く済ませてくれ。ヴァルキューレどものお迎えを振り切って、全力で逃げているところなんだ』


「そいつはいい。是非とも紹介してもらいたいね。ああ、こいつは冗談じゃない。今から座標を言うから、そこまで連れてきてくれ。歓待したいんだ」


 手早くハウザーは座標と地形を伝えた。


「手間をかけてすまないが、やってくれるか」


 擲弾兵は嬉々として応じた。


『かまわないよ。どうせなら派手に頼む。このまま終わるのはどうにもしまらないと思っていたんだ』


「ああ、任せてくれ」


 発進から十分ほどたった頃合いだった。


 大隊本部からハウザーへ迎撃命令が下った。


「遅いな」


 なるほど、あの擲弾兵の気持ちがわからなくもない。舌打ちもしたくなるだろう。


 戦意を疑いたくなる。さすがに敗北主義者とまではいかないが、どうも動きが鈍っているように思えた。


「無理もないか……」


 何しろ、人間相手に戦うなど久しぶりなのだから。


◇========◇

次回9月20日(月)に投稿予定

※今週は都合により月曜のみの更新となります。

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。

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