招かざる予兆(Scirocco)3
オスティアの戦いでローマBMを撃破してから、五年たったがイタリアの状況は改善したわけではなかった。あるいは時間が止まったというべきなのかもしれない。イタリア半島は、BM出現と相次ぐ魔獣の襲撃に慢性的に悩まされていた。ロレンツォとレオポルドは、その被害者の一人でもあった。
「北アフリカにはもう何もないぞ」
面白くなさそうに、ロレンツォは言った。
「そもそもアフリカに行く必要なんてなかった」
アフリカにあるイタリア領リビアは事実上の無政府状態になっていた。
アフリカ大陸にもBMが現れるのは確かだったが、全ての場所を特定できているわけではなかった。どこから湧いてきたかもわからない魔獣を相手にリビア駐留軍は疲弊しきっている。かろうじてチュニジアやトリポリなどの都市部は維持できている状況だった。
「それになあ、うちの海軍がアフリカに出張るのを、イギリス人どもが黙っているとは思えん」
BM出現から数年後、イタリアと英国は無期限の停戦協定を結んだ。しかし、あくまでも停戦であって、終戦ではない。どちらかが、
「違う。そっちじゃないよ」
レオポルドは宥めるように言った。
「じゃあ、どこだ?」
「バルカン半島だよ」
ロレンツォはあんぐりと口を開け、信じられないものを見る目になった。レオポルドは理解しがたい心境を覚えた。いや、ロレンツォの反応は当然だとしても、こんな間抜け面に惚れた姉の好みが全くわからない。
「気でも狂ったのか!?」
ロレンツォは怒鳴り声を上げた。バリートノボイスが店の外まで響き渡った。慌ててレオポルドは周囲を見渡した。
「やめてくれ。さすがに声が大きい」
「すまん、すまん。だが、そうとしか思えんぞ。何のためにバルカンなんぞへ行く必要があるんだ? アフリカとイタリアを守るだけで精いっぱいなんだぞ」
「それを僕に聞かないでくれよ。五年前だって同じこと思ったさ。なんで、ドイツ人ども戦争に僕らが加担しなきゃいけないのか、さっぱりだった」
「負けたくなかったのさ」
吐き捨てるようにロレンツォは言った。
「連合国にかい?」
「違う、ヒトラーさ。あいつに要らん対抗心を燃やしたのが運の尽きだ。もっとも、当の本人は
「あの人は自殺なんてしないだろうよ。実際ローマBMが現れても逃げずに、徹底抗戦だったろう?」
「ああ、そこだけは認めてやる」
ローマBMは間違いなく災厄だったが、ドゥーチェ・ムッソリーニの寿命を延ばしたことは確かだった。BM出現までムッソリーニの権力基盤は危ういものになっていた。北アフリカでの苦戦をはじめとして、国力の限界を超えた戦争でイタリアは疲弊していたのだ。良識のある人間ほど、ドゥーチェの決断を支持できなくなっていた。
しかし、BMに対する奇跡的な勝利と一歩も引かなかった事実がムッソリーニの支持を復活させてしまった。
「ただし、俺は知っているぞ。あいつが地下壕から威勢のいいこといっていたのだからな」
ヴェネツィア宮殿の地下には爆撃に備えた地下壕が建設されていた。ローマBM出現後、ドゥーチェは時間の大半をそこで過ごしている。
「ああ、僕も知っているよ。なにせ、あのとき
大きくため息をつくと、レオポルドは先の話をした。
「詳しく議事録を見る時間はなかったんだけど、どうやら陸路と海路両方からバルカンへ介入するつもりらしいんだ」
「海路? それは確かに俺にも関係のある話だ」
ロレンツォは海軍軍人だった。仮に、ムッソリーニが海からバルカン半島への侵攻を企てていた場合、他人ごとではなくなる。
「だがな、艦を動かそうにもギリシャまで行く油はないぞ。せいぜい駆逐艦を数隻動かせるほどだ。戦艦は片道切符になる。それでもいいならやるがいいさ」
「それについては心配いらない」
レオポルドは断言した。
「どういうことだ?」
「我らが友邦が支援してくれるらしい。それに、今回はそんな遠くには行かないよ」
「バルカンだろ? 行先はギリシャじゃないのか?」
「いいや、アルバニアだよ。ドゥーチェはアドリア海を完全に封鎖するつもりなんだ」
「
レオポルドは再び口をあんぐりと明けた。
漆黒の海、それはかつてイタリア半島東方に広がる海域だった。
今や、魔獣のプールと化したアドリア海を指している。
◇========◇
次回9月13日(月)に投稿予定
※来週は都合により月曜のみの更新となります。
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
弐進座
◇追伸◇
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます