新たな戦影(The shadow of war)11:終

【キューバ島近海】

 1946年3月10日


 カリブ海の西方を、<宵月>は十ノットほどで航行していた。


「本艦9時方向に、<大隅>を認む」


 見張り員からの報せを受けて、艦橋で儀堂は双眼鏡をあてがった。近づいてくるのっぺりとした船影が見えた。


 双眼鏡を降ろすと、視界が開け、その拍子に正面の舷窓に架けられた時計を見えた。時刻はちょうど十三時を指したところだった。


「時間通り。嘉内少佐は律儀な性格のようだ」


「確かに……ことによると、向こうの船内時計は五分遅れているのかもしれません」


 横に並んだ興津中尉が諧謔を含んだ声で答えた。海軍軍人は何をするにしても五分前行動を叩き込まれている。その揶揄だった。


「ありうる話だな」


 思わず儀堂は微笑すると、操舵手へ顔を向けた。


「取り舵、<大隅>と合流する」


取り舵とぉおりかぁじ宜候ようそろ


 操舵手が抑揚のついた声で応じる。


「よろしい……舵戻せ」


「舵戻します」


 舵輪が元の位置に戻り、<大隅>の船影が十一時方向へ遷移した。


「聞いたところによると、嘉内少佐は六反田閣下の肝いりで選ばれたそうです」


 どこで仕入れたのか、興津は耳ざとかった。


「そうか、そいつはきっと──」


 儀堂はふさわしい言葉を抽出し、絞り出した。


素晴らしいろくでもない人に違いない」


 興津が吹き出すと、艦橋内に失笑が広まった。


『なにやら楽しげよのう。良いことでもあったのかや?』


 耳当てレシーバーから脳髄を響かせるような甘い声が響いた。


「いや、なんでもない。どうかしたのか」


『狼がおるぞ。一匹狼じゃ』


 ネシスが謎かけのように唱えた。儀堂は表情筋の弛緩を引き締めた。


「……どういうことだ?」


「おぬしらが迎える|戦船いくさぶね、その背後にそろりそろりとくっついてきておる。せっかく微睡んでいたというのに、唸り声で目が覚めてしまった」


 欠伸まじりに不満げな吐息が漏れた。儀堂は糸のように目を細めると、大脳を活性化させた。ほどなくして、取るべき行動を思いついた。



 <大隅>の艦橋は飛行甲板の下、船首側にあった。元々、輸送船として建造されたことから、空母のようなまともな艦橋をもつことはできなかったのだ。


 代わりと言っては何だが、かなり余裕のある空間を確保することができた。船内の調度品もなかなかに洒落た意匠のものが多かった。建造を請け負った造船会社が客船の建造を主流としてきたからだった。


『<宵月>の変針を認む。本艦へ向けて、航行中』


 高声令達器スピーカーが響き、艦長の嘉内康かないやすし少佐は双眼鏡を手にした。皮張りの艦長席から立ち上がる。海軍の艦では考えられないほど豪奢で快適な椅子だった。


「さて、月の申し子とその主にご対面か」


 双眼鏡を掲げる手が途中で止まる。続けて、高声令達器から焦りの色を帯びた報告がなされた。


『<宵月>、離水……上昇しつつ、本艦へ接近!』


 やれやれと嘉内は思った。


 フネが飛んだくらいで、浮足立ってどうするのだ。これは教育が必要だ。



 聴音ソナー室を仕切るカーテンが開かれ、髭面のソナーマンが顔を出した。


「艦長、異変です」


 ささやき声で告げる。すぐにマンフレート・ゼーゼマン少佐は司令室から歩み寄ってきた。


「どうした?」


「駆逐艦の推進音が途絶えました」


「……停止したのか」


 キューバ島が近いとはいえ、水深は浅くないはずだ。錨を降ろして、停泊することは不可能に思えた。


「空母は?」


「微速で航行中。変わりはありません」


 ゼーゼマンが乗る<U-462>は、日本の空母を追跡していた。十日ほど前に、アルゼンチンのラプラタに寄港していたところ、ドイツ本国のキールから命令をうけたためだった。


「意見を聞きたい」


 ゼーゼマンは尋ねた。相手は自分よりも一回りほど年下の下士官だったが、センスは抜群だった。


 ふんだんに無精ひげを蓄えた聴音手が首をかしげた。


 やはり何かあるに違いない。


「不自然です」


「もっと具体的に」


「スクリューが派手に分回っていたのが、プツリと切れたました。停泊するつもりなら、しぼんだように音が消えます。まるで──」


 何かを言いかけて、ためらっていた。


「話せ」


「急に海から消えたように思えました。それがどういう状況かわかりま──」


 聴音手の顔が見る見るうちに青ざめていった。


「おい、大丈夫か」


「艦長、刺されました」


「なに?」


「アクティブピンを打たれました」


 ソナーに直結したレシーバーから、耳障りな音波のノック音が響いていた。何者かが<U-462>の居場所を特定しようとしていた。


「日本人ども、俺たちの存在に気がついています。畜生、なんてことだ。いったい、どこから……」


 唐突にノックが止むと、特徴的な着水音が続いた。反射的にレシーバーを耳からもぎ取った。


「爆雷です!」


「耐衝撃!」


 十数秒後、<U-462>の周辺で水中爆発が起きた。艦内がシェイクされ、いたるところで小規模な浸水が発生する。どうやら直撃は免れたらしい。


「急速潜航! 潜れ! 潜れ!」


 ゼーゼマンが怒鳴ると同時に、バラストタンクに水が充満していった。<U-462>はカリブ海の底へまっしぐらに向かっていく。


「くそったれめが!」


 ゼーゼマンは毒づいた。


 いったい、どこから気が付いていた? 


 だいたい、どうやって距離を詰めたのだ?


 俺たちとあの駆逐艦は、十浬ちかく離れていたはずだ。捕捉から迎撃まで、一時間はかかるだろうに……。


魔女の艦ローレライだ」


 うめくようにゼーゼマンは罵った。



 爆雷によって水柱が屹立した跡には、ただ凪いだ海だけが残っていた。


 <宵月>は戦果を確認することなく、カリブ海に別れを告げた。


 カリブ海を巡る戦いは終息したが、それは仮初に過ぎなかった。第十三独立支隊の行く先には、鍵十字で閉ざされた戦影があった。


◇========◇

次回8月30日(月)に新章を投稿予定

すみません。

作者体調不良により木曜の更新をお休みします。

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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