新たな戦影(The shadow of war)10

【グアンタナモ】

 1946年3月10日


 合衆国海軍USSの駆逐艦<ベッドフォード>に、ようやく安息の日々が訪れていた。彼女が身体を休めるようになったのは、カリブ海の騒乱から半月ほどたった頃だった。



 グアンタナモやコロン、その反対側にあるパナマ、いずれも岸壁に空きがなかったためだ。合衆国はコロンとパナマにいる第三国(その中にはドイツも含まれている)の船に対して、退去命令を出したが、それでも余裕があるとは言い難かった。


 特にコロン側の船舶は、どれも魔獣の襲撃で何らかの損傷を受けていた。さすがに自力航行すらできない船を大海原にたたき出すことはできない。


 結局、<ベッドフォード>は十日間ほどカリブ海を彷徨った後でコロンへ入港、それから一日も経たずして再び出港する羽目になった。<ベッドフォード>と行きかうかたちで、日本の軽巡洋艦が入っていくのが見えた。パナマ側から、こちらへ出てきたらしい。<ベッドフォード>ほど酷くはなかったが、あちらこちらに生傷・・をつくっていた。パナマもただでは済まなかったのだと悟った。


 コロンを出た後、再び一週間近くカリブ海を哨戒した後で、<ベッドフォード>は母港グアンタナモへ帰港することができた。


 そこでようやく副長のマンスフィールド少尉は、たらい回しにされた理由を悟った。


 マンスフィールドの配置は相変わらず操舵だった。本来ならば兵卒に任せる部署だったが、あいにく人員の補充が追いつかなかったのだ。当初は戸惑うことも多かったが、さすがに半月も舵を握り続けば慣れてくる。


 ふと艦橋の舷窓から外を眺めていると、流れていく景色に異様なものが映った。右舷に傾斜した空母<レキシントンレディレックス>だった。カリブ海の騒乱の夜、彼女はグアンタナモ湾を塞ぐように座礁した。そのためグアンタナモ湾内にいた有力な艦艇は袋のネズミと化したのだった。


 合衆国海軍は、ありったけのタグボートをかき集めて、この令嬢を海岸部までエスコートした。その甲斐もあって、湾内外の通行の目途は立った。代償として<レキシントン>はしばらくの間は眠り姫として、グアンタナモの岸辺に横たわることになった。


「月の中に人がいて、月から外を見てたとさ。そしたら月の人が言いました。わたしゃお空にのぼるときゃ、赤ちゃんみんな、おねむだと」


 横たわる巨大な鉄の揺りかごを見ながら、マンスフィールドは口ずさんだ。


「マザーグースだったかのう?」


 背後から艦長のウィテカー中佐が語り掛けてきた。まさか聞こえていたとは思わず、マンスフィールドは面食らった。


「すみません。母が好きだったんです」


「かまわんよ。なつかしい。わしの家内も好きだった。よく夜泣きした息子に聞かせていた」


 マンスフィールドはしわくちゃの顔をほころばせたが、長続きはしなかった。グアンタナモ基地の惨状が目に入ったからだ。


「ずいぶんと、手ひどくやれたな」


「……はい」


 艦橋内から会話が途絶えた。


 グアンタナモ湾内のあちこちに、船舶の残骸が打ち捨てられていた。戦闘艦艇ではなく、大半が輸送任務を負った船舶だった。マストやブリッジが小島のように海面から突き出ている。


 港湾施設の復旧は進んでいたが、完全回復まで半年はかかりそうだった。いたるところに集積された残骸の山が、損害の深刻さを物語っている。中には完全に更地になったエリアもあった。たしか燃料タンクがあった場所だ。塗りつぶしたように地面が黒くなっている。


 マンスフィールドは、ただ絶句して変わり果てた母港を見つめていた。何も言葉が思い浮かばなかった。コロンもなかなかに酷かったが、ここに比べればマシに思えた。


 呆然としたマンスフィールドの後ろで、大げさなあくびが聞こえてきた。ぎょっと振り向くと、ウィテカーが背伸びをしていた。


「副長、忙しくなるぞ」


「アイ、キャプテン」


 マンスフィールドはかすれた声で答えた。


「のう、お若いの。ひとつだけ、この老人から予言を授けよう」


「予言……ですか?」


「ああ、これから得難い光景を見ることができる。人が立ち上がり、復活していく光景さまを。我らが合衆国の原風景だ。それは、お前さんにとって財産になるのじゃ。さあ、もうすぐ入港じゃ」


 しわがれた声を張り上げ、ウィテカー中佐は立ち上がった。老いた顔だが、悲観は感じなかった。かくしゃくと背筋を伸ばし、挑むように外の光景と対峙していた。


 これが艦長キャプテンなのだ。


 マンスフィールドは自然と背筋が伸びるのを感じた。こんな爺さんでもファイティングポーズを取り続けているのだ。若者の自分がダウンしてどうするのだ。


 マンスフィールドは舵を握り直した。


「おや、見慣れぬ艦があるのう」


 首を傾げたウィテカーの視線を追う。確かに見たことのない艦が出港しようとしていた。グアンタナモでも貴重なドライドックから這い出るように湾内へ出ていく。


「護衛空母……にしては、大きいですね」


「ラングレーを思い出さんか。ほれ、あれも艦橋アインランズがなかっただろう」


「確かに……」


 <ベッドフォード>とすれ違いざまに、艦尾に翻る旗が見えた。


 見紛う事なき、旭日旗ライジングサンだった。


◇========◇

次回8月23日(月)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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