新たな戦影(The shadow of war)9

【パナマ港】


 ちょうどホテルの部屋で荷づくりをしていると、誰かがノックした。


「入れ」


 六反田はボストンバックにあれこれ詰めながら、ドアを見ることなく返事をした。そろそろだろうと思っていた。


嘉内康かないやすし、参りました」


「おう、遠路はるばるご苦労さん」


 六反田が振り返ると、嘉内少佐は敬礼を行った。軽い答礼の後で、六反田は近くの椅子をすすめた。


「従兵、おらんか」


 すぐに扉から従兵が顔を覗かした。六反田が財布を放ると、臆することなく綺麗にキャッチした。


「すまないがアイスコーヒーを頼む。君はどうするね?」


「私もそれで……」


 嘉内は礼を言うと、しげしげと室内を見渡した。分厚い眼鏡にはパナマ全域の地図や紙の束でごった返した光景が映っていた。


 果たして今日中に荷づくりが済むのか、疑問を覚える。


 心中を読んだのか、六反田がにやりと笑った。


「安心しろ。今日中に出ていくさ。さもないと帝都の連中、憲兵をよこしかねん」


 冗談とも本気ともつかない口調で、六反田は言った。


「さて、それはどうでしょう。向こうも閣下が大人しく捕まるとは思っていないのでは? 私ならば、よく訓練された特別陸戦隊を送り込みますよ」


 嘉内は手慣れた雰囲気でやり返した。彼は、数年前に地中海で六反田とともに護衛任務に従事したことがあった。そのときまでは、まだ飛行隊長を務めていた。


 六反田は大笑すると、従兵がコーヒーを運んできた。嘉内はありがたく頂戴した。喉から腹へかけて冷水が染み入っていく。


「まあ、元気そうで何よりだ。手ひどくやられたと聞いていたからな」


 六反田はこめかみを指さした。嘉内は戦闘中に負傷し、その際に視力を著しく低下させていた。天蓋のガラスが割れ、目に刺さったのである。失明には至らなかったが、二度と操縦桿を握れなくなってしまった。


「命あってのものだねです。あるいは怪我の功名とでも言いましょうか。自分の新たな一面に気づくきっかけになりました」


 嘉内は遠く見る目で肯いた。


「なるほどねえ。率直に言うが、私としては君が招集に応じてくれるとは思っていなかった。君がいたところの部署長も、なかなか君を手放さんと思っていたからな」


 嘉内は微苦笑すると、首を小さくふった。


「特設とはいえ、空母の艦長職ですよ。打診されて断るはずがありません。私も飛行機乗りの端くれでしたから、空の仕事にありつけるだけ有難いものです」


 嘉内は<大隅>の艦長職に任命されていた。もともとは軍属の民間人が代理で務めていたのだが、さすがに支障をきたすということで六反田が要請したのである。


「そういってもらえると俺としても気が楽だ。まあ、このまま俺が指揮を執り続けるわけにもいかんかったのでな。まさに、君の存在は渡りに船というやつだった」


「ご期待に応えられるように努力します。ところで──」


 嘉内は一呼吸おくと、わずかに目を細めた。


「閣下の期待には、艦長職以外も含まれているのでしょうか?」


 六反田は悪童ような笑みを浮かべると、肯定した。


「もちろんだ。前職での君の経験を存分に活かしてもらいたい」


「やはり──」


 嘉内の口角が自然と上がった。


「話が早くて助かるぜ」


 六反田は懐から煙草取り出すと、火をつけた。嘉内に箱を差し出すと、一本だけ抜き取られた。


「まあ、東京でもパナマの話題で持ちきりでしたから。ドイツ人のお祭り騒ぎは成功したようですね」


 嘉内は一息吸うと煙草の銘柄を確かめた。どうやら気に入ったらしい。


「ああ、いよいよナチスどもが表立って仕掛けてきた。君が行く先は、言ってしまえば奴らの庭だ。正面決戦だけでは、どうにもならんことが多い。ときにはからめ手が必要になってくる」


「……影の戦いですね」


「ああ、君のような情報将校の独壇場だ」


 嘉内は軍令部の特務班、おもに第四部の第八課で欧州方面の情勢分析を行っていた。


月読機関うちは、あくまでも対BM戦が本職だ。対人戦までは手が回らん。それにわかると思うが、その手のやり方にはお作法があるだろう。第十三独立支隊は、全く向いておらん。儀堂君は極端すぎるし、本郷君は人が良すぎる、あと、ほら飛行隊の──」


「戸張大尉ですか?」


 嘉内は既に麾下の編成を把握済みだった。


「ああ、それ。戸張君は、まあ空のことしか考えておらん」


「健全ですな」


「いかにも。ということで、うちの裏口の番を君に頼みたい。必要とあらば人員の追加もやってもらってかまわんよ」


「そうします。前の部署から呼び寄せましょう」


「そいつは有り難いが……角が立たんか?」


「ご安心を。話を通したうえで、こちらに来ておりますから」


 六反田は目をぱちくりとさせると、にこりと笑った。


「ならば、よろしい。存分にやってくれ」



 荷づくりを終えた六反田は、ボストンバックを手に二式大艇に乗り込んだ。既に先客が二名着席していた。


 そのうちの一人は矢澤中佐だ。


「嘉内少佐は間に合ったようで、よかったです」


「君も挨拶ぐらいしていけばよかっただろうに、知らない仲じゃあないだろう」


 矢澤は呆れた顔を浮かべた。


「私は、あなたが命じた雑事に付き合わされていたんですよ。もう、お忘れですか」


「そうだったか? そりゃすまなかった」


 悪びれもせずに言うと、六反田は機内の奥に進んだ。ボストンバックを兵士に預け、最後尾の席に座る。向かい側には白い第二種軍装に身を包んだ士官が座っていた。寸法サイズが合っていないらしく、服に着られている印象がある。帽子を目深に被り、その顔を伺うことはできなかった。


 六反田はおもむろに話しかけた。


「待たせてすまなかった。ちょいと野暮用でパナマの滞在が長引いてしまってね」


 士官は何もこたえなかった。かたくなに口を閉ざしている。


「安心したまえ。ここにはハーケンクロイツの息がかかったものはいない。全員、私の顔見知りだ。それともお怒りかな、お嬢さんフロイライン


 士官は大きくため息をつくと、顔を上げた。鋭利な視線が六反田に向けられる。


「生きた心地がしなかったわ」


「そりゃあそうだろう。一時的とはいえ生物学的には死んでいた。書類上では今でも死んでいるがね」


「うまくいったのかしら……」


「恐らくはね。そこら辺は御調君や儀堂君を信じてほしいねえ。ぶっつけ本番にしては、よくやったほうだろう」


「ええ……そうね。私のメッセージが伝わっているのか不安だったのだけれども、あそこまで用意周到だとは思わなかったわ」


「想定しうる限りの事態は想定した。だから君が何を言おうとしたのか、おおよそわかった。それにしても『三列目のシャネル五番』か。たしかに、そいつは銀座の百貨店を探し回っても見つからんだろうよ。まあ、何はともあれ。君は自由だ」


 士官姿のドイツ人は嘆息した。


「いいえ、まだよ。家族を残してきているの……」


「……すまない。今のは失言だったね。まあ、いずれ会える。約束しよう」


「お願い……ところで、私はどうなるの?」


「君は死んだ人間だからな。何かと不自由するかもしれないが、そこは我慢してくれ。しばらくの間、樺太に滞在してもらう」


「樺太? そんな遠くへ?」


「君にとっては、そこが安全だ。ロシアが近いが、それだけにナチスの手は届きにくい。今やロシア人共通の敵だからな。なかなか協力者を送り込むことも出来んだろう。ああ、研究には支障はないから安心してほしい。あそこには、我が国の最新設備があるんだ」


「樺太で研究って……貴方たち、何をやろうとしているの?」


「まあ、行けばわかるよ。いずれ君も目にする。何と言うべきかな。国家の保険みたいなものだ」


 珍しく六反田は言葉を濁した。


◇========◇

次回8月19日(木)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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