新たな戦影(The shadow of war)8

 何が起きたかわからなかったが、酷く不味い状況にいることは確かだった。幸いなことに身体の自由は奪われていない。ローンは周囲を見渡してみたが、どこまで暗い闇が続いているだけだった。下手に動かないほうがよさそうだ。


 ローンは深呼吸を行い、咳ばらいをした。


「……これは、あなたの独断でしょうか?」


 無間の闇へ動じることなく、問い返す。内心では必死に恐怖に抗っているが、ひとつだけ確信していることがあった。


 この少女は自分を殺さない。もっと正確にいうのならば、あの士官が殺させるはずがない。


『ほう、肝が据わっておる』


 ひくついた笑いが辺りに響き渡った。


『妾の意であろうとなかろうと、それが何か関係があるのか?』


「ええ、もちろん……これは明確な敵対行為だ。ことと次第によっては、我が国は日本との関係を破棄させてもらう。それは、あなたの主の立場を不利にする。それでもよければ、この戯れを続けると良いでしょう」


『戯れ……ふふ、戯れとは良い喩えじゃ。ならば、お望み通り、遊んでもらおうか」


 不意に闇の一部がうごめき、くぐもった唸り声が上がった。聞いた覚えのあるものだった。


──正気かよ


 ローンの額から汗が伝い、心拍数が不健康な値を示し始めた。


 視認できないが、魔獣がそこにいる。陸棲タイプの四足獣だ。その足音が着実に近づいてきていた。


「戯れにしては度を越していませんか? あなたの意図がわからない」


 ローンは後ずさろうとしたが、それは出来なかった。背後から別の魔獣の足音がひたひたと近づいてくる。うめき声の二足歩行……グールか。


──糞ったれの月鬼ブラディ・デビルが……!


 すぐそこまで見えない獣が迫っていた。


 咆哮と同時に跳躍し、鋭利な牙がむき出しになった。


 ローンは覚悟を決め、懐に手を伸ばしたとき、不意に視界が晴れ渡った。


「な……」


 呆然とローンは辺りを見回した。不可解な顔を浮かべた儀堂と御調がこちらを見ている。その背後でプールで戯れるネシスの姿があった。


「ローン大尉、どうかされましたか」


「それは……」


 白昼夢か? いや、そんなはずがない。自分は確かに異空間に閉じ込められ、あの月鬼が生み出した魔獣に食い殺される寸前だった。


幻視魔術ミラージュか」


 ローンは呟いた。再び・・プールサイドからネシスが上がってきた。ローンと目が合い、口端が吊り上げられる。牙のような犬歯がのぞいた。


──糞ったれブラディ


 なんという船に俺は乗り込む羽目になったのだ。何の下準備もなしに、あの悪魔は異空間を発生させた。聞きしに勝る反則ではないか。


 御調のそばにネシスが並ぶと、儀堂は壊れた蓄音機のように数分前と同じ台詞を口にした。


「改めて紹介しよう。英国海軍ロイヤルネイビーのアルフレッド・ローン大尉だ。彼には欧州までの同行してもらう」


「……ローンです」


 硬い表情のままローンは敬礼を行った。御調が答礼し、その横でネシスは愉し気な眼差しを向けてきた。


「ローンとやら、なかなか骨のありそうな男じゃ。儀堂、これは退屈せずにすみそうじゃな」


 儀堂は眉間に皺を寄せると、窘めた。


「……失礼のないようにしろ」


 酷いジョークだと思い、おもわず頬が引きつった。


「ローン大尉、そろそろ良い時間だ。我らの航海について語ってくれないか」


 儀堂に促され、ローンはパラソル近くの折りたたみ椅子に腰を下ろした。木製のため熱を帯びてはいなかったが、背中には汗でべったりとシャツが張り付いていた。


「貴官の部隊には準備が整い次第、大西洋を横断していただきます」


 儀堂は肯いた。


「六反田閣下から聞いている。ただ、ひとつ確かめておきたい。<宵月>と<大隅>は、どこで修理できるのだろうか。航行に支障はないが、現状では全力発揮は難しい。特に<大隅>は浸水による速度低下が懸念だ」


「もっともなお話です。<オオスミ>はグアンタナモ基地のドライドックに入っていただきます」


「……よく合衆国が納得したな」


 訝しむように儀堂が言った。いったいどんな魔法を使ったのだろうか。


「今回の件で、彼らはいくつか負債を追いました。その肩代わりを申し出たまでです」


 ローンは詳細を語らなかったが、おおよその想像はついた。きっとキューバの反対側にいるドイツ軍のことだろう。連中が明確な脅威となった以上、合衆国にとって英国の協力は不可欠となる。何しろ今や欧州唯一の同盟国なのだから。


「ただ、<ヨイヅキ>ついてはお待ちいただきたい。非常に申し上げにくいのですが、このまま大西洋を渡っていただきます」


 儀堂は僅かに顔を曇らせたが、承服することにした。どのみちカリブ海周辺で腰を落ちけることはできないだろうと思っていた。


「問題ない。<大隅>の足が戻るのならば十分だ」


「ご安心ください。海の向こうでは最高の歓待をご用意いたしますので」


「それは……楽しみだ」


 それから細々とした打ち合わせを経た後で、ローンは邸内へ戻っていった。数十分前に自分が味わった奇妙な体験について、報告するつもりだろう。


「それで、見立ては?」


 英国人の背中を見送りながら、儀堂は尋ねた。


 隣のビーチチェアでネシスがしなだれかかっていた。


「黒じゃ」


 ぼそりとネシスは呟いた。


「わかった……」


 愉しい欧州行になりそうだと思った。



 パナマシティでは六反田の会見が終わろうとしていた。最後の質問で指名されたのは、日本の新聞社だった。


「提督、我ら<宵月>の次の戦地はいかなるところでしょうか」


 六反田は方眉を上げた。海軍旗によく似た腕章を見ながら、こいつはさっきから何を聞いていたんだと思う。あれだけ材料がありながら、答えを求めるのか。


 六反田は意地の悪い笑みを浮かべた。


我らの海マーレノストゥルムさ」


 会見はそこで終わった。


◇========◇

次回8月16日(月)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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