新たな戦影(The shadow of war)7

【パナマ-コロン】

 1946年2月28日


 <大隅>よりも一足先に<宵月>はカリブ海へ到達していた。今より三日ほど前、ミラフローレス閘門を抜けて、大西洋側のコロン港へ出ていた。太平洋側のパナマ港が手狭になっていたためだ。もっともコロンも似たような状況ではあったが、合衆国側の配慮で<大隅>が合流してくるまで、岸壁に停泊できることになった。


 翌日から港は見物人でいっぱいになった。何しろ<宵月>の活躍はパナマは愚か世界中に喧伝されているのだ。


 奇跡の艦ミラクルシップ<宵月>。


 魔導駆逐艦メイガスデストロイヤー<宵月>。


 御大層な見出しが、世界中あちらこちらの朝刊一面を飾っていた。ただし、それらの中にはドイツ語圏は含まれていなかった。欧州のドイツ勢力圏では、<宵月>よりも空母<グラーフ・ツェッペリン>の活躍のほうがクローズアップされている。


 ある意味では、六反田の思惑通りだった。さすがというべきだろうか。月読機関の古狸は、やられっぱなしでは済まさなかった。二隻のを傷物にされた代価をきっちりとむしり取るつもりだった。


 カリブ海の騒乱から数週間後、爆破テロの収拾がついた頃のことだ。六反田はパナマ中のマスコミを一堂に集め、記者会見を開いた。マグネシウムのフラッシュにたかれながら、六反田は第十三独立支隊の欧州派遣を公表した。


 途端に会場がどよめき、何名かが電報を打つため、走って外へ出ていった。


 六反田は悪童のような笑みをたたえながら、その様子を見守った。


「目的はなんですか?」


 記者の一人が尋ねた。


「そんなものは決まっている」


 口の端を吊り上げられ、ヤニに染まったが歯が見えた。


遠征イーリアスだよ」



 パナマシティで六反田が大見得を切っている頃、地峡を挟んだコロンでは緩やかな時間が流れていた。


 三人組の男女が、市内の豪邸へ入った。補足するならば、成人の男女と少女で構成されている。はたから見たときに、家族両行の一団に見えるかもしれない。今が戦時でなければ、すんなりと受け入れられる解釈だった。


 彼らが入った屋敷は、表向きは英国の貿易商社の支店として登録されたものだ。もともとは旧東インド会社の重役がもっていたもので、同社が解体後に転々と人手に渡って今にいたっている。


「お主から逢瀬に誘われるとは、珍しいこともあるものよ」


 水色のやけに丈の短いワンピースを着たネシスがからかうように言った。下にはぴっちりとした短パンを履いている。屋敷の主からプレゼントされた水着だった。


 視線の先には儀堂が平服で腰をビーチチェアに下ろしていた。パラソルが日陰を遮っているため、さほどの暑さは感じない。


「何が逢瀬だ。莫迦野郎」


 儀堂は呆れた顔で言い返した。ネシスは愉快そうに笑い声をあげると、すぐそばのプールへ飛び込んだ。しなやかな肢体をイルカのようにうねらせながら、水中を突き進んでいく。並の人間では真似できそうにない泳法だった。


 あれだけ泳げるのならば、<宵月>が沈んだとしても大丈夫そうだ。漠然と儀堂は思った。


「司令……」


 横合いから消え入りそうな声で話しかけれれ、反射的に首を向ける。


 真に奇異なことに、御調少尉が弱りはてた姿があった。


「ご厚意に甘えたのですが……」


「ああ、うん」


 返答に窮する状況だった。


 御調少尉は先進的なデザインの水着を身に着けていた。上下が分かれたタイプで、布面積が極端に削減されていた。色は鮮やかな紅色で、強烈に網膜に焼き付けられる。


「私の寸法に合うものが、これしかなかったのです」


 どうやら彼女は着やせするタイプだったらしい。


「なるほど、それは致し方がない」


 儀堂は肯いた。男子であるからには、沸き上がるものものはないわけではなかった。しかしながら、御調少尉の困り果てた顔のほうに新鮮さを覚えていた。


「やはり、着替えてきます」


「何を無粋な。これからではないか」


 いつの間に這い上がったのか、横合いからネシスが腕をひっぱり、プールへ引き込んだ。派手な水しぶきがあがり、御調は濡れネズミとなっていまった。


 ネシスは哄笑すると、御調の手を放し、水の中を逃げ回った。


「待ちなさい!」


 柳眉を逆立て、御調が追いかける。どこで覚えたのだろうか、見事なクロールで追随していく。鬼が追いかけられとは、とんだ鬼ごっこだなと思った。


「お二人とも楽しんでいただているようで何よりです」


 ようやくホストのお出ましだった。パラソルの近くに人影が歩み寄る。儀堂はビーチチェアから立ち上がり、相手を迎えた。


「ローン大尉、貴国のはからいに感謝する」


 敬礼を行うと、相手も返してきた。


「いいえ、とんでもない」


 アルフレッド・ローン大尉は手を降ろすと、儀堂に椅子をすすめた。


「たまには息抜きも必要でしょう」


「全く、その通り」


 プールで戯れる二人を見ながら、儀堂は肯いた。


「彼女らは、それだけのことをやってくれた。もっと報われてもいいと思う。しばらく、先になるだろうが」


 水面の反射する陽光に、儀堂は目を細めた。


「あなたは、泳がないのですか」


 儀堂は少し考えた後で、「エクスキューズミー」と前置きした。


「私の好みではないのだ。泳ぎに良い記憶がない」


 泳げないわけではない。むしろ、江田島では泳ぎが達者な候補生として知られていた。遠泳訓練の際は先導役にすら任じられたほどだった。今にして思えば、泳ぎを純粋に楽しむことができた貴重な時間だった。


「ここ数年間、何度か泳がざるをなかったことがある。海軍軍人にとって、それが何を意味するのか。あなたにはわかるだろう」


「なるほど……」


「誤解しないでほしいが、あなたの計らいには感謝している。彼女らには必要な時間だった」


「ええ、もちろん」


 複雑な男だとローンは思った。同時に、なかなか手ごわい相手になりそうな予感がした。


「これからお世話になるのですから、これくらいはお安いものです」


 ローンは外向きの仮面をかぶり直し、場を仕切り直すことにした。ちょうど鬼ごっこを終えた二人がプールから上がってきた。


 御調はローンの姿を見るや、恥じらいを捨てさり敬礼を行った。ネシスは品定めをする目で見ていた。


「改めて紹介しよう。英国海軍ロイヤルネイビーのアルフレッド・ローン大尉だ。彼には欧州までの同行してもらう」


「ローンと申します。道中、よろしくお願いいたます」


「お主のことは覚えておる」


 ネシスが言った。


「光栄です」


 ローンが胸に手を置き、軽く礼をした。


「ちょうどよいところに来た。聞きたいことがあったのじゃ」


「なんなりとどうぞ」


『妾に隠し立てがあろう?』


 ローンの視界が漆黒に包まれた。



◇========◇

次回8月12日(木)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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