新たな戦影(The shadow of war)2

 ちょうど正午の鐘が鳴ろうとしているころだった。足早に廊下を歩く小鳥遊少佐の姿があった。


「君、ちょっとすまない」


 小鳥遊少佐は、すれ違った士官を呼び止めた。相手は階段から降りてきたところだった。


 あまり見ない顔だったが、日本人の中尉の海軍士官だった。ふと自分と同じ予備士官だろうかと思う。老け顔の割には、階級が低すぎた。それに形容しがたいが、海軍士官らしからぬ顔つきだった。どちらかと言えば一昔前の陸軍にいそうな、剣呑な雰囲気を醸していた。


「はい」


夜明けアマネセの間はどこだろうか。そこで会議があるはずなのだが……」


「それでしたら、こちらの階段を三階まで上がってください。右に曲がって、奥から二番目の部屋です」


「ありがとう」


「いいえ、どういたしまして」


 小鳥遊は相手に違和感を覚えながらも階段を上った。とにかく時間がぎりぎりだった。連絡士官のミスで誤った会場に足を運んでいたのだ。幸い予定時刻よりも早く現地についていたため、間違いに気が付いたのだが、そのおかげで定価の倍以上のタクシー代を払う羽目になった。


「いや、待てよ」


 小鳥遊は自分の違和感の正体に気が付いた。


 そうだ。服だ。


 なぜ、あの士官は第二種軍装、白服を着ていたのだ。いくら夏服と言っても、このパナマでは暑すぎる。小鳥遊を含め、たいていの士官は草色の三種軍装を身に着けている。人によっては防暑服で出歩いている者もいる。小鳥遊の疑問は、長くは続くなかった。考えてもわからないうえに、何よりも早く会議室に向かわなければいけなかったからだ。


 早歩きで二階の踊り場に差し掛かった時、爆発音が響き渡った。


 三階のフロアの一部が吹き飛ばされ、あたり一面が瞬く間に騒然となった。爆発の瞬間、小鳥遊はとっさに伏せた。粉塵で視界が塞がり、呼吸が出来なくなる。恐怖とパニックに支配されながらも、彼の思考はある可能性を浮き上がらせていた。


 これはテロだ。



 あの士官は会議に間に合ったのだろうか。


 悲鳴と怒号が飛び交うロビーを抜けながら、オロチは思った。ホテルから逃げる人ごみにまぎれて、そのまま裏通りに入るとセダンが止まっていた。


「出してくれ」


 助手席に乗り込むと同時にセダンのエンジンがかかる。


「派手にやったな」


 運転手役のオクトが言った。バックミラー越しに遠ざかるホテルが見えている。今や、元ホテルあるいはホテル跡地と言うべきかもしれない。黒煙が舞い上がり、あちこちでサイレンが鳴り始めていた。大通りを日英米の兵士たちが血相を変えて向かう一方で、パナマ市民たちは唖然とその様子を眺めていた。


「なに、大したことはない」


 オロチがパナマ会議の議場に持ち込めたのは、アタッシュケース一つ分にすぎなかった。それでもホテルの風通しを過剰に良くするには、十分な量だった。


死せる戦士エインヘリャル作戦は完了だ。しばらく、日英米はキューバにかかずらわうことができないだろう」


 オロチが吹き飛ばした会議室には、日英米の高官が集合していた。彼らはパナマとキューバを含む、カリブ海一円の戦力再編について話し合う予定だった。その議題にはキューバ臨時政府と駐留ドイツ軍に対する処方も含まれている。


「俺の失態の尻拭いをさせちまった」


 オクトは前を向いたまま、無表情で言った。


 今回の作戦は、急ごしらえで計画されたものだった。どうもベルリンは、オロチたちパナマ潜入組の働きに不満を持っていたらしい。特に<宵月>と<大隅>の動きを完封できなかったことに対して、明確に失敗だと断じていた。今回の作戦は、いわゆる汚名返上として与えられた機会だった。


「すまない」


 オクトはハンドルを切りながら言った。一度は<宵月>の艦長を拘束しながらも逃走を許し、パナマ湾で<大隅>を雷撃するも行動不能に陥らせることはできなかった。


「私の認識では、君は失態など犯していない」


 オロチは第二種軍装の上着をぬぎながら言った。いつも通りの、抑揚のない機械のような一定のトーンだった。


「今回の作戦も君が装備を調達できなければ遂行不可能だった。スコルツェニー大佐も恐らく同様の認識だろう。仮に失態と言うのならば、それは私の失態なのだ」


 淡々とオロチは続けた。


「立案と配置は私が行ったのだからな。それに──」


 オロチはシャツのポケットから上等のシガーを取り出した。ホテルのロビーからくすねてきたものだ。ライターで火をつけると、車の窓を開ける。


「我々は全てを知っていたわけではないからな。ただ、決められた時間までに全てを終えろと言われただけだ」


 オクトは少し驚いていた。横目で見たオロチの顔は、声のトーンとは対極でひどく不愉快そうな表情を浮かべていた。


「えらく不景気な顔だぜ、わが友モナミよ」


 オクトがからかうように言った。


「ああ、不愉快だよ」


 オロチは素直に肯定した。オクトはさらに面食らった。


「すまない。莫迦にするつもりはなかった」


「いいや、君の軽口ではない。それはいつものことだ。今回の作戦、全般が私の好みから外れているからだ」


 なるほど、ドイツはキューバに楔を打つことができた。ベルリンの思惑通りなのだろう。


「しかし、私は何も知らない」


 オロチ達は、ただ言われるがまま任務を遂行しただけだった。あのキューバ危機の夜に、都合よく魔獣が現れるなど聞かされていなかった。それが気に食わなかった。自分たちが、ただの駒だとはわかっていたが、それにしても配置されるゲーム盤のルールくらい教えてくれてもいいではないか。


「我々はプレイヤーですらないのか」


 オロチは窓から吸いかけのシガーを捨て去った。


「何か言ったか?」


「いいや、なんでも……ただ、カリブ海のダンスに飽きてきただけさ」


 セダンは、その後に消息を絶った。


◇========◇

次回7月26日(月)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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