新たな戦影(The shadow of war)2
ちょうど正午の鐘が鳴ろうとしているころだった。足早に廊下を歩く小鳥遊少佐の姿があった。
「君、ちょっとすまない」
小鳥遊少佐は、すれ違った士官を呼び止めた。相手は階段から降りてきたところだった。
あまり見ない顔だったが、日本人の中尉の海軍士官だった。ふと自分と同じ予備士官だろうかと思う。老け顔の割には、階級が低すぎた。それに形容しがたいが、海軍士官らしからぬ顔つきだった。どちらかと言えば一昔前の陸軍にいそうな、剣呑な雰囲気を醸していた。
「はい」
「
「それでしたら、こちらの階段を三階まで上がってください。右に曲がって、奥から二番目の部屋です」
「ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
小鳥遊は相手に違和感を覚えながらも階段を上った。とにかく時間がぎりぎりだった。連絡士官のミスで誤った会場に足を運んでいたのだ。幸い予定時刻よりも早く現地についていたため、間違いに気が付いたのだが、そのおかげで定価の倍以上のタクシー代を払う羽目になった。
「いや、待てよ」
小鳥遊は自分の違和感の正体に気が付いた。
そうだ。服だ。
なぜ、あの士官は第二種軍装、白服を着ていたのだ。いくら夏服と言っても、このパナマでは暑すぎる。小鳥遊を含め、たいていの士官は草色の三種軍装を身に着けている。人によっては防暑服で出歩いている者もいる。小鳥遊の疑問は、長くは続くなかった。考えてもわからないうえに、何よりも早く会議室に向かわなければいけなかったからだ。
早歩きで二階の踊り場に差し掛かった時、爆発音が響き渡った。
三階のフロアの一部が吹き飛ばされ、あたり一面が瞬く間に騒然となった。爆発の瞬間、小鳥遊はとっさに伏せた。粉塵で視界が塞がり、呼吸が出来なくなる。恐怖とパニックに支配されながらも、彼の思考はある可能性を浮き上がらせていた。
これはテロだ。
◇
あの士官は会議に間に合ったのだろうか。
悲鳴と怒号が飛び交うロビーを抜けながら、オロチは思った。ホテルから逃げる人ごみにまぎれて、そのまま裏通りに入るとセダンが止まっていた。
「出してくれ」
助手席に乗り込むと同時にセダンのエンジンがかかる。
「派手にやったな」
運転手役のオクトが言った。バックミラー越しに遠ざかるホテルが見えている。今や、元ホテルあるいはホテル跡地と言うべきかもしれない。黒煙が舞い上がり、あちこちでサイレンが鳴り始めていた。大通りを日英米の兵士たちが血相を変えて向かう一方で、パナマ市民たちは唖然とその様子を眺めていた。
「なに、大したことはない」
オロチがパナマ会議の議場に持ち込めたのは、アタッシュケース一つ分にすぎなかった。それでもホテルの風通しを過剰に良くするには、十分な量だった。
「
オロチが吹き飛ばした会議室には、日英米の高官が集合していた。彼らはパナマとキューバを含む、カリブ海一円の戦力再編について話し合う予定だった。その議題にはキューバ臨時政府と駐留ドイツ軍に対する処方も含まれている。
「俺の失態の尻拭いをさせちまった」
オクトは前を向いたまま、無表情で言った。
今回の作戦は、急ごしらえで計画されたものだった。どうもベルリンは、オロチたちパナマ潜入組の働きに不満を持っていたらしい。特に<宵月>と<大隅>の動きを完封できなかったことに対して、明確に失敗だと断じていた。今回の作戦は、いわゆる汚名返上として与えられた機会だった。
「すまない」
オクトはハンドルを切りながら言った。一度は<宵月>の艦長を拘束しながらも逃走を許し、パナマ湾で<大隅>を雷撃するも行動不能に陥らせることはできなかった。
「私の認識では、君は失態など犯していない」
オロチは第二種軍装の上着をぬぎながら言った。いつも通りの、抑揚のない機械のような一定のトーンだった。
「今回の作戦も君が装備を調達できなければ遂行不可能だった。スコルツェニー大佐も恐らく同様の認識だろう。仮に失態と言うのならば、それは私の失態なのだ」
淡々とオロチは続けた。
「立案と配置は私が行ったのだからな。それに──」
オロチはシャツのポケットから上等のシガーを取り出した。ホテルのロビーからくすねてきたものだ。ライターで火をつけると、車の窓を開ける。
「我々は全てを知っていたわけではないからな。ただ、決められた時間までに全てを終えろと言われただけだ」
オクトは少し驚いていた。横目で見たオロチの顔は、声のトーンとは対極でひどく不愉快そうな表情を浮かべていた。
「えらく不景気な顔だぜ、
オクトがからかうように言った。
「ああ、不愉快だよ」
オロチは素直に肯定した。オクトはさらに面食らった。
「すまない。莫迦にするつもりはなかった」
「いいや、君の軽口ではない。それはいつものことだ。今回の作戦、全般が私の好みから外れているからだ」
なるほど、ドイツはキューバに楔を打つことができた。ベルリンの思惑通りなのだろう。
「しかし、私は何も知らない」
オロチ達は、ただ言われるがまま任務を遂行しただけだった。あのキューバ危機の夜に、都合よく魔獣が現れるなど聞かされていなかった。それが気に食わなかった。自分たちが、ただの駒だとはわかっていたが、それにしても配置されるゲーム盤のルールくらい教えてくれてもいいではないか。
「我々はプレイヤーですらないのか」
オロチは窓から吸いかけのシガーを捨て去った。
「何か言ったか?」
「いいや、なんでも……ただ、カリブ海のダンスに飽きてきただけさ」
セダンは、その後に消息を絶った。
◇========◇
次回7月26日(月)に投稿予定
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
弐進座
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