まだら色の夜明け(Mottled dawn) 7:終
【パナマ 日本大使館】
1946年2月17日 朝
防空壕から最初に出た時、真っ青な空が広がって見えた。
「皆さん、大丈夫のようです」
小鳥遊俊二少佐は振り向くと、中に残っている連中へ向けて言った。しばらくして、ぞろぞろと十数名の日本人が出てきた。
パナマ市内に空襲警報が響き渡った後で、日本大使館員は敷地内の防空壕へ退避していた。
「終わった……のか?」
角ばった顔の外交官が尋ねる。特使の石射だった。両腕に大事そうにアタッシュケースを抱え、疲労が顔からにじみ出ていた。
「ええ……そのようです」
小鳥遊が肯定すると、石射はアタッシュケースを抱えなおした。汗で腕から滑り落ちそうになっていたのだ。日本大使館の防空壕には|
いいや、空調に限らず、あらゆるものを整えておくべきだった。筆記用具に電信機、それから空襲にも耐えうる分厚い金庫だ。そいつがなかったおかげで、石射はえらく難儀した。
空襲直後、とっさに石射は機密書類を鞄に突っ込んできた。部下の制止にも関わらず、石射は大使館と防空壕の間を何往復もしたうえで、全ての書類をもってきてしまった。
朝陽が目に染みるのか、石射は恨めしそうに眼をしばたたかせた。
「すまないが、いま何時かわかるかね?」
小鳥遊が左腕を上げた。精工舎の最新モデルの短針が八を指していた。
「ちょうど、八時を回ったところです」
「そうか。ありがとう」
石射は部下を促すと、大使館へ向かって一歩を踏み出した。
「時間がない。さあ、行こう」
部下たちが腑に落ちない顔を浮かべた。小鳥遊が周囲の心情を代表して、尋ねた。
「どこへ行かれるのですか」
石射は意外そうな顔で、小鳥遊を見返した。
「もちろん、大使館だよ。パナマ会議はまだおわっていない。多少の延期はあるだろうが、それは我々にとって貴重なロスタイムだ。今のうちに要件をまとめ、会議の進行で主導権を握らなければ──」
石射は有無言わさぬ口調で断言すると、大使館へ入っていった。その後を数名の部下たちが幽鬼のように続いていった。
小鳥遊はなんともいえぬ心地で、その後姿を見送った。決して他人ごとではなかった。小鳥遊とて、遊びできたわけではない。彼は、法務士官として新たな戦争法の検討会議に出席しなけれなならなかった。人類にとって魔獣ありきの戦争が、もはや常態となったのだ。旧来法で収まりきらないケースが多発していた。
いまだ、彼ら事務方の戦争は継続中だった。
◇
【パナマ沖 <大隅>】
1946年2月17日 昼
一連の戦闘が終息へ向かう中、<大隅>はパナマ沖を航行していた。浸水は応急処置により、停止している。
「戦闘機隊の収容が終えたそうです」
会議室で矢澤中佐は艦内電話を置くと、六反田へ向き合った。彼の上官は、長椅子に深く腰を落ち着けていた。
「そうか」
六反田は口の前で手を合わせ、念仏を唱えるような姿勢だった。先ほどから、じっとラジオ放送に耳を傾けている。雑音交じりで音が途切れがちなのは、沖合に出ているからだ。
「してやられたな」
ラジオ放送では、キューバの政変とドイツ軍の駐留について、速報が流されていた。アナウンサーは、キューバ臨時政府の声明文を読み上げると、次のニュースに切り替えた。この二十四時間でカリブ海には伝えるべき速報が多発していたのだ。
矢澤は黙って、ラジオを聞き入っていたが、やがて戸惑いがちに口を開いた。
「出来すぎていますよ。たまたま、ドイツの戦闘艦艇がハバナの近くにあり、しかも陸上部隊まで用意していたというのは……いや、それだけではありませんね」
カリブ海一円で発生した、魔獣の奇襲攻撃。
<大隅>の触雷と浸水。
<宵月>内部で起きたキールケの反乱。
そして、救世主のごとく現れたドイツ軍。
「ああ、それだけじゃない」
六反田は立ち上げると、窓の外を見た。
ようやく秩序を取り戻しつつある、パナマシティが見えた。
「パナマ会議だ。狙ってやったのかはわからん。だが、俺らの顔に特大のヘドロをぶちまけられたのは事実だ。連合国軍が万全の防備を固めた要衝が、この体たらくだ。こいつは荒れるぞ」
六反田は机の引き出しから、チョコレイトバーを取り出すと、おもむろにかぶりつき始めた。
「何をやっているんですか?」
矢澤は唖然と、その光景を眺めていた。
「腹が減ったんだよ。頭が回らん。なんにしろ、忙しくなるぞ」
六反田は、そういうとチョコレイトバーを腹に収め切った。
「まあ、状況は捨てたもんじゃない。俺たちの方針は変わらん」
「北米戦線の安定化ですね」
「ああ。最悪でも、そこさえぶれなきゃ後は何とかなる。そうだ。おい、矢澤君。すぐに乾ドックを手配するぞ。<大隅>と<宵月>を修理してもらわにゃならん」
矢澤は絶句した。ここをどこだと思っているのだ。
「ここは、合衆国領ですよ。アメさん、自国の艦艇の修理に使うのでは?」
「パナマを守ったのが、誰か思い出してもらう」
「情に訴えるのですか」
「いいや、脅す」
六反田はにやりと口に端を曲げた。
矢澤は背筋に冷たいものを感じた。
「どうやって?」
「忘れたか? 我々には心強い同盟者がいただろう」
六反田は鼻歌を口ずさみ始めた。
ルール・ブリタニアだった。
◇========◇
次回7月19日(月)に投稿予定
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現できるように応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
弐進座
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